久しぶりにS兄主催 エネルギー散策に参加しました。
ブログでみる限りでは6月の波除稲荷以来
なんと9か月ぶり?!
先月の第二月曜に休みが取れなかった時点で
「三月第二月曜いいですか?」 って申し出て休暇おさえてました。
それくらい行きたかった。
S兄のエネ散策はいつもだいたいどこらへんに行くか聞くだけで
具体的にどの神社を巡るとかは聞きません。
行くまでわからない。
今回の待ち合わせ場所は両国。
「両国駅の近くでちょっと気になる場所がありまして」
とだけきいていました。
両国と言えば…。
心に浮かんだのは横網町公園。
関東大震災と東京大空襲で亡くなった方の慰霊堂があるところ。
都民としてこの方々のことを忘れてはいけません。
(って、慰霊堂へ初めていったのはつい2年前のことだけど)
待ち合わせ時間より少し早く着いたので
S兄に「横網町公園へ寄ってきます」とメールすると返信が
「今日の第一目的地はそちらです」 だって。
勘するどいわ~
両国駅前の江戸東京博物館。月曜日は休館。
さて、行ってみたら慰霊堂は耐震補強工事中とのことで
鉄板で囲まれてました。まじで。
それにしては人でいっぱい。何かあるの?
はい。
気づいていなかったけど先の大震災3.11の前日3.10は
10万人以上が亡くなったという東京大空襲の日。
慰霊堂の正面だけは鉄板で覆われておらず
春季慰霊大法要が営まれていました。
(秋季慰霊大法要は関東大震災のあった9月1日)
いつもの閑散とした様子とは違って
お線香もお花もあふれるほどたくさん供えられています。
門のすぐ中でお供え用のお線香とお花が販売されていたので
私もここでいただきました、ありがたい。
訪れる人のために近隣の町会の方々が甘酒
裏千家青年部の方々がお茶をふるまっていました。
今日はことに寒かったのであたたかい甘酒がこれもありがたかった。
お参りをすませて甘酒を飲み終わったころS兄ご一行到着。
今日の総勢は11名でした。
「今日は色々重いので、そういったものに敏感な方は」と
バスの中で乗り物酔いの薬を配る体で
S兄、S内さんがお数珠を配ってます。エネ散策ならでは(苦笑)。
今日は法要が営まれ、人も大勢訪れていていつもと様子が違うのだが
確かに普段の日は、実は私も慰霊堂の中へは申し訳ないけど入れません。
いまだに身元のわからない方々(16万3千人も!)が
自分を見つけてくれるのを待っています。
でも、もう何十年もたっているから
探してくれるはずの遺族ですら亡くなっていたりする辛い状況。
やっぱりその思いは堂の中に濃く感じられます。
今日は初めて階段を上がって堂内の様子を良く見ました。
中は参列者でいっぱいなので入り口付近で立ったまま
読経するS兄の後ろでお参りさせていただきました。
法要が済んだ慰霊堂の中には焼香台が用意されていましたが
大行列のため、先に同じ敷地内にある復興記念館を見学。
ここには関東大震災の様子を伝える写真や絵、資料が展示されています。
私は鈍感なのでよくわからないけど、ここは慰霊堂のように法要もされないし
皆さんも祈ったりしないので、思いが更に濃く残っているとのこと。
S内さん曰く「建物と言うより土地にですね」と言われたけど
そういった能力もないのでどうにもしてあげられない。
さて、前回行った時もブログに同じことを書いたと思うけど
歴史上のできごととして色のなかった関東大震災が
東日本大震災の経験でとてもリアルに想像できるようになりました。
重機や大型トラックや立派な交通網がある今でさえ
3年たっても遅々として復興の進まない東北をみるにつれ
東京が今のように復興するのにどれだけの努力が必要だったことかと思う。
親しい人々を失った悲しみを抱えながら
信じられないほどの努力を重ねて今の東京を作ってくれた人たち、
今、私がここで幸せに生活できているのはあなたたちのおかげです。
ここへ来るといつもそう思って泣きそうになる。
ほんと人間ってすごい。
きっと東北も復興するよ。必ず。
人がそこそこ引いた頃、お焼香をしに慰霊堂へ戻りました。
初めて中に入りました。
法要ではあるけれど東京都神社庁からも花が届いており
総理大臣、警視総監、消防庁長官、もちろん都知事、
近隣の区長、それとは別に特別区長会の供花もありました。
法要には秋篠宮ご夫妻も参列されていました。
お経をあげるお坊さんは20人ちかくもいらしたかしら。
こんなにまでしないとなのか…。
亡くなられた方々の深い無念をどうやったって慰められないのだけど
なんとか少しでもおさめてもらえたら と 宗教の垣根さえ越えて
みんなができる精一杯をやってるような印象がありました。
S兄が敷地内に 「もう一か所寄りたいところがあって」 と言った場所は
関東大震災朝鮮人犠牲者追悼碑。
説明文に
関東大震災時の混乱のなかで、
あやまった策動と流言ひ語により尊い命を奪われた多くの朝鮮人を追悼し、
二度とこのような不幸な歴史を繰り返さないことを願い立てられた碑です
とある。
「朝鮮人が地震を起こした」
「井戸に毒を投げ込んだ」などの流言飛語が飛び交った話は
私も聞いたことがあった。
S兄のおじいさまは皇居前広場で
実際に残虐な行為がなされるのを目撃してしまったそうで
ずっとその話をきかされていたS兄は追悼に訪れたかったのだそうだ。
これもまた辛い。
かなり重めなエネ散策前半。後半へ続く。