スウェーデン社会民主党党綱領を学ぶ 3

2008年12月30日 | 持続可能な社会

 スウェーデン社会民主党党綱領は、下記に引用したような理念の提示から始まっています。

 先に私のコメントを述べさせていただきます。

 ここでまず注目すべきことは、自由・平等・友愛という近代民主主義の理念がしっかりと堅持されていること、しかし「友愛」といういわば心情的・主観的な理念が「連帯」というより具体的・実際的な理念に置き換えられているところにスウェーデン人の堅実さ、いい意味でのプラグマティズム(実用主義)が表われていることです。

 こうした「理念・理想」が単なる建前にとどまらず、驚くレベルにまで実現されてきたのですから、感動です。

 さらに注目すべきことは、この3つの概念が相互に矛盾するものではなく、むしろ相互に促進する条件であると捉えられていることです。

 日本ではしばしば識者が「自由か平等か」という不毛な議論をしていますが、その場合の「自由」はほとんど「私的所有の自由」と「私企業の自由」や「自己決定・自己責任」といった意味にしか使われていないようです。

 しかし綱領では、自由には2つの側面があり、しかも優先的なのはすべての人にとっての「外部からの強制や抑圧、飢え、孤立、将来についての恐れ、こうしたものからの自由である」ことがはっきりと把握されています。

 その上でしかも、「自由はもう一方で、参加し、他の人々と共に物事を決定し、安全なコミュニティのなかで個人として発達し、自らの人生について自己決定し将来を選択する、そのような自由を意味する」と、人間の「自由」が本質的に、自分独りの勝手な行動が許容されることではなく、「他の人々と共に」「安全なコミュニティのなかで」獲得され行使されるものであることが把握されています。

 「自由」がこういうふうに本質的に理解されるならば、そういう「自由」は必然的に「平等」と一致するものであり、そういう「自由」と「平等」は「連帯」してこそ獲得できるものであることは明快です。

 その社会科学的かつ哲学的な洞察の的確さには驚くばかりです。

 来年もう一度くわしく述べたいと思いますが、こういう「連帯」の理念が、「聖徳太子十七条憲法」の「和」という理念と、みごとに重なることは言うまでもありません。

 以下、ぜひじっくりと読んでみて下さい。日本も含めた人間・人類の未来について、感動と希望を感じていただけるのではないでしょうか。
 


 民主的社会主義

 社会民主主義は、民主主義が徹底されすべての人が等しく扱われる社会を理想としている。皆が連帯し、自由で平等な社会こそ、民主的社会主義の目標である。

 人は誰も、個人として発達し、自分自身の人生の主人公となり、社会に影響力をもつためには、まず自由でなければならない。自由には二つの側面がある。まず、外部からの強制や抑圧、飢え、孤立、将来についての恐れ、こうしたものからの自由である。またそればかりでなく、自由はもう一方で、参加し、他の人々と共に物事を決定し、安全なコミュニティのなかで個人として発達し、自らの人生について自己決定し将来を選択する、そのような自由を意味する。

 このような自由は、平等を前提とする。平等とは、すべての人々が、それぞれの条件は多様であっても、自らの人生をかたちづくり、社会に関与していくために、等しい機会を与えられている、ということである。こうした平等が実現するためには、人々は多様な選択をおこない、また様々な方向に自己発展できなければならない。また、こうした多様性ゆえに、日常生活や社会全体に対する権力や影響力において、格差が生じたり、無力な層が現れたりしてはならない。

 自由と平等は、一人ひとりの人権の問題であると同時に、社会が一人ひとりにとって最適な解決を生みだしていくということである。その結果として、一人ひとりの人生が可能性に満ちたものになるための基礎が築かれることになる。人間とは社会的存在であって、他の人々との協力関係のなかで発展し成長するものである。また、個人の福祉にとって重要な事柄の多くは、他の人々と共に生みだされるものである。

 共通の利益のためには連帯がなされなければならない。私たちは相互に依存しあっており、良い社会とは相互に協力しあい、配慮しあい、尊敬しあうことから生まれる。連帯は、こうした事実を洞察することから生まれる人々の結合である。誰も、自らが直面する問題の解決を模索する際に、同じ権利と機会を有しなければならない。誰もがそのために同じ義務を負わなければならない。連帯は、個人が発展し成功を収めるために努力し競争することを排するものではない。連帯が排するのは、ある人々がその利益のために他の人々を搾取するようなエゴイズムである。

 すべての権力は共にその社会を構成する人々に由来するものでなければならない。経済的な利害から民主主義に制約をかける権利は誰にもない。これに対して、民主主義は常に経済の条件を形成していくことができるし、また市場の働きを制限することができる。

 民主主義は多様な方法で、かついくつかのレベルで実践されなければならない。社会民主党が目指す社会秩序のもとでは、人々は市民としてまた個人として、社会の大局的な発展方向についても、また日常の社会活動についても影響力を行使できる。私たちが勝ち取ろうとする経済秩序のもとでは、すべての人は、市民として、賃金労働者として、消費者として、生産のあり方や再分配にかんして、また労働組織や労働生活の条件について、その決定に参加できる。

 社会民主党の目標は、上層と下層への分裂も、階級の壁も、性差による分断も、人種的対立もない社会、偏見と差別のない社会、誰もが必要とされ、自らの場所をもつ社会、誰もが同じ権利、同じ価値をもつ社会、すべての子供たちが自由で自立した大人に育つことができる社会、誰もが自由にそれぞれの課題を追求し、個人として発展し、他の人々と対等に連帯しながら、コミュニティのために問題解決の最善の方法を模索する社会、である

 こうした民主的社会主義の理念は、先の世代から受け継がれ、経験から再構成され、そして今日の、また明日の政治的闘争の原動力となっているものである。万人はその価値の上で平等であり不可侵である。この確信こそ、社会民主主義がその根源にもつものである。



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コメント (8)
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