コスモス・セラピー=コスモロジー教育は、繰り返し述べてきたように現代科学が明らかにした事実や理論に基づいていて、ちゃんと聞いていればごく自然に納得がいくものなので、最初はまったく期待していなかった場合でも、むしろ疑ったり反発していたりした場合でも、ある段階まではスケールが大きすぎてついていけないと感じていたりした場合でも、どこかの段階で大きな変化をもたらすことがしばしばあります(もちろん少数――平均的に10%以下――最後まで理解できない、ついていけない、理解できても変わりたくないというケースもあります)。
以下の2つは、最初はついていけなかったというケースとまったく期待していなかったというケースです。
H大学社会学部1年女子
私は今までどちらかというと、近代科学のコスモロジーよりだった。
生きることに何の意味もないと思っていたのだ。
しかし、先生の授業、コスモロジーの心理学を読み、現代科学のコスモロジーを知って、私は今まで何をして来たんだろうと我に返ったような気持ちである。
特に感動した点が2つある。
1つは、私は、生まれることは選べないが、それを贈り物として捉えることができるということ。
このことに気づけたおかげで、今まであまり関係が上手くいっていなかった両親に感謝の気持ちを表せるようになった。
2つ目は、私達自身が宇宙であること。
スケールが大きすぎて、授業や本を読んでも最初はついていけなかったのだが、身近なものがすべて私たちの家族であるという事実を受け入れて、改めて実感し、感動した。
先生の言った通り、本当に自分の人生観が変わったので、驚きとうれしい気持ちでいっぱいである。
上の女子学生の「私は今まで何をして来たんだろうと我に返ったような気持ち」というという言葉は自分の肯定的な変化の感じをとてもよく表現していて、印象的です。
「宇宙とつながった私・宇宙と一体の私」という事実に気づくということは、「本当の自己に目覚める」という仏教の覚りの入り口のようなもので、気づくと、まさに「我に返ったような気持ち」になるのですね。
H大学社会学部1年男子
私は、この授業を受けて、自分のもどかしく何とも言えない感情に対して一蹴してくれたと思う。
私がこのニヒリズムやシラケといったそのものの考えだったからである。
しかし、私はこんな状態の自分や毎日に不安のようなものを持っていた。
だが、既存の宗教や考えではどこか他人の話のように思えてならず、結局自分のこのどうしようもない感情には応えてくれなかったのである。
だからこそ、この授業ですらたいした期待を持っていなかった。
けれども、授業内でおっしゃられた「地球も宇宙なんだよ」という言葉から考えが一変した。
今まで宗教は、現代の科学が発達した社会においてどこか矛盾点をはらんでいた。
しかし、この現代科学のコスモロジーはそんなところが一切なく、むしろ科学と宗教の一体となった考え方で、従来のそれとは一線を引くものでした。
私は人に納得させられるのがあまり好きではないので、ここまで納得させられたのはとても悔しいのですが、生きていく上でとても心が明るくなったので、岡野先生には大変感謝したいです。
最初は大した期待を持っていなかった上記の学生は、話の流れの中の1つの言葉をきっかけに世界観が変化したことを報告してくれています。
「既存の宗教や考え」では答えられなかった人生の根本的な問い=ビッグ・クエスチョンへの答えが現代科学のコスモロジーにあることにはっと気づいたわけです。
現代科学のコスモロジー(のコスモス・セラピー的解釈)は、宗教のエッセンスと科学の妥当性を統合しうるものだと私は考えていますが、それについてこの学生とも合意を獲得することができました。
時々あるケースですが、この学生も、「他人に説得された」という感じがあったのでしょう、「ここまで納得させられたのはとても悔しい」と感想を述べています。
本当は私の伝えた事実と理論によって「自己納得」し「自己変容」したのですから、自分の自己変革力をほめてあげればいいので、悔しがる必要はないと思うのですが。
論理療法、認知療法、認知行動療法などの臨床的・実証的研究が明らかにしているとおり、その人のものの考え方・認知の枠組みが変わると驚くほどものの感じ方・感情が変わり、行動も変わります。
コスモロジーはものの受け取り方のもっとも大きな枠組みですから、それが変わると人生や世界の見え方も根本的にといっていいくらい変わります。
最初の女子学生の場合は、「生きることに何の意味もない」という人生感覚から、「我に返ったような気持ち」、「感謝の気持ちを表せるようになった」、「驚きと喜びでいっぱい」という変化を遂げていますし、後の男子学生の場合は、「もどかしく何とも言えない感情」、「ニヒリズムとシラケ」、「不安」といった感情から、「生きていく上でとても心が明るくなった」という変化を遂げています。
実は、こうした変化が一時の感動にとどまらずどのようにパーソナリティ構造にまで定着していくかという次の課題はあるのですが、彼らは(そして数百人の学生たちも)、ともかくニヒリズムからの脱出口はまちがいなく見つけたと考えていいと思います。
学生の感想を繰り返し読むという機会は、定着への良き機会だと思います。
それにしても、学生さんの感想の質・量がものすごいですね。
記事の更新と後期の感想も期待しています。
同じ授業をそれぞれがそれぞれのニュアンスで受け止めてくれています。
学生たちのさまざまな感想を読んでいると、「多様性と統一性」という言葉を思い出します。
教育に関心のない方は、似たような感想の連続に飽きてくるかもしれませんが、携わっている方には、この質と量の多様性と統一性への驚きと喜びを共感していただけるのではないでしょうか。
また、一見同じような、しかしそれぞれ個性的な感想をご紹介していくつもりです(後期も)。
よろしく続けてご愛読ください。