随煩悩10:害(がい)――能動的・積極的に人を否定する心

2006年04月20日 | メンタル・ヘルス

 もう1つの随煩悩、「害(がい)」は、善の「不害」とちょうど逆の心の働きです。

 人は人にさまざまなかたちで害を加えたいと思うことがあり、また実際害を加えます。

 いじめや暴力や殺人から戦争まで程度には大きな幅がありますが、そこには人が人を否定する――しかも能動的・積極的に――心があるという点に関してはまったく同質です。

 では、なぜ人は人を否定するのでしょうか?

 個々のケースには実にさまざまで複雑な事情がありますが、基本はまったく同じであることは、ここまで唯識を学んできたみなさんには、よくおわかりのことと思います。

 非常に大切なことなので、改めて復習してみましょう。

 害を加えたいという気持ちは、他の随煩悩、怒り恨み悩ませることともつながっています。

 そして、その背後には、意識上の根本煩悩のほとんどが関わっています。

 まず、人と自分が分離しているという思い込み、一体性へのまったくの無知、愚かさ・「」がベースです。

 そして、自分の都合の悪いことがあればいつでも腹を立てる可能性としての「」の心がありますから、ちょっとしたきっかけさえあれば、すぐに怒り、悩ませ、害を加えようという気持ちが起こります。

 自分の利益へ過剰に執着する「」の心がありますから、ちょっとでも自分の利益が害されたら、徹底的に害し返してやるという気持ちになりがちです。

 また他と自分を比較して自分のほうが上だと思いたい「」の心がありますから、プライドを傷つけられた、面子をつぶされた、バカにされたなどなどと、腹を立て、プライドを傷つけられたのだから、こちらには傷つけ返す権利があると思ったりするわけです。

 まちがった思い込みの「悪見」のうち、特に特定のものの見方への執着である「見取見」と特定の戒律、禁止事項、モラルなどへのこだわりである「戒禁取見」があるので、自分の意見・思想や倫理感に合わない人には、「許せない」、「そういう考え方をするべきではない」、「そういう考えをする人間は存在しないでほしい」から始まって、「存在するべきではない」、「存在させないようにしたい」、「存在させないようにする」という完全否定・殺意にまで到ります。

 その奥には、自分(たち)と他者がつながって一体のコスモスであることへの根源的無知・我癡、それどころか自分(たち)が実体であるという思い込み・我見、そして自分(たち)こそがすべての依りどころだという思い・我慢、そういう自分たちがいちばん大切で可愛いという執着・我愛という、4つのマナ識の根本煩悩がまぎれもなく働いています。

 マナ識を抱えた人間は、我愛の延長・拡大として自分(たち)に都合のいい人を愛することはできるのですが、都合の悪い人は、どうしても否定したくなるのです。

 そして、すべての人が自分(たち)の都合のいいようになるということはありえませんから、いつまでたっても害し合うこと・争いは絶えません。

 マナ識を抱えた人類が、歴史始まって以来、あるいは歴史以前から、こちらは自分たち、あちらは自分たちではないグループというふうに分かれて、傷つけ合い、戦争をしてきたのは、そういう意味では当然であり、止むを得ない――これは「止められない」という意味ですね――ことであり、どうしようもないことかもしれません。

 仏教、とりわけ唯識を学んで、私は幼い頃からの、「人間はなぜ戦争をするのか? なぜやめられないのか?」という切実な疑問への、実に明快な答えを得たという感じがしました。

 「人間はマナ識があるから戦争をする。マナ識があるかぎり戦争はやめられない」と。

 平和条約を結んでも、平和運動をしても、国際連盟を作っても、国際連合を作っても……マナ識があるかぎり、永続的な平和はやってこないでしょう。とても残念ですが。

 が、しかし、です。

 マナ識が浄化できるのなら、永続的平和は可能です。

 少なくとも、そのための心理的条件は調います(他にもちろん政治的、経済的、文化・社会的などなどの条件も必要ですが)。

 そして、唯識は、「やりようによっては、マナ識は浄化できる」と言っているのですから、本気で平和を望むのなら、頭から信じる必要はありませんが、まずなぜそう言うのか、話を聞いてみるだけの価値はあると思うのです。

 「日本は今のところそこそこ平和だから、そんなめんどくさいことなんか、いいや」とタカをくくったり、「世界全体の永続的平和なんて、不可能だ」とあきらめたりする前に、永続的な平和を可能にする心の条件について、できるだけたくさんの方に考えていただきたい、というのがこのブログ授業の大きな目的の1つです。


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