12月8日毎日新聞によれば、
北九州市立文学館で
企画展「花衣 俳人杉田久女」が
12月25日まで開催中だそうだ。
「足袋つぐやノラともならず教師妻」や
「谺して山ほとゝぎすほしいまゝ」
で、知られる久女(1890~1946)。
彼女の高浜虚子に宛てた手紙が初公開されているそうだ。
手紙の一部が同新聞に掲載されているが、
虚子が過剰反応したとしか思えない。
「只しづかに御高恩を心にほりつけつゝ
一九年間の俳句の思出をたのしみしづかにこもり暮します」
とか「三世迄も師に御従ひ申上ます」の手紙の文言に、
きっと、「どきっ」としたんじゃないかな。
古い時代の感覚で。
それとも、たちの悪いいじわるか!
ホトトギスひいては当時の俳句界の絶対的権力者は、
自分があれだけ久女を追い込んでいるのがわかっていて
久女が句集の序文を書いてくれるように懇願しても黙殺を続けて~。
久女の能力もわかっていて~
わかっていたからなのか・・・・
なんともパワハラめいていて、気分が悪い。
秋桜子のようにホトトギスを出ていけばよかったのに。
自分の方から虚子を「斬る」ことをすればよかったのに。
手持ちの『昭和の名句集を読む』(本阿弥書店・平成16年)
の中で、宗田安正は、
なによりも、『杉田久女句集』一巻が、
彼女の精神の高貴と健全を証する最大の答えだと思う。
同書の毅然とした完成度の高い作品群は、
どんな伝説や噂も無化して燦然と輝く。
と言う。
同書から、好きな句を孫引きする。
春寒や刻み鋭き小菊の芽
花衣ぬぐやまつわる紐いろゝ(いろいろ)
夕顔を蛾の飛びめぐる薄暑かな
朝顔や濁り初めたる市の空
紫陽花に秋冷いたる信濃かな
芋のごと肥えて血うすき汝かな
灌沐の浄法身を拝しける
ぬかづけばわれも善女や仏生会
羅に衣(そ)通る月の肌かな
大いなる春の月あり山の肩
蝶追うて春山深く迷いけり
虚子は、次元の低いところで反応し、
「をかしい」として除名したのではなかったか。
師として、
久女の才能を受け止めるほどの包容力も
芸術も持ち合わせていなかったのではないのか。
それとも我が娘可愛さでか。
要するに、虚子はGREATじゃなかった!
と言ったら、言い過ぎか!?
久女は、並々ならぬPASSIONと知的好奇心とを持ち、
ただただ純粋に一途に
至上の芸術をもとめてやまなかった!
と思う。
ただされる皆既月食久女の忌 知青
北九州市立文学館で
企画展「花衣 俳人杉田久女」が
12月25日まで開催中だそうだ。
「足袋つぐやノラともならず教師妻」や
「谺して山ほとゝぎすほしいまゝ」
で、知られる久女(1890~1946)。
彼女の高浜虚子に宛てた手紙が初公開されているそうだ。
手紙の一部が同新聞に掲載されているが、
虚子が過剰反応したとしか思えない。
「只しづかに御高恩を心にほりつけつゝ
一九年間の俳句の思出をたのしみしづかにこもり暮します」
とか「三世迄も師に御従ひ申上ます」の手紙の文言に、
きっと、「どきっ」としたんじゃないかな。
古い時代の感覚で。
それとも、たちの悪いいじわるか!
ホトトギスひいては当時の俳句界の絶対的権力者は、
自分があれだけ久女を追い込んでいるのがわかっていて
久女が句集の序文を書いてくれるように懇願しても黙殺を続けて~。
久女の能力もわかっていて~
わかっていたからなのか・・・・
なんともパワハラめいていて、気分が悪い。
秋桜子のようにホトトギスを出ていけばよかったのに。
自分の方から虚子を「斬る」ことをすればよかったのに。
手持ちの『昭和の名句集を読む』(本阿弥書店・平成16年)
の中で、宗田安正は、
なによりも、『杉田久女句集』一巻が、
彼女の精神の高貴と健全を証する最大の答えだと思う。
同書の毅然とした完成度の高い作品群は、
どんな伝説や噂も無化して燦然と輝く。
と言う。
同書から、好きな句を孫引きする。
春寒や刻み鋭き小菊の芽
花衣ぬぐやまつわる紐いろゝ(いろいろ)
夕顔を蛾の飛びめぐる薄暑かな
朝顔や濁り初めたる市の空
紫陽花に秋冷いたる信濃かな
芋のごと肥えて血うすき汝かな
灌沐の浄法身を拝しける
ぬかづけばわれも善女や仏生会
羅に衣(そ)通る月の肌かな
大いなる春の月あり山の肩
蝶追うて春山深く迷いけり
虚子は、次元の低いところで反応し、
「をかしい」として除名したのではなかったか。
師として、
久女の才能を受け止めるほどの包容力も
芸術も持ち合わせていなかったのではないのか。
それとも我が娘可愛さでか。
要するに、虚子はGREATじゃなかった!
と言ったら、言い過ぎか!?
久女は、並々ならぬPASSIONと知的好奇心とを持ち、
ただただ純粋に一途に
至上の芸術をもとめてやまなかった!
と思う。
ただされる皆既月食久女の忌 知青
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