中断していたスウェーデン・フィンランド視察旅行の報告を続けます。
スウェーデンの人々にとって、短期の利益や便利さよりも、自然と一体化した生活のほうが優先的に重要である、ということをもっとも実感したのは、ストックホルム近郊のハンマルビー再開発地区を視察した時のことです。
そこでは、工業地帯だったところが住宅地として再開発されています。
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細かい点は省きますが、町の背後にはしっかりと自然が残され、太陽光エネルギーや生活ゴミから作られるバイオガスなどでできるかぎりエネルギーが自給できるように工夫されており、ゴミがほとんどリサイクルできるようなシステムが作られており、排水等が完全浄化されて海に流されるようなっている、などなど、みごとなまでに計画的・体系的に「持続可能な都市」開発がなされていることに驚きました。
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それ以上に驚いたのは、説明に当ってくれた市の都市計画担当者に、「この計画は外部の知恵――私の意図は「都市と自然の調和を提案する学者など」という意味――を借りたのか」と質問すると、「いや、私たち市の計画課で考えたのだ」という答えで、「どうしてこういう――私の意図は「持続可能な」という意味――街を作ろうと思ったのか」と質問すると、「住宅が足りなかったから」という答えが帰ってきたことです。
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この後もいくつか角度を変えて聞いたのですが、期待したような答え――識者から、「これまでの近代的な都市とはちがった、新しいエコロジカルに持続可能な都市が必要だ」というアドヴァイスを受け、これまでの考えを改めた、等々――は返ってこず、とうとう私は質問を続けることを断念しました。
彼らつまり市の都市計画課の職員も含むスウェーデン市民にとって、人間の生活と自然の調和が必要であることは、改めて言う必要のないほど当然・自明のことであるようです。
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自然と人間は分かちがたくつながっていることへの思いが、彼らの心の奥深くに経済を含むあらゆる行動の規範となるくらいしっかりとした価値観として根付いているのだと思われます。
それは、「北欧の神秘主義的自然観」という言葉で語られるもののようで、これが日本人の自然観 * と決定的にちがうところかもしれません。
このあたりのことについては、まだ知識不足でこれからさらに学んでいきたいと思っている点です。
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