子供がよちよち歩きから様々なことを学ぶにあたって
模範となる人間が必要になる
殆どは側にいて生き方を見せている親がそれにあたる
反応、観念、物事の捉え方、人との関わり方
葛藤、恐れ・・・それを側にいて学ぶ
大昔はコミュニティーで子育てが行われ
代々引き継ぐ学びや信念などがあった
コミュニティーでは
ある程度社会を知り、自己のコントロールもできる
50代から60代の大人が子育てにあたる
どの子もみんな同じように叱り、同じように愛情を
注ぐのだ
20代30代は子供を産み、外で働く
エネルギーを社会に貢献することに使う
大昔のシャーマンの時代だ
近年は
親が子供の責任を一人で抱え、自分の感情もどうしていいか分からない
社会や地域とどのようなかかわりを持つのか、手探りの時に
いっきに責任が問われてしまう訳だ
人生にとって一番重要で、一番大変な仕事は子育てといって過言ではないだろう
世の中のお母さんという仕事がどれほど大変な仕事なのか
お母さんには誰もたちうちできない
お母さんであるだけですごいことなのだから・・・
私は21歳の時に子供を授かった
今小さな子供を見るたびに
今だったら、こんな風に落ち着いてみてあげれたかも?と思うことがある
なんせ生きることだけでも必死だった
よく生きてこれたものだと思う
さて話を元に戻そう
コーチングというテーマだ
私達は自分の感情の処理をどのようにしていくかを教わっていない
なぜ感情が出るのか?
人の反応は2つに分かれる
1つは開く
もう一つは閉じる
殆どの人は自分自身を守っていくために
様々な処方を取り続け、そこにエネルギーを向けているため
社会や人の犠牲者になっていると考えている
どうしたら自分を認めてもらえるか
どうしたら相手から自分を隠せるか
どうしたら相手より優れていることを証明できるか
どうしたら相手に勝てるか
これらはすべて閉じている行為といえよう
ブータン王国の王様が日本の子供達にメッセージを残していったことは誰もが知っていることだろう
人の中にはドラゴンがいて、私達はそのドラゴンを育てていかなくてはならないと・・・・・
禅のマスターはこう言っていた
「自らの内側に留まり続けなさい。けして外に出てはならない」
これは他者の領域に入っていって、こうしてほしいという期待を持つことも含め
相手に求めるものを自らが与えよと言っている
誰かにこうしてほしい(認めてほしい。これをしないでほしい。など)
こうすべきである(指示)
なぜこれをしてくれないの?(自己憐憫と期待)
これらは自分を自分で育てているのではなく
自分ではできないから、鏡に映っている自分を見て鏡をなんとかしようとする行為に似ている
私達は人間なので感情があって当然なのだが、
感情がでるのは、その内側にある自分で映し出す観念によって心が動くのだ
人間は共感能力がある
だから、誰かが淋しければ伝わるし
誰かが怒っていればそれも伝わる
誰かが悲しいと思えば、悲しみが伝わる
それが人間であることの醍醐味だ
感情を感じるのは、神からの贈り物である
だからしっかりと感じるべし
不感症が一番よくない
赤ちゃんのように純粋に、泣いたり、笑ったりするのがいい
ただ、感情は素直に出すことを世間や周りが許さないことがある
そうすると自分を隠し、感情を感じることを恥じることになる
感情は曲がった形で出るとなかなか処理できなくなる
すべてをちゃんとした形で理解することができると
もう個人的に色々受け取ることがなくなる
たとえ、誰かが傷つくような暴言を投げたり、無視という形をとっても
傷つくということが減ってくるのだ
殆どの人は自分を守る
相手の送ってくるエネルギーを
理解し、なぜその反応をしているのかが分かれば
ニュートラルに受け取れる
それには少し訓練が必要になる
誰かより優れることもなく
犠牲者でもなく
自分に向き合っている状態
それには子供と一緒で学ぶことが必要になる
ちゃんとした理解は人を自由にする
自由とは、好き勝手することではない
自由とは、自分の枠を自らが取り払い
完全に自分の魂と一体になっている状態だ
考えてみてほしい
もし自分にあるすべての問題を自らがクリアできたとしたら・・・
あなたの世界はどのように変わるだろうか?
