素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

アンチ・三筋後退

2013年02月08日 | 日記
 大阪市内は早朝からかなりな勢いで雪が舞っていたようだが、こちらは幸い粉雪がぱらついただけであった。しかし、空気の冷たさは予報通りであった。こんな中で目を楽しませてくれているのがクリスマスローズ、サクラソウ、水仙の可憐な花。
   物々交換のおかげでクリスマスローズの種類は年々増えていく。うつむきがちに咲く花を見て、人はそれぞれに自分の心模様を投影するみたいである。今日は沈思黙考しているように私には思えた。
  大阪市の叔母からいただいたもの。次から次へと花を咲かせとても元気がある。
 寒さのせいか例年よりは咲き始めが遅かった。これからにぎやかになるだろう。

 妻が『アンチエイジング』の講習会に行ってきた。わかりやすく面白かったと資料を見せてくれた。ほとんどのことは知っていて実践中であった。1つだけネーミングにひかれたものがあった。それが『アンチ三筋後退』。要は大腿四頭筋と下腿三頭筋と腹筋を常に意識して衰えないようにしていこうということ。最近、同年齢の知人が転んで骨折したとか腰痛、ひざ痛で出歩けないなどということを耳にすることが多くなった。一番ショッキングだったのは認知症の兆候が出てきた知人のことであった。年賀状の感じが何か例年と違って変やなと感じていたが家族の人の話では急に具合が悪くなってきたらしい。はつらつとした姿を若い時から知っているだけに複雑な思いにとらわれる。

 アンチと力まなくてよい、現状維持で御の字というぐらいの気持ちで心身に刺激を与える生活を続けることが大切。どうやっても衰えていくことは確かである。それをいかに遅らせるかということであろう。 
 

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冴返る向かい風すら心地よく2日前より1分短縮

2013年02月07日 | 日記
 寒さが戻ってきた。予報ほどは寒さを感じないが、日中出歩く人の数は目に見えて減る。午前の宅配便で注文していたロールスクリーンが2本届いた。ネットショップの「かべがみ道場ラック」で購入したものだ。娘の部屋で使っているカーテンは前の家からのものなので、かれこれ30年近くなる。がらんとした部屋で見るとすそがほつれていたり色もあせていたりといたみが目立つ。交換しないと改装の意味がないと思った。

 ブラインドはほこりがついたりして後々の手入れが面倒だと考えていたら洗うことができるロールスクリーンを見つけた。しかも1cm単位でオーダーできるので好都合である。今までも何回かロールスクリーンやブラインドに取り替える話が出たが、窓の寸法が変形なので既成のものではきちっとおさまらないので見送っていた。

 和洋折衷の部屋になるので、和風の色合いのものを選んだ。色のバリエーションの豊富さも気に入った次第。取り付けは非常に簡単だった。
満足度100%である。
   
照明器具も今流行りのLEDシーリングライトに取り替えた。ちょうどバーゲンセール中であったので即決。

 午後は、火曜日に走った新・10kmコースを走ることにした。昨日はジムで筋トレ2セットとランニングマシーン60分間走(10.8km)+ウォーク13分(1.2km)などをみっちりしていたので体の様子次第では軽く流そうと考えていたが、思いのほか体が軽く、よく動いたので攻めの走りをした。音楽も聴かず、リズムよく刻む自分の呼吸と足音をBGMにして走り切った。タイムは1時間00分53秒。前回より1分2秒短縮。自己新まで1分44秒。これまた満足度100%。

 ユニット畳が届くのが待ち遠しい。部屋が完成したら志摩の実家に帰ると母親と約束している。向こうでも電気器具などに不具合があるみたいで「待っています!」とのこと。
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毎日新聞『余録』の追悼文を2012年8月から拾う

2013年02月06日 | 日記
 昨日の余禄は十二代目市川団十郎さんを追悼するものだった。団十郎という大名跡を20年ぶりに襲名するにあたって、悩んだ末の思い「団十郎を継げば文句を言われるだろう。でも言われないより言われた方がいい」を紹介している。各界で活躍した人が亡くなると故人の業績、エピソード、名言などを紹介しながらの追悼文が掲載される。

 最近、次々と昭和に活躍した人が亡くなっていくという思いにとらわれているが、団十郎さんの死を悼む余録を書き写しながら、昨年8月からの追悼文を拾ってみようとふと思いついた。紹介された故人の言葉、座右の銘も添えておく。

8月、9月はなし。
10月6日:大滝秀治さん:(役に)「つかる、ひたる、ふける」「俳優は錯覚の世界でいかに陶酔できるかだと思っている」
                「目の前の池が芝居で海という設定なら、すぐ海と思い込めるのが役者だ」

