今、近畿地方は、紅葉の盛りという。
今日は、快晴で紅葉狩りといきたかったが、準備不足で出発時間を読み違え果たせず、悔しい思いをした。
その紅葉狩りに関しては、11月22日の朝日新聞の文化欄に、国際日本文化研究センターの白幡洋三郎教授の、紅葉狩りに関しての論考が載っていた。
それによると、1600年代には、「紅葉狩り」も「桜狩」も言葉として存在しているが、桜狩は、詩歌を中心に使われていたという。
江戸時代には、「花見」や「紅葉見」が一般に使われていたという。
では、紅葉狩りはいつごろから普及し始めたのだろう。
更に16世紀以前は、どうだったのだろう。
いつごろから、花見や紅葉狩りという遊びが定着したのだろうかといった、疑問が沸いてくる。。
多分、これに関しては、歴史的・哲学的な面白い問題をはらんでいるような気がする。
因みに8世紀から16世紀初頭までに詠まれた19万首の和歌のうち「紅葉狩り」は3例しかないという。
「さくら狩り」は68例、「花見は」1517例、「さくら」は5500例を越すという。
現代では、花見と並んで、ますます盛んになる「紅葉狩り」の歴史が意外に新しいことを興味深く思うと共に、花見や紅葉狩りの原点と物見遊山の関係、更には日本人の自然観と風景の認識や、日本庭園等の関連を考えると、興味は尽きない。
今日は、快晴で紅葉狩りといきたかったが、準備不足で出発時間を読み違え果たせず、悔しい思いをした。
その紅葉狩りに関しては、11月22日の朝日新聞の文化欄に、国際日本文化研究センターの白幡洋三郎教授の、紅葉狩りに関しての論考が載っていた。
それによると、1600年代には、「紅葉狩り」も「桜狩」も言葉として存在しているが、桜狩は、詩歌を中心に使われていたという。
江戸時代には、「花見」や「紅葉見」が一般に使われていたという。
では、紅葉狩りはいつごろから普及し始めたのだろう。
更に16世紀以前は、どうだったのだろう。
いつごろから、花見や紅葉狩りという遊びが定着したのだろうかといった、疑問が沸いてくる。。
多分、これに関しては、歴史的・哲学的な面白い問題をはらんでいるような気がする。
因みに8世紀から16世紀初頭までに詠まれた19万首の和歌のうち「紅葉狩り」は3例しかないという。
「さくら狩り」は68例、「花見は」1517例、「さくら」は5500例を越すという。
現代では、花見と並んで、ますます盛んになる「紅葉狩り」の歴史が意外に新しいことを興味深く思うと共に、花見や紅葉狩りの原点と物見遊山の関係、更には日本人の自然観と風景の認識や、日本庭園等の関連を考えると、興味は尽きない。