あまりに多人数の授業で質問がしにくいらしく、いつでも質問を受けると言っているのですが、授業中も授業後も、質問にくる学生はあまりいません。
レポートの感想文の中に質問を書いてくる学生はある程度いるのですが、膨大な数なので、読みはじめてすぐに気づいたもの以外、読んでいるうちに学期が終わってしまって、直接答える機会がありません。
そこで、いくつかの重要な質問には、ブログで答えることにしています。
たぶん同じような疑問を感じる方も少なくないと思うので、参考になると思いますし、何よりも質問してくれた当の学生が読んでいるといいと思うからです。
H大学社会学部1年男子
前期の授業を振り返ってみると4月・5月は少し先生の話をう呑みにしていた私がいたと思います。
それが悪いことか良いことかというのではなく、自分の頭で考えていなかったことが少し恥ずかしいです。
ですが、ここまでの先生の話は、特に宇宙と私が一体という話に入ってから、自分の頭で考えても納得のいくものだったと思います。
ただ最近のニュースや事件から、私はいくつかの疑問が出たので、質問させていただきます。
まず第一に、自発的でなく世界に絶望した人は、このコスモロジーの話を聞いて救われるでしょうか?
うつ病や生きることのたいへんさから死にたいと病む人にはある程度ためになる話だったと思うのですが、例えばいじめにあって生きることが苦しくなった人に、宇宙は自分自分と一体だ、この命には137億年の重みがあると言って、その人の心は、精神はいやされるのでしょうか?
先生の話はちんと根拠があって筋も通っていると思います。
ですが、その壮大さゆえになかなか頭で理解はできても心のどこかでは信じきれず、現実にそうは思えなくなってしまうということがあります。
つぎに、宗教が心の支えとなるコスモロジーたりうるのであれば、どうして日本人よりはるかに信仰心のあるヨーロッパや中東で争いが絶えず、治安も悪くなるのでしょうか。
しかもキリスト教の歴史を考えると(私の知る限りでは)、ないほうがマシなのではないかと思うのです。
前期、大変自分の考え方を見つめなおす機会をいただきありがとうございました。
私は、授業のプロセスで繰り返し、「僕の話を鵜呑みにしてはダメだよ。自分で調べて、自分で考えて、合意するかどうかを決めるように。もちろん僕は合意してほしいんだけど、強制するつもりはありません。思想の自由を重んじているのでね。でも、とてもいいと自分では思っているので、強くお勧めしたいだけです」とコメントします。
しかし、自分で考えることをあまり訓練されてきておらず、かつ素直な学生は、けっこう鵜呑みをしてしまうこともあるようです。
上の学生は、自分で考えた上で納得し、さらに質問も出してくれていて、こういう学び方をしてくれるととてもいいなと思います。
さて、その第一の質問の答えですが、これは他の学生たちの感想がそうとうに答えになっていると思います。
確かに始めの頃は「話のスケールが大きすぎて、ついていけない」と感じたにもかかわらず、徐々に理解と実感が進むというケースも、どこかのポイントでスッと頭に入るようになるというケースも、最後までついてこれないままというケースもあります。
しかし、苦しい状況にある時に、心の支えになったり癒しになったりするというケースがあることも確かです。
ですから、効果があるかどうかは当人の準備状態(レディネス)によってケースバイケースというほかありません。
けれども私の経験では、その時はピンと来なくても、後になってふと思い出して役に立つこともあるようですから、どんな状況にある人にもともかく聞いておいてもらっていいのではないかと思っています。
第2の質問は、これまでもほぼ同じような質問が度々あり、「宗教同士なのになぜ戦争をするのか?」という記事で答えましたので、そちらを参照してください。
またより詳しくは、拙著『コスモロジーの創造』(法蔵館)の「〈宗教〉に未来はない」(15-37頁)を参照してください。
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