10月14日:丸谷才一さん:(パーティでの挨拶を原稿を読みながらすることへの思い)「二度と同じ人が集まらないパーティーで自分の思いばかりを長々としゃべるような挨拶は困る。聞き手あってこその挨拶である。みんなに楽しんでもらえる話題をきちんと話すには原稿にした方がいい」

11月1日:藤本義一さん:(シナリオライターとして師事した映画監督の川島さんからたたき込まれたこと)「プロは嫌なことをするから好きなことができる。アマは嫌なことを避けるから好きなことができない」「とにかく本を読め。大阪に生まれたんならば井原西鶴を読め」
(義一の名前にかけた座右の銘)『蟻一匹炎天下』

11月16日:森光子さん:(下積み時代に詠んだ川柳)「あいつより 上手いはずだが なぜ売れぬ」(後に『はず』に注目して下さいと笑っていた)「私は名女優にはなりたいと思わない。ただ生きている間は一人でも多くに楽しんでもらい、愛される女優になりたい」

12月6日:十八代目中村勘三郎さん:(勘九郎の時、すでにライバル関係であった先代の勘三郎にたいして、よく言っていた冗談「今に犬に勘三郎と名づけ、コラッ勘三郎と言ってやる」(その先代の臨終の時、勘九郎は父の当たり役だった『髪結新三』の舞台いた。病院の酸素テントで父に教わった初役だった時のことを述懐して)「亡くなったのを知らされて夜の部に出たら満員の席が一つだけ空いててね。まるで親父に見られているようで足がガタガタ震えました」

12月11日:小沢昭一さん:(日本各地の消え行く大道芸や門付け芸を記録して歩いたのは、芸能の原点を求めてのことといわれることに対して)「それは半分うそ。子供のころにオモシロカッタことに、もういっぺん再会したかったから。僕の道楽の最たるものだった。」
(俳号は変哲、かつて戯れに詠んだ辞世の句)『志ん生に会えると春の黄泉の国』

12月19日:米長邦雄さん:(兄3人がいずれも東大を出たことについて)「頭が悪いから東大に行った。私は良かったから棋士になった」(史上最年長の49歳11カ月で最高位の名人なった時)「私は菜の花のようなもの。トウがたってから実を結ぶ」(死因になった前立腺がんを患っているとわかった時)「(ああしておけばよかったなどと)過去とケンカをしても仕方がない」

1月17日:大島渚さん:(自らの映画人生を『人ぜいたく』と振り返り、キャスティングも)「一に素人、二に歌うたい、三、四がなくて五に映画スター」(と、表面の演技より人の存在感を重く見た)座右の銘(ハンセン病の歌人、明石海人の言葉)『深海に生きる魚族のように自らが燃えなければどこにも光はない』

1月21日:大鵬(納屋幸喜)さん:(天性を評価されるのを嫌った)「僕は天才ではなく、苦労してはい上がる努力型です」(優勝賜杯を受ける時いつも考えていたのは)「これで来場所はまた大変だな」

1月28日:高橋亨平さん:(福島県南相馬市の産婦人科医として原発事故後、医院で生まれた子の激減に衝撃を受け)「子どもを守るにはどうすればいいかと行動を起こした。内部被ばくの正確な測定にこだわったのは″真実はそこにある”と思ったから」(震災から2か月後に大腸がんが発覚、余命半年と告知されながら、ぎりぎりまで診療を続け、74歳の誕生日を迎えた昨年12月に入院、今年22日に旅立った。取材の録音からの声)「復興とは夢、夢とは子ども、子どもは未来だ」

1月31日:安岡章太郎さん:(小説を自分で書き始めたのは日中戦争下、受験失敗が続いて3浪に及んだ時。)「せめて自分だけでも生きられる小世界を、自身で作るしかない時代であった」(自身の失敗や屈託にまつわる私小説から出発した安岡さんは後に、遠く過去の家系にさかのぼって作品を書き継ぐ。晩年は両親への自らの不孝を悔み記していた)「なぜ死に際にわびをいえなかったか」


 あらためて振り返ってみるとやはり0.0.2.2.3.4と数は増えている。もう一度、″生きざま”を考えるきっかけになったとはいえ2月は団十郎さん一人であればいいのにと思う。合掌。
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お菓子の「ういろう」は?

