玄徳道

道を語るブログです。

三六九神示、申。

2022-10-08 20:22:00 | 神示道
潮の八百道(やほじ)の八潮道の 八重雲分けて昇る日や 天照国照日の出神 現れます時と鳴り成りぬ 男島(おしま)女島(めしま)は神の島 国常立大神の 裏に隠れて三千年 炒りたる豆に花の咲く 時節を待ちて神議(はか)り 梅(埋)で開いてその道は 竹の節をば打超えて 常磐の松の深緑 松で治むる三六九世を 開かんとする願いなり 裏に隠れた神々は 艱難辛苦耐へ忍び 体主霊従(からたま)の世と荒びたる 現の世の立替立直し 美(うま)し御国を開かんと 仕組み議りて時待ちぬ 瀬織津姫の織りなせし 太占奇路(ふとまにくしろ)ぞ畏(かしこ)けれ 瀬織津姫の織なせる 神の奇路を括るのは 白山比咩の神の業(わざ) 括り結びて鳴り成らせ 色つけ形に現すは 丹生都(にぶつ)の神と言うならむ さあさあ幕は開けたり 猿田の神は道開き 思凝霊(しこりがみ)等の荒ぶりに 道義礼節うち忘れ 乱る現の世を立直し 神人和楽の美し国 地上天国開くなり 梅の花とは埋めの花 神武以来三千年 埋れし神の御現れぞよ 世の下積みとなりはてし 真の神民興すぞよ さあ明けそめし申(さる)の年 申(しん)は震(しん)と申すぞよ 裏が表に出る道は やむえず荒事(現事)あるものぞ 高山短山(たかやまひきやま)その末に 世の元の神現れて 龍神眷属引きつれて 思凝霊(しこりがみ)と大戦(おおいくさ) 始まる時とめぐりたり されぞ良く良く心せよ 神武以来三千年 現の世を自在にいたしたる 神や人民いかにせん 打ち負かすにはあらずして 神剣言霊うち振い 言向け和(やわ)すが神の業(わざ) 仇打ちいたすは繰り返す その理をしかと心得て 赤白結べば桃となる 裏と表を結ぶ世や 梅は咲いたか桜はまだか 桃の花咲き実のみのる 霊体結びの天国を 松が神の心なり 鬼神も泣かすは誠心(まごころ)ぞ 清き明るき誠こそ 日の出の心と言うならむ 叢雲かかる奈良の月 月は滿つとも欠るとも たとえ大地が裂けるとも 誠心ぞ世を救う 日本の国は大和なり 大和の元は誠心ぞ 誠心は言霊ぞ 仇なすものにも恩をもて 報いる日本精神(やまとごころ)をば 夢と忘るなよ神民よ 神の通い路橋立の 内外の波の穏やかに 治る御世を松の風 拝金主義の経済の 網におおわる世界なり その奥にある神々の 神氣を結ぶ奇路道(串路) 神氣織なす瀬織津の 神の経綸知るまでは 世は治る事はなし 神に生かせる人の世も 梅で開いて竹の節 超えて松の御世となる 松の四九三は橋立(はしだて)ぞ 男島女島が元と言う 真名井ヶ原の御地場より 世を立替立直す 国常立の大神の 四九三現す申(さる)の年 柏子木(ひょうしき)音軽やかに 大芝居の幕開けぞ 三千世界を立直す 神の四九三を知る者は 如何なる荒事あるとても でんと腹すえ落ちつきて 世の流れをば見ておれよ 荒事あるは現事(新事)ぞ 乱れ荒げる現世を 立直しゆく神の業 新しき世の始まりを 祝い寿ぐ神心 塩土翁筆を取り 申の御歳の年始め 嗚呼惟神惟神(ああ、かんながらかんながら)。

昇る日の出もさわやかに、明けそめにける申の年。

籠(こもり)の扉打開き、天照国照日の出の神の御現れの時とめぐりたぞよ。

天の御影日の御影と現れむ、思凝霊や利己主義(われよし)の人民の荒ぶる世界を息吹清めむと、荒神の荒らし吹くとも、神界の四九三ある事知る者はうろたえ騒ぐ事無く、でんと腹すえ、神の分かれの御魂の生宮である事、自覚新たに神の道に仕うべし。

