「現代科学のどういうポイントがニヒリズム、エゴイズム、快楽主義を克服するのか」というレポートの解答と感想の膨大な枚数を読み続けています。
その中に、大津の事件にかかわって感想や意見を書いているものがいくつもありました。すでに2回紹介していますが、あえてもう1回、紹介しておきたいと思います。
今回の感想は、1つは、いじめた側も近代科学のコスモロジーに染まっていたと思うというカミングアウト、もう1つは、自殺も辛さからの逃避という意味で「快楽主義」だと思うという意見です。
H大政策学科1年男子
今回のレポートをまとめてみて、現代科学のコスモロジーが近代化の問題点である「ニヒリズム」「エゴイズム」「快楽主義」を克服するために必要な要素を含んでいるということが分かった。
最近では大津の中学校でのいじめによる自殺の事件などが大きく報道されているが、自分の小学生のときに加害者としていじめに関わってしまったことがあり、その頃の自分は近代科学主義的な世界観だったために他のものとのつながりを否定してしまっていたのだと思った。
その当時から十年近くが立ち、多くの経験をしていく中で、多少は現代科学的な「すべてはひとつの宇宙である」というコスモロジーになってきたのではないかと思う。
これからは、この授業で教わったことを胸に、自分の人生をよりよいものにしていきたい。
上の学生は、「その頃の自分は近代科学主義的な世界観だったために他のものとのつながりを否定してしまっていた」と証言してくれています。
さらに私のコメントを加えると、特に現代日本の学校に「生存闘争」「優勝劣敗」という社会ダーウィニズム的誤解が蔓延していることが問題のポイントにあると思われます。
いじめる子どもの心の中にある「強い者が弱い者に勝つ(いじめる)のは、生物の世界の法則だからしかたないんだ、それでいいんだ」という思い込みが、自分たちがやっているいじめの正当化の理屈になっているのではないでしょうか。
それから、子どもの心の中での「(神仏なんていないんだから)隠れてやれば、バレない。バレなきゃ、罰せられることもないから平気だ」というニヒリズム的なモラル・ハザードも大きいでしょう。
そのどちらも、大人たちが善意で近代科学的コスモロジーの教育をしてきた「想定外の結果」なのではないか、と私は推論していますが、みなさんはどうお考えでしょう。
H大政策学科1年男子
この部分の先生の教科書を読んでいて、大津のいじめで自殺した中学生のことを考えていました。
思ったことは先生の講義を申し受けていれば、先生の本を読んでいれば考えが変わり、自殺なんてとてもできないだろうな、と思っていました。
いじめが辛いから死んで楽になりたい、という考えは私は「快楽主義だな」という風に感じました。
この事件を耳にしたとき、まだ現代科学のコスモロジーは浸透していないんだと思いました。
大学1年という若い時期にこのコスモロジーの存在を知れた私はとてもラッキーでした。
これから、なにか壁にぶつかったとき、このコスモロジーを私の力にしたいです。
また、このコスモロジーを広げたいです。
私は、かなり前から年度の最初の授業の時に、
「若者のかなり多くが『人生は楽しむためにある。楽しくなきゃ人生じゃない』と思っているように見えるけど、それはとても弱い人生観だよ。
そういうのを『快楽主義』というんだけど、そう思っていると、苦しくなったら、それでも生き抜かなければならない理由がわかってないから、すぐにへこむ、傷つく、病む、死にたくなる、死ぬというふうになってしまうんだよ。
そうならないために、これから、苦しくても生き抜く理由があるという話をしていくから、よかった聞いて、考えて、よかったら自分のものにしてほしい」
という話をしています。
上の感想を書いてくれた学生は――そしてもっとたくさんの学生たちも――その話=コスモロジー教育をちゃんと受け止め、受け入れてくれたようです。
こういうレポートを読んでいると、今学期も教えてよかった、苦労してレポートを読む甲斐がある、と感じます。
これからもまた、採点の合間に、いろいろご紹介していきたいと思っています。
読者のみなさんもコメントをお寄せください。