
四諦・4つの聖なる真理の第四段階は「道諦(どうたい)」です。
「それでは、どうすれば無明をなくすことができるか?」という問いに対する答え、つまり「こうすればなくすことができる」という方法=道についての教えです。
具体的には8種類あって、「八正道(はっしょうどう)」といいます。
正見(しょうけん)=正しい見解
正思惟(しょうしゆい)=正しい思索
正語(しょうご)=正しいことばづかい
正業(しょうご)=正しい行為
正命(しょうみょう)=正しい生活
正精進(しょうしょうじん)=正しい努力
正念(しょうねん)=正しい思い
正定(しょうじょう)=正しい暝想
の8つです。
この8つきちんと実践すれば、無明はなくなる……苦しみはなくなる、というわけです。
八正道の内容は、大乗仏教の「六波羅蜜」と重なっていますから、くわしい説明はそこでします。
ただここで大事なポイントだけ述べておくと、しばしば誤解されるのですか、ここでいう「正しい」とは一般的な意味の正しさではありません。
「倫理・道徳的に正しい」とか、「正確」とかいう意味ではないのです。
ここでの「正」とは、「縁起の理法(および次回にお話しする「無常」、「無我」という法)にかなっている」という意味なのです。
まず最初の「正見」とは、あらゆるものを縁起・つながったものとして見るということです。
私たちはふつう、自分と人とを別々に分かれたものと見てしまっていますが、これは正しいものの見方ではないのです。
次の「正思惟」とは、同じようにあらゆるものごとを考えるときにすべてをつながった縁起的存在として考えていくということです。
ものごとを「私には関係のないことだ」と、人を「私にはかかわりのない人だ」と考えるのは、仏教的にいうとまちがった考え方なのです。
ですから、ものを言うときも、関係を大切にしたていねいな言い方、礼儀正しい言い方、やさしい言い方をするのが、「正語」なのです。
もちろん、自分の中で自分にいう言葉=セルフ・トークに関してもおなじことです。
事実としてある自分の能力や価値をちゃんと認めるセルフ・トークが「正語」だといっていいでしょう。
そして、いい関係を育てていくような行動するのが、「正業」と言われます。
それが特定の行動だけでなく、私生活全体のものになっていくのを「正命」といいます。
そしてあらゆることにおいて、いい関係を守り育てていくように努力することが「正精進」です。
人間、努力をすればいいというものではなく、努力をして悪事を働くということもあれば、無駄な努力をすることもあるわけですからね。
そしていつも関係・縁起のことを忘れない、気づきの心を保ち続けることが、「正念」です。
最後の「正定」は、縁起の理法にかなった、縁起の理法を覚ることができるような瞑想をすることです。
瞑想にも、縁起の理法にかなわない、超能力を開発するだけの瞑想や、恍惚状態に入って自己陶酔・自己満足するだけの間違った瞑想もあるのです。
「瞑想」という名がついていれば何でもいいというわけではないのですね。
こうした縁起の理法にかなった8つの実践方法を行なえば――時間や努力は必要ですが――無明をなくし、覚りを得ることができ、そうすると過剰な愛着・執着を離れることができ、そうすると老いや死に関する不条理感から解放される、というのです。
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ありがとうございました。
ウスイツカサ
「正定」にしても縁起に基づいていなければ、「正」とはいえない。
とても分かりやすかったです。
有り難うございました。