遥か昔。それは、誇大妄想かも知れない。
人には前世がある。魂は肉体の脳と違い記憶力は皆無である。しかし、感合したビジョンは魂に刻まれる。
雪の降る日。私は幼き姿で、歩いて来た乞食に饅頭を与えた。乞食は鋭き、炯々爛々なるギョロ目で私をまじまじと見、ニィと笑い、礼を述べ去って行った。
その眼光が何故か私の魂に刻まれた。
遥か昔。
暴虐と破壊の魔人は多くの人民を虐殺し栄耀栄華を極め、男は地獄へ堕ちた。
そこは、無限地獄、修羅の世界。魂が擦り切れるほどの、闘争の世界。戦い闘い、狂うほど、打ち砕き頂点に上ってもサラナル勁き存在が現れ打ち砕かれる。休む事が許されない。永遠の闘争。魂が磨耗し、無くなるまで続く無限地獄。遂に魂が擦り切れる寸前に頭上に光が射した。
濟仏さんとは、中国で濟公として今でも慕われて、多くの祠で祀られている。日本では、関帝廟があり、三国志の関羽が祀られているが、中国には、濟公も関帝廟のように祀られている。
世の混濁、人類滅亡を救うべく、至聖先天老祖が現化、降臨された時、多くの神仙もまた、世の災刧、混乱から民を救うため、発願され、随い来臨された。その一柱でもある。
ちなみに三国志に登場し、神使神仙として成道された諸葛孔明、関羽、張飛、医者の華佗が道院に来臨され、祀られております。
濟仏=濟公は、中国南宋時代、西暦1148年に生まれ、六十一歳で亡くなった、実在した人物です。
俗名は、李心遠。臨済宗霊隠寺にて、出家し、仏海禅師の弟子となり、道濟と法名を賜る。
道濟、濟仏さんは常に乞食の様な格好をし、汚い姿で常時おられた。
出口日出麿さんも若き日に、修行のため、乞食の様な身なりで過ごされたが、キツかったようです。ご自分も臭いし、差別され、相当苦労されました。
汚い身なりでいると、他人様は、人を見下し本性を表し、人間独自の差別を行います。その人の精神、魂を観ることもなく、自分より劣った人間だと、愉悦し、馬鹿にするのです。
人間とは、自分より劣る人間を見ると、喜ぶ一面があります。
汚い身なりの日出麿さんは、わざわざ、その差別を受け、人間の心の汚さを悟り、それでも人間の本質は神だと信じ、行動されたのであります。
濟仏さんは、汚い姿で、尚且つ酒を飲み、肉を喰い、生臭坊主となり、高貴な身分の権力者や汚濁官吏などを痛烈に罵倒し、諧謔と風刺により、対立し、心清く貧しい者には、その神通力により、病を癒やされ救われておられた。
娼館に良く出入りされておられたようであるが、実は娼妓たちの愚痴を聞いたり、病を治したりされていたのである。
道院発足当時、神仙の濟仏さんの活躍が記されている。
「大正十年頃、中国東北の遼島半島の一角大連で中国人が経営しているもっとも大きく有名な金融機関があり、そこの総経理、専務取締役を劉瀛基と言い、かれの経営する事業は旭日昇天の勢いで発展していた。この方は老祖の弟子にして、道名を英機と賜り、また、大連道院の統掌(最高責任者)に任命されていた。彼は道を宣蘭し慈業を興し、また、道院の発展に尽くし、修人の手本となる働きをされていた。
ある時、藩陽(奉天)に道院が設立される事となり、英機は、フーチの訓により、至聖先天老祖の神位を奉じて藩陽に赴くことになった。
当時、大連から藩陽まで行くのに、超特急の汽車、アジア号があり、搭乗できるのは、政府高官や会社の役員、豪商などの金持ちが多かった。
英機は御神位と共にそのアジア号に乗りこんだ。発車して間もなく、英機は坐と同じように半眼となり、聖号を[至聖先天老祖、づうしゅうしぇんてんらおず]と黙誦していた。
すると突然、隣に誰か座ったような感じをしたので眼を開いて見ると、その人は顔中垢でよごれ、両方の目には疵があり、はだしで、足丸出しにし、衣類も、うす汚れてだらしなく、見るからに乞食のような姿であった。
英機は不快の念を出し、なるべく端の方に身を寄せて、少しでも離れようとしたが、この乞食の男は故意に身を英機に寄せて来て、どうしようもなかった。
英機はひそかに思いました。何故、最新の超特急車のアジア号に、乞食が搭乗できたのか、車掌は何故搭乗させたのか。考えれば考えるほど、腹が立ち、不快感が込み上げてきた。我慢していたら、その乞食は突然いなくなった。英機は不思議な事もあるものだとセイセイした。
藩陽道院に到着して、神位を定め、開幕し壇が開かれた。フーチにて濟仏は老祖の命を奉じて壇に臨まれ、アジア号での出来事を提起され、訓文にて次のように示された。[英機統掌よ、昨日、車中で君の側に座ったのは即ち、この老僧である。君は嫌がって腹を立てたが、君は訓によって神位を奉じ、老僧は命を奉じて神位を護衛したので、それぞれ、お役目があったのだ。たとえ、老僧の容貌がみにくく、衣類が汚れていても、そのように軽蔑してはならない。今後再び、決してこのようなことのないようにせよ。]と英機は、訓を聞いたとたん、全身ゾッとして冷や汗が流れ、心無いことをしたと深く悔い反省された。」
煌びやかな、神使の姿も成れるのに、わざわざ、乞食の姿で守護される、お茶目な御神霊。
また、フーチの壇に臨まれても堅苦しくない。
濟仏きたる。
酒を二杯献ずるのである。
ああ、前回、酒を準備するようにとの指示を記憶していて、老僧の酒を望む心が切実なので、各方はほとんど抱腹大笑し、まさに酒を沙盤の前に献上してあるのである。
ああ、いい酒である。
わたしは酒中の仙であり、また、酒中の聖でもある。
酔って吟ずること数百年、聖と称しても、どんな過分であると言えようか、沙前の二杯の酒、独り酌んで、相親しむものが無いよりは・・・と厳粛なフーチの最中に周りに酒を勧めているのである。
私は濟仏さんを知ったのはあくまでも道院による知識のみです。中国には多くの伝記もあるのでしょうが、余り知りません。濟仏さんを知りたくて、図書館で借りようと検索しましたが出て来ませんでした。
濟仏さんにそれ程、親しみもありませんが、何故か懐かしさがありました。
前世や云々を言ったところで、私には霊感や霊能力もありません。
しかし、長年培って来た坐力が少しだけあるのです。
かつて受けた、眼光。射した光。それは慈みの光。
地獄から神界まで自由自在に行き渡り救わらる、酒仙であり神仙神使。
「あんぐあみとぽいえ」
ああ、濟仏神君は、如何なる場所次元にも飛んで来て、人を能く助けるのである。