風花は行き先よりも舞ふが好き 川南 隆
全国俳誌協会主催の第29回全国俳句コンクールのわたくし、
加藤知子特選の<風花は行き先よりも舞ふが好き>
の、作者・川南 隆さんより
思いがけず、
(今回の俳句コンクールでたまたま特選に頂いた句の作者というだけのご縁で)
御礼のお手紙と副賞の拙句集『たかざれき』のご感想と30句選とを
ご丁寧に自筆で書いて、送ってくださいました。
きょうは、感謝を込めてこの方を紹介したいと思います。
長崎で生まれ育ち、3歳で被爆。
上智大学進学時上京され、現在は船橋市にお住まいのようです。
『ろんど』の編集委員もなさっていて、
令和5年8月号(第32巻第8号)もご恵贈下さいました。
ご本人の了解を得て、
心に残ったお手紙の一部をアップします。
併録の拙論「『高漂浪(たかざれき)する常少女性 石牟礼道子の詩の原点へ』」の中で
“特に私が心に染みて共感を覚えましたのは、
4初期小説作品「不知火」、5「天の病む」でした。
ご指摘された、石牟礼の芸術観に触れることが出来ました。
祈るべき天とおもえど天の病む
この一句について、いろいろと考えさせられ教えられました。
石牟礼の「天」は、無季という名の季というべきか。
と結ばれた一文に感銘を受けました。
私は、個人的にも「天」に寄せるこだわりがありまして、
これからも「天」への思いを追い求めて参ります。
祈るべき天とおもえど天の病む
この石牟礼先師の句に接したとき、
実は私は、遠藤周作の『沈黙』のラストの場面を想起しました。
(踏むがいい)と哀しそうな眼差しは私に言った。
「主よ。あなたがいつも沈黙していられるのを恨んでいました。」
「私は、沈黙していたのではない。一緒に苦しんでいたのに。」
当時上智の学生であった私は、『沈黙』のパネルディスカッションをやりました。新潮社から一名、作者の遠藤周作先生、東京教区代表として井上神父様で。かなり激しいやりとりでした。
井上神父様が言われたのは、「遠藤さん、これは小説だから良いかもしれないが、カトリックの教義では、ダメなんですよ。人が勝手に神の領域へ踏み込んで、人の都合や英知、願望を認めさせるのは、行き過ぎでしょう。神と人との係わり、信仰が成り立たなくなるんです。」
これに対し、遠藤先生は、「神父さん厳しいなあ。今日は、私は、褒められると思ってたんだけどなあ。人の、弱い人間の持つ感情を書いたんです。」と。
この時、会場の学生たちから大きな拍手が湧きました。"
それから、この川南隆さんは、
日本歌曲「長い坂」の作詞をされています。
作曲は田崎聡、テノールは山口統夫
となっているようです。
YouTubeで聴けますので
是非耳を傾けてみてください。
この歌詞の最後は
このまま もっと 歩いていたい 坂の道
このまま ずっと 聴いていたい アンジェラス
この歌詞と
川南さんの<風花は行き先よりも舞ふが好き>の句は
響き合っているように感じました。
「行き先よりも舞ふが好き」とは、
このままもっと歩いていたい、
このままずっと聴いていたい
ということだろうと。
(お手紙中、
加藤に対しての「先生」と書かれた言葉は
省かせていただきました。)
うこんの花とカマキリ
全国俳誌協会主催の全国俳句コンクールにおける選者賞の副賞に
その選者の句集等を贈る(一句書き入れて)というのは、
とてもいい考えだと思います。
実は、
この度の第14回九州現代俳句大会選者賞の
各地区会長等の選者賞副賞については
これをマネして採用したのでした。
小鳥がはこんだ種から発芽し
30センチにも満たない山椒の木
おそらく揚羽蝶の幼虫がせっせと食べています。
でも、3匹いるから葉が足りないよお~