散歩者goo 

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昨日記121112月(18/13晴 炊飯忘れ)

2012年11月13日 12時50分51秒 | 日記(昨日記・今の思い考え・行動・情況)
昨日は、またも炊飯するのを忘れ、肉入り温野菜を暖め終えて、ご飯を切らしていることに気がついた。
その前の日に、翌日の午後にご飯がなくなり、昨日の午前中に炊飯する必要があることを知っていた。
うっかり忘れの若いときからの癖は、いまだに治らない。
ケアレスミスも、学生時代からの癖で、いまだに毎日ある

中学校のときに、英語の冠詞をつけないと担任の英語教師から怒られたことがあった。
他の生徒が出来ているのに、私が出来ていない、授業をまともに聞いているのか、ということだった。
大きな間違いはしないが、小さなケアレスミスは昔からよく起こしていた。
今でも、誤字脱字変換ミスや句読点の打ち方や、文を入れ替えたり修正して関連して修正するべきところが未修正のままであったり、とにかくブログを見直すと必ず誤りが見付かる。
見直しが手間なので、書きっぱなしのブログもずいぶんある。(恥ずかしいことだと思っている。)

大体何かに感動したり、興味があることを調べると、それ以外のことが飛んでしまうことが多いようだ。
数年前に、高校の数学をブラッシュアップしたときは、ずいぶんケアレスミスが減り喜んでいたが、数学のブラッシュアップをやめると、再び増えだしたような気がする。

数学問題を解く場合や、数式の計算問題ケアレスミスが一つでもあれば、正解は得られない。
科学全般に言えることだが、理工学系の場合は、答えがはっきりしていて、正解か間違いかしかない。
再現性の無い、理論解析は間違いなのである。
科学の場合、誰がやっても正確に実験や計算すると100%再現性があり、再現できない場合はそれ以外の要素が含まれるので、そのことが、新しい因果関係追求の研究対象になる。
その点、人文・芸術系の場合は、人間の価値観が中心なので、正解が無い場合も多い。
科学の中でも数学は、論理の操作だけで正解を導きだし、白黒がすぐに出る。
ケアレスミスがあり、論理操作を誤ると正解は出ないので、問題を読むのも注意して読むし、計算や証明過程でも注意して計算や証明をするので、ケアレスミスをなくすトレーニングにはよいように思う。
再度、数学のブラッシュアップを始め、ケアレスミスを無くさなければと思っている。

昨日は急いで昼食のオニギリを買いに出かけ帰宅後、食事の前に米を研いで10食余りの米を炊飯器にかけてから、昼食をとった。
昼食後は、炊き上がったご飯を計量しラップに包む作業に追われた。
その後食材が不足していることが分かり、食材の買出しにも行った。
もともと昨日は、大阪歴史博物館を見に行く予定だったが、予定がすっかり狂い歴史博物館に行くのはあきらめ、天満橋のカフェで本を読んだ。
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11月12日(月)のつぶやき

2012年11月13日 02時06分58秒 | 携帯メール投稿・つぶやき twitter
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