9月30日から始まる秋の講座「ポジティヴ・シンキングの心理学」の準備に、N・V・ピールの著作のエッセンスの抜粋を作っています。
その一部をご紹介してきましたが、今日もまた一つ。
「そんなにネタを明かしてしまっていいんですか?」と心配してくださる方があったので、
「だいじょうぶです。あなたの好きな歌手の好きな歌があるとして、その楽譜とCDとライヴと、どれがいちばん感動すると思いますか?」と聞きました。
「もちろん、ライヴです」という返事。
「レクチャーも同じです。心に関しては、心理学のレクチャーのレジメを読むより、本を読むより、ライヴのレクチャーやワークショップのほうが、圧倒的に学ぶものが多いんです。だから、そのことがわかっている人は、ただのブログ記事で済ませないで、きっと講座に来るでしょう。ブログ記事でのネタ明かしは、レクチャーの案内文なんです。」
「なるほど!」
というわけで、以下、とてもいいなあと思ったポジティヴ・シンキングのエピソードをご紹介します。
エピソードの主人公はかのエディソン(エジソンとも表記)です。
故人となったニュージャージー州知事チャールズ・エディソンが、その父、有名な発明王であるトーマス・A・エディソンの不屈の闘志と立ち直りの早さについて、私に語ってくれたことがある。
一九一四年の十二月九日、ウェスト・オレンジにあったエディソンの工場が火災で焼け落ちてしまった。トーマス・エディソンはその夜、二百万ドルを消失し、労作の多くが灰になってしまった。保険には二十三万八千ドルしか入っていなかった。コンクリート造りの建物は火災になることはないと、そのころは信じられていたからである。
エディソンの息子は二十四歳、彼自身は六十七歳だった。息子は狂ったように駆けまわり、父を探した。ようやく見つけたとき、エディソンは火のそば近くに立っていたが、顔は火を反射して赤くなり、白髪は十二月の風になびいていた。
「父のことを思って、私の心は痛みました」と、チャールズ・エディソンは言った。「父は六十七歳、もう若くはない。それなのに、すべてが燃えてしまった。そのとき、父は私を見つけて怒鳴りました。『チャールズ、お母さんはどこだ』知らないと言うと、父は言いました。『お母さんを見つけて、ここに連れてきなさい。お母さんも、生きているあいだに、二度とこんな光景、見ることはできないんだから』」
翌朝、トーマス・エディソンは、すべての希望と夢を焼き尽くしたその焼け跡を歩き、そして言った。「災難というのもいいもんだ。失敗も全部、燃えてしまったんだから。まったく新しくやり直せる、ありがたいことだ」
火災から三週間、彼の新しい工場は、世界ではじめての蓄音機を作り出した。これが、人間として避けがたい不運にあいながら、不屈の精神と勇気と信念を持って生きていった男の物語だ。彼は、六十七歳という年齢を意に介さなかった。いつでも立て直しができたからである。
このような話をすると、きまって、「エディソンは天才だったから、そんなこともできたのだろうが、私はだめだ」と言う人がいる。
たしかに、エディソンはふつうの人ではない。しかし私は、天才的能力もなければ名声にも財産にも恵まれない多くの人たちが、エディソンのように力を発揮するのを見てきた。
正しくものごとを考える人なら、逆境のときに正しく行動し、正しく信じるものだ。どんなことが起こっても乗り越えることができるという信念をもてば、世界もそれに応えてくれるのである。
聖書もそのことを約束している。「あなたがたは、世にあっては艱難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです」(ヨハネによる福音書16章33節)もし、あなたが積極的な信念を持っているなら、あなたもまた、すでに世に勝っているのである。
(『積極的考え方の人生』64頁~66頁)
エディソンのような天才でない人間がエディソンのような不屈の精神と勇気をもてるようになれるのか? なれます! というのが、ピールと筆者の答えです。
これまでに書いてきた記事をよく読んで理解し、実践してください。それだけでも、かなりのところまで行けるでしょう。
それから、ご紹介してきた本も読んでみてください。
そして、できれば、できるだけ、ぜひ、講座にもお出かけください。