昨日は昼間は強い雨が降っていて、うっとおしい一日だった。
雨の日は気分も重い。
いつものようにブログを書き、TVを見て、ご飯を炊いて、ジムやプールも休みなので、メリハリも無く、やれば出来るであろうと頭の中で考えている様々なことも先延ばしし、ただなんとなく過ごしている感じである。
夕方になって雨もあがったので、ささやかなやれば出来る事で継続事項の一つでもある、読書をするために(主に古代史考古学関係)駅前に出かけた。
図書館で借りた、縄文時代関係の本を、読み終え弥生時代関係を読み始めた。
今図書館で借りている本は、旧石器時代、縄文時代、弥生時代の三冊の写真や図表を大量に盛り込んだビジュアル系の本で、各ページに必ず遺跡や遺物のカラー写真や図表が入っていて分かりやすく、発行年も2011年の為最新のデータや考え方が引用されていて、初心者向けでなく、多少専門的に解説されている。
考古学古代史関係は、年とともに新しい発掘資料や考古学関連分野の様々な周辺化科学(例:DNA 気候変動、環境、医学、地震学、地学、植物・動物学、文化人類学、天文学・・・・・)の成果も反映されるので、2-30年たつとそれまでの学説が、陳腐になるどころか、全く否定されることもよくある。
こうしたことは、同じ「物や事象」を対象とする科学技術の分野ではまれである。
科学技術の分野の研究では、過去の研究の蓄積のうえに成り立っていて、すべての事柄や理論は、実験に再現性があることが基本である。
しかし、考古学は発掘された資料を基に当時の状況を推定し復元するために、発掘された資料そのものの普遍性・特殊性や偏りや地域性や年代が問題となる。
発掘例が少ないと、発掘された資料だけでその当時の時代像を作ると、誤った見方になることが多い。
確率的問題が、大きく左右するのだ。
確率論、統計理論から言えば、サンプル数が多い程、サンプルの平均的性格を知ることができるが、サンプル数が少ないと、推定する内容のバラツキが大きくなる。
現実問題、例えば私が中学生の頃学んだ縄文時代は、狩猟採集の原始的な放浪生活を送っていたように考えられていたが、近年では縄文時代にも、集落があり水田稲作こそ無かったが、栗やドングリといった食料になる木の実を計画的に採集したり林を整備したりしていたことも分かっている。
猟も、槍を持って山野を駆け巡るだけでなく、計画的に落とし穴を作って追い込み猟のようなことをしたりしているし、川ではサケ漁が行われた可能性も指摘されている。
三内丸山遺跡を見れば、縄文人が放浪の狩猟採集生活をしていたイメージとは違うことがよく分かる。
今まで、今借りている3冊以外にも、多くの古墳時代、弥生時代、の本を読んだが、旧石器時代や、縄文時代の本は、ほとんど読んでいなかったので、新しく知ったことが多かった。
今後も、古代史考古学関連の本を読み、自分の中で問題点や時代像を掘り下げていきたいと思う。
夕食後、偶然の機会にダウンロードしたグーグルのPicasa3をさわっていると、1990年代後半に取り込んだ写真や、スキャナでスキャンした画像データもアップされていた。
このグーグルのピカサは顔写真のピックアップもあって、PCに保管されているすべての写真に写りこんでいる写真やイラストの顔のみを抽出してUPする機能がある。
それには驚いた。
単なる風景写真に映っている人の顔まで一枚ずつ表のように大量の顔写真が並べられていて名前が付けられるようになっている。
写真に、知人なりの人名を入れると、そのデータがグーグルと共有されるのだろうか。
ある意味グーグルが、航空写真と地上景観地図同様ここここまで人物を特定し、業務上のサービスに活用しようという姿勢に、SFの世界の不気味さを感じたので、使用をやめようと思っていた。
だがとりあえず全体を見てからと思い、いろいろこのソフトを見ていると、あらゆる画像が年代別にUPされていることが分かった。
古いものを見るとずいぶん不要な写真やスキャンした画像があったので、せっせと消去した。
このソフト、非常に便利がいいが、同時にこのデータがグーグルに握られることをどう考えればいいのか。
便利さと引き換えに、ある意味クラウドに管理され、握られていいのか気になった。
国の総背番号制は気にならない。
なぜなら、国は我々国民の手で動かせる。
