昨日、O大学で、「日本人の精神的崩壊の三段階」の第三段階のところを講義しました。
60年代末の大学闘争(の良質な部分)は、人間の解放・人権の尊重という「理想」を求めたヒューマニズムの運動だった。ヒューマニズムというのは、単なる思想や知識ではなく、フランス革命のことを考えるとよくわかるようにきわめて情熱的な行動を伴うものだ。
しかし、良質な部分も含めてすべて、大学の責任者たち(教授会や学長)が大学キャンパスへの機動隊導入によって鎮圧-排除してしまった。
もし、大学がほんとうに「真理の府」なのならば、教官は学生に、どんなに手間暇かかっても根気強く、理性・論理・真理の言葉によって、暴力的な運動の無意味さをわからせ、しかし学生の社会への批判・抗議の正しい部分を共有しながら、まず大学そして社会そのものの変革への共闘を誘うことが望ましかったと思う。
「ペンは剣よりも強し」というのは人間の理性と言論を信じるヒューマニズムの原点ともいうべき言葉だが、機動隊による学生の排除は、大学教師たちが本音で言えば「剣はペンよりも強し」と信じていることをあからさまにしてしまったのではないか。そこで、ペン・言論・理性の力を信じる真理の府・理想追求の場としての大学は実質的には崩壊したと言ってもいいと思う。
そして大学闘争の終わった後の日本は、高度経済成長で、そこでは「理想や社会の変革なんてめんどうなことを考えなくても、みんなでもうけて、もうけた金を分け合って楽しく暮らせばいいじゃないか」といった雰囲気が生まれ、「理想」は死んでしまった。つまり、表面はネアカ・ルンルン、心の中はシラケということになったのではないか。
ヒューマニズム-理想が死んだら、シラケる、そしてもっとつきつめるとニヒリズムになるのは当然ではないか。
という話をした後で、「ヒューマニズムは、人類の福祉・幸福を追求するもので、単なる個人の幸せを求めるものではありません。ところで、このクラスのなかに、『自分の人生を――自分の楽しみのためではなく――人類の幸福に貢献するために奉げたい』と本気で思っている人はいますか?(いないと思うけど)」という直球の聞き取りをしました。
そうすると、なんと驚いたことに、そしてうれしいことに、40人あまりのクラスの中で4人も手が上がりました。約10%です。
この10年あまり大学で教えてきた筆者の経験の範囲では、これはほとんどなかった直球の反応です。日本と世界のきびしい状況のなかで、若者たちが目覚め・変わりはじめているということでしょうか。
もしそうだとしたら、きわめてうれしいニュースです。
といっても、いまどきはすぐに折れる若者たちも多いので、糠喜びはしないほうがいいかなと思いつつも、ひさびさにうれしいニュースなので、素直に受け取ってシェアさせていただくことにしました。
初めてコメントさせて頂きます。
いつもブログ楽しく拝見させて頂いています。
4人も手が上がるなんて凄いですね。
少し希望が持てました。
こんばんは。4人の学生さんたちの反応ほんとうに嬉しいですね!
持続するかは別にして、躊躇なく挙手できるということは、本気なのだと思います。
うんざりするくらい問題山積の社会ですが、若者らしい純粋さと真っ直ぐさで、世の中を良くしようという姿を見られるのは、ほんとうに希望が持てますね。
コメント有難うございます。反応していただけると書き続ける励みになります。
若者たちの変化は希望ですね! これが特殊な例でなく持続したら、日本は何とかなると思います。
ブログでも授業でも本でも講演でも、できるあらゆる機会を捉えて、メッセージを発信し続けたいと思っています。
これからも声援をよろしく。