前回の記事で、パラダイムの転換の話をしました。
それに関わる学生の感想を3つほど紹介したいと思います。
まず第1は、近代的な主客分離のパラダイムのまま、まさに私とは分離した「他人事」として「生命の科学」を学んでいた学生のエピソードです。
H大学社会学部1年男子
実は自分は「生命の科学」という授業を履修していて宇宙の誕生から生物・生命の進化を学びましたが、その時はただ「宇宙ってすごいんだなぁ」と他人事に思うだけであまり感動はありませんでした(その時はコスモロジーの授業もまだ前半でした)。
しかし他の先生の授業内の「宇宙と生命、わたしの誕生」は宇宙誕生時や星の死によって生み出された、水素をはじめとするあらゆる元素が私たち(植物や動物など万物を含みます)を形作っていること、生命の長い時間をかけたゆっくりとした歩みの結果が今の自分であること、そして何より全てはひとつの巨大なエネルギーから始まったことにはいたく心が揺さぶられ、世界が開ける感覚がしました。
学校から家へ帰る途中で授業で学んだことを思い出し、ふと立ち止まって、ひらひら舞う蝶や道端に咲く花、楽しそうなスズメたちを見ていると、「君たちも自分と同じ宇宙のひとかけらなんだなぁ」と思うとなんだか嬉しくなってウキウキしてきます。
以前よりも自分を取り巻く環境に目を向けるようになり、自然を愛する気持ちがわいてきたように思います。
前期の授業が終わってしまうのは残念ですが、もし落ち込んだ時にはゆっくりテキストを読み返してみて、「自分には、いやすべてのものには宇宙的な価値がある!」ことを思い出したいです。
自然が自分と分離した他人事ではなく自分と一体なのだという気づきは、まさに認識のパラダイム転換であり、それは実感的には「世界が開ける感覚」だったわけです。
ある意味で全く同じ世界が認識のパラダイムによってまるで違って見えるのは、当たり前と言えば当たり前、不思議といえば不思議です。
H大学社会学部1年女子
「私たちの命には137億年の歴史が込められている」という話は本当に納得と言う外言い表せないくらい、すばらしい発見であり、岡野先生の気付きにとても感動しました。
私たち人類は一つの家族であると考えれば、自然と隣人を愛するようになるし、殺人もなくなるだろうと思います。
それに自分の利益だけを追求したり生きる意味が分からなくなるということは無いと思いました。
もう少し早く先生の授業を受けたかったと思いました。
この授業は他のどの先生でも出来ない授業であると思うし、新しい気付きがたくさんあって、これからの人生で価値があることをたくさん学べました。
先生のおかげで人生観が大きく変わり、物事を前向きに考えられるようになりました。
後期も先生のすばらしい授業を心待ちにしています。
前期ありがとうございました。
上の女子学生は、「この授業は他のどの先生でも出来ない授業であると思う」と評価してくれていて、もちろんある意味嬉しいのですが、他の先生方がこういう授業をしない・できないのは能力の問題ではなくパラダイム-コスモロジーの問題であり、私が個人的に優れているということとは別のことなので、ぬか喜びはしていません。
これまでもずいぶんたくさんの学生から「もう少し早く先生の授業を受けたかった」という感想をもらいました。
日本でパラダイムの転換が起こり、他のどの先生もこうした授業が出来るようになって、学生・生徒たちがごく普通にちょうどいい時期に決してニヒリズムに陥ることがないようなコスモロジーを学べるような教育環境ができていないことに強い残念感を持っています。
しかし幸いな例外として、次のような学生もいます。
彼女は両親の影響と自分自身の優れた感性のおかげで、たまたま歴史と地学から学んだことを自分と関わりのあること・つながっていることだと感じてきたのです。
そしてコスモロジー教育の授業を受けることによって、自分が感じてきたことがそれでよかったのだという確信を得たのだと思われます。
H大学社会学部1年女子
自分は幼いころから歴史と地学に強い興味を抱いていた。
幼少期の愛読書が歴史図鑑と地学の絵本であり、大学入試ではいくつかの史学科を併願し、高校時代は地学部に所属していたほどである。
社会科教員の母と理科教員の父の影響もあるのだろうが、気づいたころにはこの二つにひかれていた。
幼心にその壮大さにひかれていたのは何となくわかってはいたが、第3章を読んで確信した。
「自分もその中の一部である」という感覚と、そこに安心感があったためである。
鉄筋コンクリートの建物が林立する日本も掘立住居に人々が住んでいた日本も同じ日本であり、現代もその流れの一部にある。
そこら中に人間が闊歩する地球もかつてはマグマの海であり、現在も地殻変動などで地球は変化の最中にある。
それを初めて知ったときの、幼少期の感動が忘れられない。
目の前にただ存在するように見える物も社会も自分も壮大な宇宙の流れの一部なのである。
よく自分の性格を周囲から「脳天気」と言われる。
どことなくマイナスのイメージも含む経営をのされ方だが、振り返ってみるとニヒリズムともエゴイズムとも快楽主義ともかけ離れた考え方で人生の重要な局面を乗り切ってきた。
もしかしたら、誰もが履修する歴史と、なかなか履修機会がない地学に、自らと宇宙の一体性に気づく手がかりがあるのかもしれない。
現代社会の苦しみを克服するチャンスに、誰もが学生時代に遭遇しているのではないだろうか。
ただ彼女も、「現代社会の苦しみを克服するチャンスに、誰もが学生時代に遭遇しているのではないだろうか」と書いているところから見ると、問題のポイントが認識のパラダイム-コスモロジーにあることには十分気づいていないようです。
昨日の例と今日の例からわかるように、どの分野であればらばらの知識を主客分離的アプローチで教えられ-学ぶだけでは、自分が宇宙の一部であるという気づきや感動や安心感を得ることはきわめて困難です。
知識を自分のこととして理解し感じられるかどうかが問題なのでず。
そういう意味では、残念ながら誰もが学生時代にチャンスに遭遇しているとは思えません。
教育関係者の方々の心の中で、1日も早く、子どもたちのために認識のパラダイム-コスモロジーの大転換が起こってほしいものです。
昨日鹿児島に帰って参りました。
台風の影響でかなり飛行機が揺れましたが、自然への畏れを実感でき、良い体験をする事が出来ました。
私も今回のレポートの生徒さん達同様に、初めて先生の講義を受けた時、もっと早くに学びたかったと思ったのを覚えております。
今回の記事を読んで、その原因は教育関係者のパラダイムがばらばらコスモロジーだからだということに大変納得しました。
多くの教育関係者の方達に『コスモロジーの心理学』を読んで頂き、パラダイム変換して頂き、それを生徒達に教えて欲しいと強く思いました。
こんにちは。無事帰着、よかったですね。飛行機の大きな揺れは怖いですね。
教育関係者の方々のパラダイム転換は、教わる側の子どものためにはぜひとも、至急してほしいことです。
コスモロジーの脱構築・解体-再構築・再建はたいへんな作業なので、なかなか困難であることは十分承知していますが、子どもたち自身のために、生きる意味・学ぶ意味を実感できるようなことを教えられるようになってほしいですね。