今日のことば 21: 途方にくれても行き詰らない

2008年09月02日 | メンタル・ヘルス


  わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。

  途方にくれても行き詰まらない。

  迫害に会っても見捨てられない。

  倒されても滅びない。

  いつもイエスの死をこの身に負うている。

  それはまた、イエスのいのちがこの身に現れるためである。

                (新約聖書「コリント人への第二の手紙」第4章8-10節)


 キリスト教の大使徒パウロの言葉です。

 ここで語られている「イエス」は単なる歴史上の人物でも、単に原理主義的キリスト教で絶対視されている救世主のことでもない、と私は解釈しています。

 むしろ「ほんとうの人間」、志のために生きて死んだ人のことだと思うのです。

 もちろん、イエスはその代表的な存在の一人ではあります。

 私たちが、ただ楽にとか、楽しくとか、儲けて生きることだけでなく、意味を感じて生きて死ぬことを目指したいのなら、イエスの生と死は最高のモデルです。

 志に生きて、そして死んだその「死」を自分自身の覚悟として受け止めている人間は、どんな困難をも人生の課題・志を達成するための機会として捉えることができます。

 私の生と死を通じて、ほんとうの人間性・ほんとうのいのちが輝き出ることが人生だと思った人間には、敗北はありえないのです。

 だから、ふつうでいうともうどうにも「途方にくれても」、それでも「行き詰らない」、何度ダウンさせられても敗北しないのです。

 それは、それでも、コスモスは進化する、大いなるなにものかの意思は貫徹されるからです。

 人生の苦境にあるみなさん、そのことを思い出して、元気を出しましょう。




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11 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
言葉の意味 (香織)
2008-09-02 22:42:29
これだけの短い文章ですが、とても深い意味を持っているのですね。
この言葉の意味を先生がおっしゃる通り解釈すると、とても清々しく晴れやかな気持ちになります。
一歩間違って解釈されてしまうと危ないですけどね。

まだ早いと思うのですが、最近、『これからの人生』というより『残りの人生』と考える事がふえてきました
イエスのように志高くしていきて生きたいものです。
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Unknown (74式)
2008-09-02 23:16:33
どうもこんばんは。
更新待っておりました!
いつもお疲れ様です。
本当の志に敗北はない、生だけでなく死を通じても輝き出る人生というのは、なんともすごいことです。
100%志の人だったイエスというのはどんな人だったんだろうと思います。
小さいことでくよくよしている場合ではないと思わされます。
返信する
一緒に志高く! (おかの)
2008-09-03 10:37:26
>香織さん

 清々しく晴れやかな気持ちになってもらえたようで、私も嬉しいです。

 こういう感想をもらうと、「ブログを書いていてよかった」と思えます。

 「残りの人生」という感じ、確かに早すぎるといえば早すぎますが、でも「人生は有限」ということの実感的覚悟ができてきているということでもありますね。

 志高く、若々しいままで成熟していきましょう。

>74式さん

 本の原稿の執筆に時間を取られています。

 これからも時々は記事を書いていくつもりですが、原稿が終わるまではかなり断続的になると思います。了解して下さい。

 ちいさいことでくよくよするより、大きなことで悩んだり喜んだりしましょう。

 みんなで一緒に志を高く!
返信する
志高く生きることとは? (みづち)
2008-09-03 20:43:09
意思を貫徹させるために狡猾に(失うことを惜しまずに獲ることを最優先に)生きて、その結果何かを得た人が居るのなら、繊細さや柔和な人格、ひ弱な肉体を持って生まれたために志を果たせなかった人の魂に、晴れる日は来るのでしょうか。




返信する
身に負う… (ぴぴろう)
2008-09-04 08:41:44
イエスという目標・理想型がいつも自分と共にあると強く信じられたら、確かに強い気持ちでいられそうだと思える文章ですね。

特に誰かと比較しての形の敗北感に苦しむことがままありますが、「感」であって気持ち次第なのかなと思いました。

物事がどんな結果に行き着くのか、時を経て最後になるまでわからないですよね。
すべてを「進化」だと思って生きていきたいです。
返信する
志と進化 (おかの)
2008-09-04 14:26:36
>みづちさん

