学友瀬角龍平が中心になって発行していた
『七岳』は創刊25周年を迎えたようで
今号は特にバラエティーに富んだ内容になっている。
一部カラー写真もあり。
黄泉へ行く藷焼酎を飲み残し 瀬角龍平
垂水の歴史と文化面に業績のあった方が
急死されての追悼句か
創刊号から24号までの企画展も垂水市で開催され、
南日本新聞でも取り上げられたようだ。
さて、
これに同封されていた
2022年4月号(No.130)
自治研「かごしま」に
鹿屋の石橋・大園橋の存続と保存活用について
大隅史談会会長もしている瀬角が特別寄稿しているので
応援のつもりで取り上げておこうと思う。
ご覧のように大園橋は眼鏡橋。
明治37(1,904)年に鹿児島伊敷の石工が造ったもので
全長30メートル、橋幅内法3.1メートル、
高さ5メートルの複式アーチという。
ウィキペディアによれば
日本初のアーチ式石橋は
長崎の眼鏡橋だそうで
寛永11(1,634)年に中国の僧によって架けられたということだ。
それから270年の歳月を経て
鹿児島の大隅にまで到達していたんですね。
令和2(2,021)年の7月に南九州を襲った豪雨災害によって
祓川に架かる大園橋の橋桁にも流木がひっかり
右岸の家々の床上浸水
その下流域の温泉施設も休業に追い込まれ
(・・・・・)
令和3年、鹿屋市は
今後も河川氾濫の恐れがあるとして
撤去の方針を固め
市教育委員会に文化財指定取消申請をした
ということらしい。
令和3年10月には鹿屋市長に対して
大隅史談会は撤去方針の撤回と
氾濫原因解決の再考を求めて陳情書を提出している。
石橋は何といっても
その姿が美しい。
そして本来あるべき場所にあってこそ
その美しさも格別であろう。
石橋というものは
当時の地元民の思いの結晶であり
技術面からも資金面からも
大変な苦労の賜物なのだ。
熊本にも沢山あり種山石工集団は有名で
鹿児島にも招かれている。
氾濫を回避する土木技術は色々あると思う。
お金のかかることではあろうが
長崎市の眼鏡橋も解決されて
観光資源となっていると思うので
そのようになってくれればと
他県の者からも
切に願っている。
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この1週間ばかり
顔、顎、首筋、耳、背中が痒くて
抗ヒスタミン薬アレグラを一日2回飲んでいる。
きょうはだいぶよくなってきたので
ブログアップする気にはなったのだが
まだ万全ではない。
草取りをして草にかぶれたのかなあ~
どくだみにかぶれる事はあるのか
ちょっと、と思って抜き始めて
ついつい・・・
素手で頑張ってしまったからかなあ。
疲れも溜まっていたしなあ~
ifuri36さんもそうでしたか。
なんかイマイチ気が晴れませんよね。
気持だけはみずみずしくありたいのですが
私の場合は、身体は弱いが気が強いと
家の者から憎まれ口を(笑)
季節の変わり目は身体がムリするんでしょうね。
実は私も肉体的疲れからの
免疫力の低下は疑っています。
日々の家事に加えて
狭い庭と敷地なのに草取りはまだ終わらず
(どくだみの元気な事といったら)
枝の伐採やらそのゴミ出しやら
時々元気な孫二人に引っ掻き回されるやら
アレグラは比較的眠くならないやつなので
ついつい動いてしまいますね。
抗ヒスタミン薬の眠くなるやつを飲んだ方が
無理して動かないからいいかもしれません。
市販のアルカリイオン水(PH8.8~9.4)も
飲んでみていますよ。