玄徳道

道を語るブログです。

令和三年五月 三六九神示

2021-05-19 20:47:00 | 神示道
新型コロナ終息せず、段々と変化して感染力を増し人民困窮いたしておるが、人類発生以来、もっと厳しい疫病や災害、戦争も人の生命は、乗り越えて、今日まで続きて来たのであるぞ。

すぐ元の結構は暮らしに、もどれずとも、今日までの物の栄に、うつつぬかして来た思い上がりを反省し、先々案ずるより、今なすべき事を一つ一つ果たして、時の流れに任せてゆけば、時の流れが、神の図りであるから、コロナ終息の日も来るのであるから、不安、恐怖に振り回されて、じたばたせず落ちついて、歩まねばならぬぞよ。

浮足立たず、地に足をつけて歩むのじゃぞ。


扨も天御中主の大霊界、大宇宙。この霊体の世界は、五と七の四九三(仕組み)で七りておるのであるぞ。

〇(れい、霊)といい、無と言い、空と言う隠り身の世界に、別天津神五柱の神氣渦巻き、霊なる生命の芽がふき、それより形ある目に見えた、大宇宙なる現(九)の世を困成(つく)る為、国常立尊を始め、豊雲野尊、五代の夫婦の神の次元を経て、七代目の伊邪那岐 伊邪那美の命の代となりたのであるぞ。
天之御中の別天津神五柱、国常立尊より、神代七代の神は伊邪那岐、伊邪那美の命(神言)となりて、いよいよ、島生み、国生み、神生み、万物も人の身魂も生まれて、現(九)の世の形が成りたのであるぞ。

人の知恵では判らぬ長い長い年月をかけての修理固成(つくりかため)であり、今も大宇宙には、五と七の生成化育の神業が行われているのであるぞ。

形に現れた現の世でも、人民コロナで困窮いたしておりても、花は咲き、散りては、新緑の候を迎えておるのであるぞ。


扨も、神代の昔、伊邪那岐、伊邪那美命、夫婦して、虚空の天之浮橋に立ち、天沼矛を指し下ろしかきならし、淤能碁呂島成り、その島に降り、天之御柱を見立て八尋殿を見立て、島生み、国生みをなし給いし、その天浮橋を地に写したのが、天之橋立であるぞよ。

それ故、天之橋立真名井ヶ原の磐座には、世の元の国常立尊(豊受氣神)も伊邪那岐、伊邪那美命も祀ってあるのであるぞ。

伊邪那岐、伊邪那美命、和合いたして、神も人も万物を生みなしたのであり、それが、現の世の陰陽、夫婦の道の基であるぞ。

和合いたせば、新しき生命を生み出すのであるが、世の争いの元も伊邪那岐、伊邪那美命の争いであるぞ。

縁深き者は和合いたせば、新しき生命を生み、縁深き故に争うのであり、縁無き者は荒そう事も無いのじゃぞ。

今の世界の様も、米国中国の争いも縁深き故でありて、その事に互いに気づき共に和の道を開くように、つとめれば、素晴らしき世界の開きも出来るのであるぞ。

皆、我が我がで、争い傷つけあいておる事の愚かさに氣づかねば、ならぬぞよ。

相争うのは、縁深き故である事に氣づき、足らざるをおぎない合いて、和合いたせば、飛び散る火花も闇を晴らす光を生む事となるのであるぞ。

火花を散らす者を和合させ光となすには、片寄らぬ仲立ちのはたらきがいる。

それが、白山菊理比咩の神の働きであるぞよ。

争いに明け暮れる世界の中に、この日本が相争う者等の和解の仲立ちの役を果たし、飛び散る火花や熱を光に変えてゆかねばならぬのが、これからの道であるが、まだまだその役を果たす者が出ておらぬから、日本は大国のはざまで媚びへつらいながら、神の言う事を聞くどころか、金の力で振り回されておる。

あわれな姿であるが、良く良く思いなされよ。

陰陽の電気、直接つければ、火花を散らすが、真空の中で、発光線を通せば、光となるのじゃぞ。

真空即ち、真澄の心となり、争う者の中に立ち、火花と熱を光となす大役を、この日本にさせてやりたいのが、神界の願いであるぞよ。

人類が、この地球に生まれたのは、我が身の我欲を満たす為で無く、神人和楽の世を開く使命を、それぞれの御魂に授けての事である事を少しでも覚らねば、誰もかれも、栄耀栄華の暮らしを求めるばかりでは、現の世は滅びてしまうぞよ。

人間だけで無く、万物とも共存共生の世と開かねばならぬぞよ。

終息せぬ、コロナも先に示した如く、まず焦らず、目先の今なさねばならぬことをなし、おろおろ、ドキドキしながらでも、良い。

不安共生の精神で時の流れ、神の図りに任せてゆく事であるぞ。

それぞれの御魂の親神も常に見ておるのであるぞ。

形ある物金のみに救いを求めるか、神を信じるかの大きな勝負の時であるぞ。

今日までの人類の思い上がりに少しでも、きづきてゆけば、コロナも終息いたすぞよ。

形にある、現の世を造りた、国常立の大神は、人類の思い上がり好きほうだいの今の有様、見るに見かねて、立替立直しの神氣激しくいたしておる、今の世である事を知らねばならぬのであるぞ。

我や欲の張り合い、程々にし、恵み合い、助け合い感謝の道を開いてゆくのじゃぞ。

荒れる世界であるなれど、因縁の御魂の者には、五用させ、神の四九三は進みておるぞよ。

五、七の、四九三で神界の四九三、九(こ)の世に写してまいるぞよ。

言霊神也

ン。


令和三年五月八日


天橋道士 龍華斎修聖拝写
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