 当ブログへのご訪問とコメント、有難うございました。
 今回も含め最近の記事は、これまでずっと書いてきた記事、特にいのちの意味の授業全体を前提にしているので、少し理解しにくく、疑問が生じたのかもしれません。
 私のいう「志」とは、「コスモスの進化の方向性に能動的に参加すること」で、「自分の意思を貫徹させるために狡猾に生きる」というのとは似て非なる心の姿勢です。
 また「志」という言葉・文字も、「士」つまり侍の「心」という会意文字ですから、本来、自分を超えた大いなるものに「さぶらう」つまり「仕える」心という意味です。
 「繊細さや柔和な人格、ひ弱な肉体を持って生まれ」ても、宇宙の自己感動器官として宇宙の美しさに感動しながら生きるということが可能であり、それを「志」と自覚すれば、志に生きて死ぬこと、つまり「志を果たすこと」が可能だと思います。
 以下の記事を参考にして下さい。http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/e/b4a4439afbccf798802c632deb63727d
http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/e/b5b12155eba7a77e59bd918715aac16c

>ぴぴろうさん

 イエスが唯一ではありませんが、私の知るかぎりでは最高のモデルの一人だと思います。
 そして私にとってはもっとも縁の深い、最重要のお手本です。
 ぴぴろうさんにとっては、誰になるのでしょう? もしまだいなかったら、探してください。イエスも候補の一人です。

 他者と比較して自分を捉えると、法則的・必然的に優越感と劣等感の間を揺れ動くことになると思います。平等感で安定するということは、ほとんどないようです。

 すべては「心のあり方次第=唯識」だと思います。ぜひ、比較しないでコスモスの独自な一部として自分を捉えるようにしましょう。

 紆余曲折、ジグザグ、蛇行、進歩と退歩……を繰り返しながら、「それでもコスモスは進化する」ということのようです。
 信じる者は救われる、ということでしょうね。

 

 
 
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コメント6件 (HIRO)
2008-09-04 19:26:53
コメントが6件あると、記事の内容もそうですが、コメントの内容もボリュームがありますね。

みづちさんのコメント、そしておかのさんのコメント。そのやりとりに、改めてなるほどと思わされました。

志高く → 大事業(すごいこと)

のように思われがちですが、「すごいこと」は「心のありかた次第・コスモス進化への参加次第」で、それは日々「既に起こっている」とも言えるのだと思いました。

みづちさんが、おかのさんのコメントを読んで、どんな風に思ったのかな、と思いました。
返信する
返答ありがとうございます。 (みづち)
2008-09-05 13:13:16
自分自身も、ひとつの宇宙の一部分だということは、
頭では分かっていても、実感が湧かない時があります。
特に、社会的不条理を感じるとき、絶海の孤島にいるような感を受けてしまいます。
そのような時、時の解決を急ぐよりも「倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。」
このような言葉の力を借りるのもいいのかもしれません。
ブログ、参考になりました。
また訪れたいと思います。

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実感 (HIRO)
2008-09-07 09:26:42
みづちさん、岡野さんのコメントにコメントを返されて、とても誠実な方ですね。

「実感」というのは、一つのキータームのようです。

>実感が湧かない時があります。

たしかに、そうですよね。でも、実感が湧くこともあるわけで。
実感が湧いて欲しい時に、実感が湧くことが望ましい。

その為には「理解→納得→想像→実感 → 理解→納得・・・」の繰り返しが必要のようです。

その意味でも、最近のブログの更新頻度を有り難く読ませていただいています。

断続的な連載を楽しみにしています。
返信する
Unknown (さとみ)
2008-09-08 22:09:24
気持ちの引き締まる言葉ですね。

この言葉を読み、どんな艱難辛苦を受けても、
屈することなく志に直向に生きる人間の力強さを思いました。

イエス=志、なのですね。

途方にくれること・・・
もちろんありますけれど、
ショックを受けても、疲れ果てても、
休んだ後に立ち上がれる人間になっていきたいと思いました。

屈しそうになったらまたこの言葉を読みにきますね☆
返信する
人生いろいろ (おかの)
2008-09-09 11:22:56
>HIRO さん、みづちさん

 続けてのコメント、有難うございます。
 記事を参考にしていただけたようで、とても喜んでいます。

 これからもぜひお出かけ下さい。

 人生いろいろで、いろいろなことが起こってきて、ここのところ断続的になっていますので、お出かけも断続的に持続していただけると幸いです。

>さとみさん

 ほんとうに勇気づけられる言葉ですね。もしよかったら、ぜひ座右の銘のように自分のものにして下さい。

 それにしても、やはり聖書というのは大変な力のあるものだと、今頃になって改めて思っているところです。
 
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