*今回以降の記事の内容は本ブログですでに公表している「持続可能な社会の条件―自然成長型文明に向けて」とある程度重なっていますが、相当なヴァージョンアップもしていますので、お読みいただけると幸いです。
環境問題解決のための4象限の条件
環境問題を考えるうえで私にとってもっとも大きなヒントになっているのは、アメリカの思想家ケン・ウィルバーの「4つの象限」という考え方です(『進化の構造1・2』松永太郎訳、春秋社)。
ウィルバーは、世界や人間を全体として捉えるためには4つの面=象限を区別したうえでそれぞれをすべて見る必要がある、と言っています。
「4象限」を図表にすると、縦軸、横軸で区切られたグラフになります。上は個別・個人の象限、下は集団・社会の象限、右は外面、左は内面です(前掲『進化の構造1』196頁より引用)。
例えば消費について考えて見ると、この四つの象限すべてが関わっていることがわかります。
まず、まず外面的に観察できる個人の個別の消費行動があります。これが「右上象限」です。
それは考えてみると、個人の心の中・内面で起こっている購買意欲によって行なわれるものです。これが「左上象限」にあたります。
ところが、個人がいくら買いたいと思っても、貨幣経済という文化つまり集団が共有する内面がなかったら、ただの紙であるお札がお金と見なされて物を買えるということは起こりません。それが「左下象限」です。
さらに、実際に買い物ができるためには、社会の外面的な仕組みとして商品流通システムがあって、商品が流通していなくてはいけません。それが、「右下象限」にあたります
こういうふうに、世界で起こっていることにはすべて必ず4つの象限がある、とウィルバーは言っています。
他の事例についても、ぜひご自分でシミュレーションしていただくといいと思います
環境問題の解決に関してもこの4象限という枠組みで見ると、何が不十分だったのかがはっきり見えてきます。
これまで、省エネやソーラーなどなどのエコロジカルな技術や、リサイクルやエコグッズなどなど市民・消費者はどういう行動をどうしたらいいか、あるいは環境にやさしい社会システムはどうやったらできるのか、という外面つまり右側象限の話はかなり深められてきましたが、左側つまり個人の心・価値観や社会の内面としての文化についての洞察や対策が十分ではなかったのではないでしょうか。
社会システムについて典型的なものの一つは、国連大学が中心になってやっている「ゼロ・エミッション(ゴミゼロ)社会」の構想です。
不十分ながら日本政府の「循環型社会」というのもあります。
そしてより本格的なものとしては、スウェーデンの「エコロジカルに持続可能な社会・緑の福祉国家」という構想もあり、これは驚くべきかつ喜ぶべきことに、着々と実行―実現されつつあるようです。
(しかし、私はスウェーデン・モデルでもまだ不十分で、さらに行き着くべき先として〈自然成長型文明〉という文明の方向を考えています。これについてもすでに本ブログの記事で若干述べています)。
ところがこれまで述べてきたとおり、日本国民の多数にそういうことをほんとうにやる気があるのかどうか、またそれをほんとうに実行する力のある集団、あるいは国民的合意が獲得できているのか、という問題になると、ここが決定的に不十分だと思われます。
国民の大多数が「無理ではないか」と思っていたり、特に指導者たちは本音で言うと「今の経済システムを急に変えるわけにはいかない」、「まず景気対策が先だ」、「持続可能な経済成長だ」、さらにひどいケースでは「環境問題が深刻になる頃には私はもう生きていない(だから知ったことではない)」と思っているのではないでしょうか。
この点に関して、環境を論じる学者や環境運動に関わる市民の多くは、政府や企業の外面的な問題について批判をしてきましたが、どうしたら個々人、特に政・官・財のリーダーたちも含んだ国民全員の内面を変えることができるかという点については、方法・対策はもちろんそもそも問題意識も不十分だったのではないか、と私は見ています。
その結果、ここ数十年多くの心ある方々が真剣に取り組んできたにもかかわらず、国民の過半数以上の内面=価値観や欲求のあり方は変わらず、したがって集団の内面としてのエコロジカルな文化も形成されず、だからそういう国民によって選出されるリーダーの内面=基本的な価値観や発想も変わらず、さらにしたがって集団の外面としての持続可能な社会システムも構築されていない、つまり環境問題は根本的には解決されていない、どころか解決の方向に向かってさえいない、ということではないでしょうか。
(あまりにもがっかりさせるような言い方で、広報戦略としてはもっと希望のある言い方をしたほうがいいのかもしれませんが、このことのシビアな認識からしか私たちは出発できないのではないか、と筆者は考えています。)
そして世界全体としては依然として、先進国はやはり「経済成長を続けたい」、開発途上国は「先進国並みになりたい」と考えており、日本もそれに追随しているわけですが、それでは、世界全体も日本も、そもそもの問題である資源の大量使用―大量生産―大量販売―大量消費―大量廃棄というパターンを克服できるはずはありません。
では、環境問題の解決、ほんとうにエコロジカルに持続可能な社会の実現には何が必要かというと、第1・右上象限では「環境に調和した個別の技術や個人の行動」です。
これをどうすればいいかについては、すでにそうとう程度見通しがついていると思われます。
次に、第2・左上象限の「環境と調和した生き方をするのが、いちばんいい生き方でいちばん幸せなのだと感じるような個人の欲求構造」です。
環境を壊すような生活は、「してはいけない」のではなく「したくない」と思うような心のあり方です。
そうした欲求構造を育むことは、容易ではないが可能だ、と私は考えています。本連載では次回からその点を集中的に考えていきます。
それから第3・左下象限の、環境との調和を最優先して、なおかつ個人に対しては自然な欲求を育んでいくような方向付けを絶えず行なう文化です。
つまり、例えば子どもが学校で教わっていると自然・環境を壊すようなことをしたくなくなるような教育が行なわれる社会です。
そしてもちろん言うまでもなく、第4・右下象限の、環境と調和した社会システム、特に生産システムが必要です。
この4つの象限の条件が全部そろえば、「エコロジカルに持続可能な社会」はまちがいなく実現するでしょう。
ほんとうに持続可能な社会秩序を創り出すために必要なものはこれら4つの側面すべてであり、さらに実行レベルでいうと、まず4つの象限をすべてカバーしたヴィジョンです。
それらすべてを調えることができれば、いわゆる「環境問題」は根本的に克服できる、逆に言えばそれらのどれが欠けても克服できず、人類社会は近未来大規模な崩壊状況に直面せざるをえなくなると思われます。
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