結びて開く道なる事を心得て止むべし。

鈴を振りつつ猿田彦、導きの役といで立つぞ。

世の元の神々裏に隠れて議(はか)り議りし、神四九三、如何なる苦心あるとても、その末に神人和楽の世を開かん。

ン、

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三六九神示、戌。

2022-10-07 18:53:00 | 神示道
雲分けて 昇る日の出の御光に 明そめにける天が下 戊犬の年始め 宣りに伝える九十〇(言霊)は 海の御中の塩土(水火土)の 翁が伝う神示なり 天の御陰を豊受けて 天地弥栄祈るべし 世界平和を祈るべし 人の世は荒(すさ)べども 神の奇路(くしろ)は弥栄に 奇しき光を発するなり 神の光は天空に 虹の如くに立ち上がり 光の籠を編みなして 日の本の国をすっぽりと 覆いて守りあると知れ 是神の代に豊宇氣が 輝く鳥の籠のごと 天降りたと伝えあり 光の籠を編む神は 白山菊理比咩の神 火水からみて編みなして 虹の如くに輝ける 籠に守られてある事を 人民知らず荒ぶりて 悪事は絶へぬ世なれども 善人悪人皆共に 生かしてあるのは虹の籠 光の籠の守護なるぞ 籠は加護に通ずるなり 神の加護ありてこそ 人世の縁も保たれて 世の営みも成るものぞ 眼(まなこ)を開けよ人民よ 目先の損得自我や欲 迷いの渕にさまようは 亡びの道と覚るべし 御魂の眼(まなこ)うち開き 光の籠の守護のもと 御魂はそれぞれ異なりて 人それぞれに道あれど 御魂の授けし使命をば 果たして皆が和となりて 美(うま)し御国を開くべし 荒れる世界の桃太郎 猿雉子犬を引きつれて 鬼退治おばなすという 御伽噺は今の事
この戌の年終わりとし 終わりは始めの神四九三 新しき世の丐(あたえ)おば 踏み出す戌の年なるぞ 真名井ヶ原に新しき 御世の型をば弥仙山 弥山御山の頂きに 日の出の神は立ちまして 世界の闇をうち払う 天照国照御光りを 発する様ぞ十十(とうと)けれ 封じられた神々の 岩戸は開きも進みゆき 神の御光の弥栄に 虹の光の神の籠 弥益々に輝きて 世界を救う日も来る 誠をもちて神業や 日々の祈りを勤むべし 姿見せねど神々は 誠の人を引き上げて 御魂の花をさかせむと 開耶(さくや)木の花勇むなり 新しき年の光さす 戌の御年の筆始め 水戸の神も共にして 翁が守る真名井原 天地に掛かる浮橋の 九四き四九三を開きゆく 天之橋立真名井原 籠宮こそが輝ける 光の籠の元と知れ 嗚呼神の代の御四九三が 今に現れる貴きよ。

ン。
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ダイエット道2

2022-10-05 15:28:00 | ダイエット道

ダイエットを始めてから、早、二ヶ月となりました。
休みの日は、早朝、近くの神社を走って、五社(一社増えました。)まわり、帰ったら、筋トレします。



増えた、神社です。福住吉神社。御神霊が一柱、眷族三体。大野川緑陰道路近くにあります。










仕事の行き帰りも自転車をなるべく使い、尚且つ、早く仕事が終わった時は、自宅近くの大野川遊歩道を7.8キロ走り、その後は一時間ぐらいかけて、筋トレをしております。
筋トレも効果が出るトレーニングをユウチュウブで学び、また、誤った姿勢を正すようにしました。(腹筋ローラー、腹筋運動の見直し、腕立て伏せ、バックランジの活用。)

筋トレも下半身を重点にやってましたが、中々下腹の脂肪が落ちないので、手で痛いくらい揉みながら腹筋をレッグレイズにて鍛えましたら、それから割と早く脂肪が解消されて行き、腹筋エクボが出来るようになりました。

