現代科学はどうニヒリズムを超えるか 1

2019年06月12日 | コスモロジー

 現代科学のコスモロジーのどういうポイントがどういうふうにニヒリズム(+エゴイズム+快楽主義)を克服するのか、数回に分けて、簡単な解説を加えておきます。


 「ニヒリズム」の定義

 私のいう「ニヒリズム」のポイントは、以下のとおりです。

 これは、ニーチェからも西谷啓治先生からもフランクルからも大きな示唆を受けてきましたが、必ずしも同じではありません。

 もっとも基本的なのは「1.すべては物質にすぎない」という考え方(物質還元主義)です。

 そこから必然的に「2.精神的で絶対な存在という意味での「神」はいない」ということになります。

 すると、すべては物質で、精神的で絶対的なものはないのですから、「3a.人生の絶対的な意味はない」ということなります。

 さらに恐るべきことは、その時代、その社会で通用している相対的な倫理はあっても、「3b.絶対的な倫理もない」という結論に到ることです。

 もう一つなんとも空しいのは、「3c. 死んだらすべては物質に解体して終わり」ということになり、ばらばらの物質は残るにしても、意味としては「無になる」という結論です。

 こうした「いない」「ない」「無」がラテン語の「ニヒル」にあたり、〔物質以外〕すべては無・空しいという考え方を「ニヒリズム」というわけです。

 すべてが空しいという考え方を突き詰めて考えてしまうと、そのプロセスで心身を病み、さらに突き詰めると自殺するしかなくなります。

 そうならないためには、絶対ではなくてもとりあえずある相対的で主観的な「自分の楽しみ」、パスカルの言う「気晴らし」を追求して生きるしかなくなります。

 そして絶対なもの・いちばん価値あるものはありませんから、自分(たち)がいちばん価値がある・いちばん大事と考えておくしかなくなります。そうした「自分・エゴがいちばん大事」という考え方を「エゴイズム」と呼びます。

 一言コメントしておくと、思想用語としての「エゴイズム」は、身勝手で自己中心的な考えや言動のことではなく、自分を超えた絶対的な大いなるものは存在せず、「自分・エゴがいちばん大事」という考えを指しています。

 また、自分を超えた絶対なものはないので、すべての価値の基準は自分と自分が価値があると思うこと・楽しみになっていきます。それを「快楽主義」というのでした。

 ニヒリズムは、とことん徹底してしまえば自殺に、かなり突き詰めると身心を病むことになり、そうなるのを避けるにはエゴイズムと快楽主義しかないということに到ります。

 しかし、「人間は所詮エゴと快楽を支えに生きるしかない」と考えるのはつらいので、多くの人は自分だけでなく自分たち、快楽と言わないで生きがいや幸福と置き換えることで、そのあたりをぼやかしながら――しかもぼやかしているという自覚はなく――なんとか生き延びているのではないか、と筆者には見えます。


 克服のポイント1――「ばらばらの物質」から「一体のエネルギー」へ

 それに対してきわめて幸いなことに、まず何よりもアインシュタインの相対性理論が、「すべてはばらばらの物質(にすぎない)」という近代科学の基礎的なドグマ(教条化した考え)を「すべては一つの宇宙エネルギー」というふうに、完全に克服というか止揚(含んで超える)してしまいました。

 そして、プリゴジーヌの散逸構造論=物質の自己組織化能力の理論によって、「宇宙における物質の運動は基本的に偶然的・アトランダムなもので意味や目標はない」という近代科学のもう一つのドグマも克服され、「全体としての宇宙には自己組織化・自己複雑化という進化の方向性がある」ということになりました。

 ガモフの「ビッグ・バン仮説」以来、宇宙はたった一点に凝縮していたエネルギーが広がったもので、広がり方のゆらぎ・ムラがさまざまな現象を生み出しているが、宇宙の現象のすべてはエネルギー・レベルで見ると依然として一体である、ということになりました。これでますます「すべてはばらばらの物質の寄せ集め」という近代科学的なドグマが克服されることになったのです。

 *長くなりますので、以下、続けて掲載していきたいと思います。

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