しかし、グーグルのような民間企業は我々には動かせないのだ。
雨の日は気分も重い。
いつものようにブログを書き、TVを見て、ご飯を炊いて、ジムやプールも休みなので、メリハリも無く、やれば出来るであろうと頭の中で考えている様々なことも先延ばしし、ただなんとなく過ごしている感じである。
夕方になって雨もあがったので、ささやかなやれば出来る事で継続事項の一つでもある、読書をするために(主に古代史考古学関係)駅前に出かけた。
図書館で借りた、縄文時代関係の本を、読み終え弥生時代関係を読み始めた。
今図書館で借りている本は、旧石器時代、縄文時代、弥生時代の三冊の写真や図表を大量に盛り込んだビジュアル系の本で、各ページに必ず遺跡や遺物のカラー写真や図表が入っていて分かりやすく、発行年も2011年の為最新のデータや考え方が引用されていて、初心者向けでなく、多少専門的に解説されている。
考古学古代史関係は、年とともに新しい発掘資料や考古学関連分野の様々な周辺化科学(例:DNA 気候変動、環境、医学、地震学、地学、植物・動物学、文化人類学、天文学・・・・・)の成果も反映されるので、2-30年たつとそれまでの学説が、陳腐になるどころか、全く否定されることもよくある。
こうしたことは、同じ「物や事象」を対象とする科学技術の分野ではまれである。
科学技術の分野の研究では、過去の研究の蓄積のうえに成り立っていて、すべての事柄や理論は、実験に再現性があることが基本である。
しかし、考古学は発掘された資料を基に当時の状況を推定し復元するために、発掘された資料そのものの普遍性・特殊性や偏りや地域性や年代が問題となる。
発掘例が少ないと、発掘された資料だけでその当時の時代像を作ると、誤った見方になることが多い。
確率的問題が、大きく左右するのだ。
確率論、統計理論から言えば、サンプル数が多い程、サンプルの平均的性格を知ることができるが、サンプル数が少ないと、推定する内容のバラツキが大きくなる。
現実問題、例えば私が中学生の頃学んだ縄文時代は、狩猟採集の原始的な放浪生活を送っていたように考えられていたが、近年では縄文時代にも、集落があり水田稲作こそ無かったが、栗やドングリといった食料になる木の実を計画的に採集したり林を整備したりしていたことも分かっている。
猟も、槍を持って山野を駆け巡るだけでなく、計画的に落とし穴を作って追い込み猟のようなことをしたりしているし、川ではサケ漁が行われた可能性も指摘されている。
三内丸山遺跡を見れば、縄文人が放浪の狩猟採集生活をしていたイメージとは違うことがよく分かる。
今まで、今借りている3冊以外にも、多くの古墳時代、弥生時代、の本を読んだが、旧石器時代や、縄文時代の本は、ほとんど読んでいなかったので、新しく知ったことが多かった。
今後も、古代史考古学関連の本を読み、自分の中で問題点や時代像を掘り下げていきたいと思う。
夕食後、偶然の機会にダウンロードしたグーグルのPicasa3をさわっていると、1990年代後半に取り込んだ写真や、スキャナでスキャンした画像データもアップされていた。
このグーグルのピカサは顔写真のピックアップもあって、PCに保管されているすべての写真に写りこんでいる写真やイラストの顔のみを抽出してUPする機能がある。
それには驚いた。
単なる風景写真に映っている人の顔まで一枚ずつ表のように大量の顔写真が並べられていて名前が付けられるようになっている。
写真に、知人なりの人名を入れると、そのデータがグーグルと共有されるのだろうか。
ある意味グーグルが、航空写真と地上景観地図同様ここここまで人物を特定し、業務上のサービスに活用しようという姿勢に、SFの世界の不気味さを感じたので、使用をやめようと思っていた。
だがとりあえず全体を見てからと思い、いろいろこのソフトを見ていると、あらゆる画像が年代別にUPされていることが分かった。
古いものを見るとずいぶん不要な写真やスキャンした画像があったので、せっせと消去した。
このソフト、非常に便利がいいが、同時にこのデータがグーグルに握られることをどう考えればいいのか。
便利さと引き換えに、ある意味クラウドに管理され、握られていいのか気になった。
国の総背番号制は気にならない。
なぜなら、国は我々国民の手で動かせる。
しかし、グーグルのような民間企業は我々には動かせないのだ。