2013年02月05日 | 日記
 京都マラソンまであと33日。そろそろカウントダウンの時期になってきた。今日はマシーンより外を走りたい気分が大だったので新・10kmコースを走った。ベスト記録の59分09秒には届かなかったが1時間01分55秒とまずまずの結果であった。前半抑え気味に入った分だけ届かなかったが調子は上向いていることが確認できた。

 「外郎売り」の話の続きだが、最初タイトルを見た時はお菓子の″ういろう”を思った。読んで日本に渡ってきた唐人の名前であり、「透頂香」という薬の俗名であったとわかったのだが、お菓子の″ういろう”との関係がひかかったままだった。5年間名古屋で暮らすとやはり″大須ういろう”がなじみになる。先だって大なごや落語祭で行った帰りの手土産は大須ういろうにした。ただ、伊勢志摩育ちの私にとっては伊勢の″虎屋のういろう”が一番である。

 さっそく、語源由来辞典をひいてみた。

 「ういろうの語源は、痰切り・口臭消しなどに効く薬の別名が「外郎」や「外郎薬」で、その薬に色や形がよく似ていたため、菓子もこう呼ばれるようになったという説と、その薬の口直しに用いたためという説がある。
 薬の名は、律令で定められた定員外の官を意味する中国の官僚の名「員外郎(いんがいろう)」からである。官僚の名が薬の名になったのは、室町時代に元(げん)の礼部員外郎(れいぶいんがいろう)であった陳宗敬が日本に帰化した際、″透頂香”という薬を伝え、陳宗敬の家名を「外郎」と称したため、薬の別名にもなった。
 ″外”を″うい”と読むのは唐音。ういろうもちの現在の製法は、室町時代に周防山口の秋津治郎作が考えたという。」


 他にも説はあり、ういろうの元祖についても日本各地で言い分はあるみたいだが、これはよくある話。好奇心だけの私にとっては語源由来辞典の説明で充分である。

 年末の帰りに関ドライブインで虎屋のういろうを見つけ、近づいて行ったら後ろから「もう赤福買ったから!」と止められた。近々志摩の実家へ行く予定なので今度は買って食しようと思っている。

 ジムの方でも、交野マラソンに出る人たちを中心に期間限定のランニングサークルを立ち上げ、日曜日の朝7時から寝屋川公園で走っている。15名前後の参加があるみたいで誘われたが、さすがに朝7時からはきついのでマイペースでしていくことにした。
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十二代目市川団十郎さん死去・「外郎売り」

2013年02月04日 | 日記
 娘の部屋の改装の際、いらないと残していった本の中に、『日本語の発声レッスン・改訂新版一般編』(川和 孝著・新水社)というのがあった。おそらく保育士のための教育課程で必読書として買わされたものであろう。帯の付いたままのまっさらな状態であった。他のテキストや本は処分のために結わえたが、この本だけは私の手元に置いた。発声・発音も興味のあることの一つである。

 ジムのトレーニングの時にななめ読みをしてみたが、けっこう面白い。その中の″アーティキュレーション”(歯切れ、活舌)の練習の1つに「外郎売り」があった。その解説には次のように書いてあった。

 《これは、1718年(享保3年正月)、江戸の森田座で初演されたもので、二代目市川団十郎が、「若緑勢曾我(わかみどりいきおいそが)」に畑六郎左衛門という役名で外郎売りに扮して登場し、滝のような弁舌で、いい立てをしたということから評判になり、以後、時と所を変えて、独立した一幕としたり、他の狂言に織り込まれたりして上演されてきた。
 鎌倉建長寺を開いた大覚禅師に従って日本へ渡ってきた外郎(ういろう)という人物が、小田原に住んで売りひろめた「透頂香(とうちんこう)」を、俗に外郎といい、婦人病に特効があったというのだが、この芝居はその外郎を宣伝して歩く行商人の身振りを巧みに舞台にとり入れた面白さと、団十郎独得の雄弁術が評判になって、その後も演じられ、1980年5月に歌舞伎座で40年ぶりに十代目市川海老蔵が復活台本を骨子に演じて評判になった。》
 


 その時は、その解説を何気なく読み、104の文節に分けられた「外郎売り」のセリフを黙読していただけだった。これを9回の息継ぎで、発音を正確で明瞭なものにするために、さらに語句と語句のつながりをはっきりさせるために、舌の回りを滑らかに唇の開閉を的確に、洗練された明快な言葉で発音できるようになるために、納得がいくまで練習をしてみるとよい。という著者の言葉に「面白そうだけど、これはむずかしいな」と思ったぐらいで後はランニングに専念した。

 夕方から夜のニュースのトップは十二代目市川団十郎さんの死去のニュースであった。「勘三郎さんといい、次々と惜しい人が亡くなっていくなあ」と思いつつ見ていたら、外郎売りを演じている団十郎さんの舞台姿が映った「ああ!」と声を上げてしまった。40年ぶりに復活させた十代目海老蔵と十二代目団十郎が結びつきあらためて本を取り出して「外郎売り」のセリフを音読してみた。エベレスト登山並の難しさである。イメージをつかみたいので検索してみると案の定あった。その中で一番「いいな!」と思ったものである。

 外郎売り


 「外郎売り」のセリフを音読しながら団十郎さんのすごさを体感している。チャレンジするものがまた1つできた。




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