一番体重が減った時は、体脂肪が9.8%、体重が52.5キロとなりました。
平均は、体脂肪率13〜10%で体重が54〜53キロです。食事制限は一切してません。

52キロ代になったのは、私が体力が全く無い、もやし男時代、二十歳の頃以来です。

年内いっぱいで腹がへっこめば、良いかと考えておりましたが、早く効果がでました。

おそらく、お酒を殆ど飲まなくなったのと、酒のアテを食べなくなった事が良かったようです。

そもそもアルコールはカロリーでは無く、栄養素にも、ならないようで、身体には不要の存在であるらしいですね。大脳も萎縮させる働きもあるようです。
そして、身体は、アルコールを分解する為に代謝機能が著しく落としてしまいます。
ゆえに、食べた分は分解されずに脂肪となる事となります。

言わば長年の酒毒により、代謝が落ち、脂肪がお腹にどんどん溜まっていたようです。

溜まること、痼り、塊り、昏やみ、停滞することは、先天坐では、滅び、祟、魔、劫に繋がります。

しかし、禁酒は致しません。お酒は古代、神に繋がる為の聖なる飲み物でもありました。

故に、酒を飲むも呑まないも自己責任でございます。

さて、一般の瞑想の効果とは、自己深奥にある阿頼耶識に入り真理を得る、悟る、神に通じる、神を感じる、叡智を得る等があると考えますが、先天坐はそれも含みますが、それだけではありません。

先天坐とは唯一無二の炁を練るにあります。

故に坐により、胎息を経て、自己の天と地を回天させ、肉眼や霊眼では決して観て感知出来ない、人体の霊的神秘なる七つの経を開き、八つの剛流が回り、自信の百神と通じ、天の性命を覚え、本性に還り、素直となりて、氣を練り固まり、精が結び、神が凝る。
精は炁水、真水であり、氣は精の根であり、精は神の舎(いえ)であり、「精・氣・神」の後天の三宝は円霊となり、その本質に還ります。

還ればこそ、自己の天命を悟る事となります。

神が凝れば(凝るとは、濃くなる厚くなるの意味)天地万物に通じ適し、その命は性霊を活発に動かします。
全ての奥竅は天地吾人と運(めぐ)り、真炁が練られます。

故に、坐の精神、平・静・黙・誠・堅・恒にて、気を練れば、神に通じ、虚に還り後天の氣を化して、先天の炁と合する事も可能となります。

人間には、清い魂と濁った魄があり、肉体に宿っております。

此処に肉体を司る、魄の役割は大変重要となります。

何故ならば、今、肉体がある間にしか、天人合化の源なる先天坐を短期間で取得出来る法則が無いからです。

魂霊の世界では、現の世程、修業が神化しないからです。

この混濁の世こそ、修養と道を修めるに適した環境となります。

まして、この日本国。かつての神の国。日本に生まれ、修行出来る幸せを噛み締めねばならないと考えます。

話が逸れましたが、魄が主体となる体主霊從では、魄は世に争いや我よし、歪み合う世界を造り出してしまいます。
しかし、魂が主体となる霊主体從では、魄は魂に従い、正濁を得て、物質世界へも調和をもたらします。

坐こそが魂魄を神化させ、主従の道を明らかにさせます。

そして、身体の活用による先天後天の炁気の調和へと至ります。

今、身体の鍛練をするなかで、坐と同様に、その肉体の重要性をひしひしと感じております。

私のダイエットをする為の運動は終わりです。

これからは、道を修める為の肉体の鍛練をしていくつもりです。

この身体は神様から賜った、器であります。

年齢と共に堕ちていく、身体能力や体力を元気に保ったまま、天地神にお返しする為にも、日々、鍛練に励みたいです。


「老人は金を貯めるよりも筋肉を貯める。」は至言でございます。

筋肉は年齢に制限なく、誰でも鍛えれば、増えていきます。

そして、筋肉を鍛える事によって、若返りホルモン「マイオカイン」が分泌されます。

このホルモンは、脳と腸を活性化させ、免疫力を向上、精神的にも鬱を解消させる働きがあるようです。他にも様々な効果があるようです。

道を歩み、坐を為す者は、自己の肉体をも鍛練すべきであると、考えます。

そして、健康的な肉体を保ちながら、あの世へ、神の元へと、帰るのであります。









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