やはり…(はしはか)箸墓古墳は卑弥呼の墓?
歴博 炭素年代測定で分析 2009年5月29日(金)15:35
■「240~260年に築造」没年と同時期
邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説もある
奈良県桜井市の箸墓古墳(前方後円墳、全長280メートル)について、古墳の周囲から出土した土器の「放射性炭素年代測定法」と呼ばれる科学分析の結果、西暦240~260年に築造されたとの研究成果を国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市)の研究チームがまとめたことが29日、わかった。
248年ごろとされる卑弥呼の死去した年代と合致し、邪馬台国の所在地論争に一石を投じそうだ。31日に早稲田大学で開かれる日本考古学協会総会で発表される。
研究チームは、同古墳前方部近くの周濠から発掘された「布留(ふる)0(ゼロ)式」と呼ばれる土器の表面に付着した炭化物を測定。放射性炭素年代測定法は経年による炭素の減少具合を使って、土器の年代を割り出す科学的な手法で、測定の結果、240~260年の範囲に相当したという。
測定した炭化物は、食べ物の煮炊きの際に土器に付着したとみられる。
発掘状況から土器は、箸墓古墳の完成間もない時期に廃棄されたとみられ、築造時期に近いとしている。 箸墓古墳はこれまで、土器の形式によって年代を絞り込む考古学的手法によって、
270年前後の築造とされ、中国の史書「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の次の女王、
壱与(いよ)(=臺与(とよ))の墓との説もある。 放射性炭素を利用した年代分析は、炭化物に不純物が混じると年代がずれ、誤差が大きいとして、批判的な見方も根強い。
研究チームは、箸墓古墳出土の土器だけでなく、周辺の古墳で見つかった土器でも測定を試みており、ここでも、同様の年代が出たことから、
「分析結果の精度は高い」としている。 ◇ ■科学的にも実証 白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長(考古学)の話「考古学的に3世紀半ばと想定してきた箸墓古墳が、科学的手法で築造年代が補強されたことは心強い。
被葬者は、北部九州を含めた西日本一帯に広がる邪馬台国連合の盟主であり、魏志倭人伝に記された卑弥呼の可能性がさらに高まった」
◇ 【用語解説】放射性炭素年代測定法 植物などに含まれる炭素の一種「C14」が5730年で半減する特性を生かし、残存する炭素量を調べることで出土遺物の年代を測定する方法。
国立歴史民俗博物館が平成15年、弥生時代初めの土器を測定した結果、紀元前10世紀ごろと判明。弥生時代の始まりが、考古学の定説を約500年早める結果になり、学界で論議を呼んだことがある。
邪馬台国の説が二つ分かれており、近畿説と
九州説が有名ですね。
私は奈良各地を回りまして、感じたのは古墳が
奈良県全体と大阪の堺辺りに残っているのと
何々天皇稜という名前が多く、存在しているから
女王卑弥呼の墓も同じく、天皇の墓のある地域に祭られても、おかしくないだろうなという事です。
今回のこの記事を見て、はっきりとした、証拠が
見つかって欲しいです。
学説の決着を付けて、すっきりというではなく
ここに卑弥呼を祭られていますよと、分れば
古墳の見学もできるだろうね。
明日香村が一番、お勧めです。