玄徳道

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黙真人訓、福徳への道。

2022-10-18 21:03:00 | 道院

福徳を修めて報いを求めることは、一般の人の希望するところである。

或いは、ただ一回の善功によって、幸福を希み、長寿を求め、災いを化(な)くし、疾(やまい)をはらいのける事を求め、子供のいない者は子供を求め、財の無い者は多くの財を求めるのである。

しかしながら、徳の無い者が、徳を求める者は無く、また、身を修めない者が、これを修める事を求める者は少ないのである。

そのしかる所以は、志(目標、目的)がただ、報いを求めることにだけあって、自ら修めることをおろそかにしているのである。

たとえ、福徳を修めると言っても、ただ僅かばかりの善い事を行うことに過ぎず、そして自分自身の修養や、霊性を養うことについては、全然これを求めようとせず、全く無知なのである。

そこで、或る人が言うには、功徳があるから、幸福を求めて幸福を得、長寿を求めて長寿が得られるのである。

さもなければ、どうして、これを得る事が出来るのであろうか。(本人に功徳があるから得られるのである。)

しかし、多くの人々を見るに、求めて得られない者が多いのである。

これは何故であろうか。

おもうに、修めるには必ず心から始まり、心は必ず正す事を以て主となし、吾が心身の霊性を修めるのである。

僅かな善行を以て、その報いを願う者は、心の多くが貪りを求める事に偏っているのである。

そこで、その報いがある以上、必ずこれに応ずるものがあり、そこで報いた事によって因果の道理は帳消しになったのであり、それ以上に語るべき功徳はないのである。

そこで、たとえ求めてもこれを得られないのは、多くは貪りや妄(みだら)な欲望に偏っているので、また、語るべき功徳が無い故に、その福徳は得られないのである。

そこで、功徳と福徳の関係はどうなっているのであろうか。

昔ある日、一僧侶が、六租慧能(貧農のうまれで、文盲であったが、五租の弘忍により、その悟徹を認められ、達磨大師から受け継いだ衣鉢を継承する。)に尋ねて言うには、粱の時代の武帝(仏教信仰を行い、皇帝菩薩とも称された。)と言う皇帝がインドから来た、ダルマさん(達磨大師)を宮廷に招いた。

そこで、皇帝が言うには、「朕は一生の間にお寺を多く造り、多くの僧侶を供養し、布施をした。朕には如何なる功徳があろうか。」

ダルマはこれに対し、「無功徳(功徳はない)」と言った。

武帝はどうして無功徳なのか、問うてみた。

ダルマが言うには、「多くの寺を造ったり、多くの僧侶を供養し、布施したりするのは、一般の世間の因果応報の教えであって、影の形に随うが如く、有限の功徳でしかあり得ない。

しかも、これらの有形の相対的な功徳と言うものは、真実にして真実ではないのである。」

武帝が問うて言うには、「それでは、一体何が真の功徳なのか。」

ダルマが、答えて言うには、「清浄なる知恵は円満妙霊にして、その本体は自然に空空寂寂となり、このような境地に到達すれば、世俗の因果応報の報いなど、全く眼中になくなるのである。」

以上の教えについて、自分では、よく理解出来ないので、六租に対して教えを請うたのである。

六租が言うには「ダルマさんの無功徳の三文字は決して疑ってはならない。それは武帝の心が邪(よこしま)であって、正法(正しい道、正しい法)を知らないのである。
武帝はただ、多くの寺を造り、多くの僧侶を度(すく)うことを以て福徳を修めると言っているが、この福徳を功徳と見なしてはならないのである。」

そこで、私(黙真人)が、おもうには、武帝の心には、邪念が存していたので、これを大義名分とし、天下の人民等に、みな武帝の福徳を修めた事を知るように望んだのである。

いわゆる一般の福徳を修める者は、外面のみにとらわれ、その中(うち)の身を修め、心を正し、意を誠にすることが見られないのである。

その福徳を得るか、否かについては論ずる必要は無いのであり、そこに語るべき功徳は少しも無いのである。

吾は一体誰を欺くことが出来るのであろうか。
また、天を欺くことが出来るのであろうか。

それは一切欺くことは出来ないのである。

武帝の一生を以てすれば、造るところの寺院や、度(すく)ったところの僧侶や、布施の行いは莫大なものではあるが、折角の莫大な福徳も、心に邪念(自己顕示欲、承認欲求)を存していたばっかりに、無功徳となったのである。

更に武帝がこれを以て、名声を得て、天下の人を屈服させようと望むに至っては、更にこれを功徳と言うことは出来ないのである。

六租が言うには、「功徳とは、悪が尽きるのが、これ功であり、善が満ちるのが、これ、徳である。

悪は何を以て尽きるのであろうか。

それは心を修めることによって尽きるのであり、善はなにを以て満ちるのであろうか。

それは善い行いを積み重ねることによって満ちるのである。」






コメント (3)
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