教育の愉しみ?

2010年01月29日 | 心の教育

 先週、教えている3つの大学すべての授業が終わり、週末には教え子の結婚式の司式をし、日曜日には「持続可能な国づくりの会」で、会の「理念とビジョン」のパンフレットを民主党の国会議員420名に発送し、今週から採点に没頭-忙殺状態です。

 年末もとても忙しく、去年12月に提出してもらったレポートも採点しきれていなかったので、期末試験の答案と併せて1000通以上、必死になって目を通しています。

 毎年のことですが、これはそうとうなワークで、修行と思ってやるほかありません。

 読んでも読んでも終わらないという感じですが、でも読んでいると、まさに薄紙をはがすがごとく少しずつデスクに積んだレポートの山が低くなってきます。

 今夜のところ、約6割強に達しました。ふーっ、というところ、この後も深夜まで続行の予定です。

 しかし、例えば以下のような感想をもらうと、やはり今年度も努力して教えてよかったな、と思います(公表することは予め学生の了解を取ってあります)。


 通年単位で授業をとっていて、これほど嬉しいと思ったことはないです。

 それはなぜかというと、前期のコスモロジー論を学べたからです。今ある、私の周りにあるものはすべて一つ、と考えることがすんなりできる。だから自分も含め、大学の友人、自分の彼女、そして犬や猫などの生き物、さらには自分の知らない人までとても大切な存在なんだと感じるようになりました。

 「唯識」この2文字には私達の未来がつまっている、そう感じました。たったの2文字ですが、私達にとってとても重要な2文字です。

 このレポートを書き終えた後、これを履修していない友人にこのことについて伝えました。友人は私と同じように、「宇宙と私は一体」と納得し、ありがとうとまで言われました。今年の中で一番うれしいありがとうをもらいました。

 先生ありがとうございました。これを教えてくださった先生に感謝します。

     H大経済学部3年男子


 こちらが、「学んでくれた君にありがとう!」と言いたいくらいです。

 残念ながら当然、コスモス・セラピーも唯識も万能ではなく、全員ではありませんが、しかし今年もそうとう多数の学生がこれまでの考え方が変わった、と言ってくれます。

 やはり教師と○○は三日やったらやめられないようです(正確に言えば、もちろん諸行無常なので、いつかはやめる日が来るんですけどね。当分は……です)。


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