今年は癸の巳年
一人一人がどこへ辿り着きたいかが重要になってくる
自分の本当の内側の声が、あなたの道になるのだから・・・・
模範となる人間が必要になる
殆どは側にいて生き方を見せている親がそれにあたる
反応、観念、物事の捉え方、人との関わり方
葛藤、恐れ・・・それを側にいて学ぶ
大昔はコミュニティーで子育てが行われ
代々引き継ぐ学びや信念などがあった
コミュニティーでは
ある程度社会を知り、自己のコントロールもできる
50代から60代の大人が子育てにあたる
どの子もみんな同じように叱り、同じように愛情を
注ぐのだ
20代30代は子供を産み、外で働く
エネルギーを社会に貢献することに使う
大昔のシャーマンの時代だ
近年は
親が子供の責任を一人で抱え、自分の感情もどうしていいか分からない
社会や地域とどのようなかかわりを持つのか、手探りの時に
いっきに責任が問われてしまう訳だ
人生にとって一番重要で、一番大変な仕事は子育てといって過言ではないだろう
世の中のお母さんという仕事がどれほど大変な仕事なのか
お母さんには誰もたちうちできない
お母さんであるだけですごいことなのだから・・・
私は21歳の時に子供を授かった
今小さな子供を見るたびに
今だったら、こんな風に落ち着いてみてあげれたかも?と思うことがある
なんせ生きることだけでも必死だった
よく生きてこれたものだと思う
さて話を元に戻そう
コーチングというテーマだ
私達は自分の感情の処理をどのようにしていくかを教わっていない
なぜ感情が出るのか?
人の反応は2つに分かれる
1つは開く
もう一つは閉じる
殆どの人は自分自身を守っていくために
様々な処方を取り続け、そこにエネルギーを向けているため
社会や人の犠牲者になっていると考えている
どうしたら自分を認めてもらえるか
どうしたら相手から自分を隠せるか
どうしたら相手より優れていることを証明できるか
どうしたら相手に勝てるか
これらはすべて閉じている行為といえよう
ブータン王国の王様が日本の子供達にメッセージを残していったことは誰もが知っていることだろう
人の中にはドラゴンがいて、私達はそのドラゴンを育てていかなくてはならないと・・・・・
禅のマスターはこう言っていた
「自らの内側に留まり続けなさい。けして外に出てはならない」
これは他者の領域に入っていって、こうしてほしいという期待を持つことも含め
相手に求めるものを自らが与えよと言っている
誰かにこうしてほしい(認めてほしい。これをしないでほしい。など)
こうすべきである(指示)
なぜこれをしてくれないの?(自己憐憫と期待)
これらは自分を自分で育てているのではなく
自分ではできないから、鏡に映っている自分を見て鏡をなんとかしようとする行為に似ている
私達は人間なので感情があって当然なのだが、
感情がでるのは、その内側にある自分で映し出す観念によって心が動くのだ
人間は共感能力がある
だから、誰かが淋しければ伝わるし
誰かが怒っていればそれも伝わる
誰かが悲しいと思えば、悲しみが伝わる
それが人間であることの醍醐味だ
感情を感じるのは、神からの贈り物である
だからしっかりと感じるべし
不感症が一番よくない
赤ちゃんのように純粋に、泣いたり、笑ったりするのがいい
ただ、感情は素直に出すことを世間や周りが許さないことがある
そうすると自分を隠し、感情を感じることを恥じることになる
感情は曲がった形で出るとなかなか処理できなくなる
すべてをちゃんとした形で理解することができると
もう個人的に色々受け取ることがなくなる
たとえ、誰かが傷つくような暴言を投げたり、無視という形をとっても
傷つくということが減ってくるのだ
殆どの人は自分を守る
相手の送ってくるエネルギーを
理解し、なぜその反応をしているのかが分かれば
ニュートラルに受け取れる
それには少し訓練が必要になる
誰かより優れることもなく
犠牲者でもなく
自分に向き合っている状態
それには子供と一緒で学ぶことが必要になる
ちゃんとした理解は人を自由にする
自由とは、好き勝手することではない
自由とは、自分の枠を自らが取り払い
完全に自分の魂と一体になっている状態だ
考えてみてほしい
もし自分にあるすべての問題を自らがクリアできたとしたら・・・
あなたの世界はどのように変わるだろうか?
今年は癸の巳年
一人一人がどこへ辿り着きたいかが重要になってくる
自分の本当の内側の声が、あなたの道になるのだから・・・・