『しあわせの経済国際フォーラム2019』という催しへ行きました。
初日のシンポジウムには小林武史さんやウォンウィンツァンさんが
登壇したらしく、こちらへも行きたかったですが土曜は仕事で叶わず。
二日目の分科会のみの参加でしたが想像以上に楽しくて
とても充実したものになりました。
同時にいくつもの対談、映画の上映、ディスカッションなどが行われており
あれも観たいしこれも聴きたいし悩ましいところですが
「地域文化の再生:江戸時代と先住民から学ぶ」
「しあわせ×あいだ×ローカル」
「人類生き残りをかけたエコビレッジの可能性」の三コマに参加しました。
江戸研究者・田中優子さんの
「江戸時代には今のような個人と言う考え方がなかった」
とか面白かったなあ。
一人の人がたくさんの名前を持ち、
武士でありながら絵師であり歌人であったりして
自由にそれぞれの人格?を生きていたらしい。
それに応えてコミュニティデザイナーの山崎亮さん
エマーソンは首尾一貫性を疑うということを言った。
人間の中に色々な部分があっていいのじゃないか。
成長に即して考えは変わって行っていいのじゃないか。
言うことが違っていっていいのじゃないか。
文化人類学者の辻信一さん
アイデンティティとは誰の考えなのか。
誰に都合のいい考えなのか。
この人はこうと管理しやすいためのものではないのか。
映像作家の亭田歩さんは「信じる」というお話。
ドルイドは民族のストーリーを子孫に90%伝える、という。
90%にしておくと残りの10%を求める者が生まれる。
それによって完璧になる。
子孫の力を信じているので今完成しようと頑張る必要がない。
目の前の小さな一歩を大切にできる。
整理整頓をしようとしてはならない。
それはエゴを満たす行為。
混沌とした中から何かが生まれることを信じる。
そして鈴鹿で実験的なエコビレッジを運営している小野雅司さん
エコビレッジといえばある一定のエリアを囲って
その中で自給自足やお金を介さない交換で生活する、
というイメージですが
小野さんが実験しているのはエココミュニティといって
半径1キロくらいのエリアに住む人たちのつながり。
入会や規約もないので実際の人数もわからない。
その中で規則も命令も上司も責任もなく
すべて話し合いで決定される会社を中心に
作物や自分の持ち物・能力などを無償で提供・享受できる
贈りあいの経済を実践しているそう。
こういった考えを読んだことはありましたが
すでに20年近く実践している場所があるとは驚きでした。
こんなコミュニティが広がっていってくれたらいいなあ。
夢あるわあ。
そこで生活されている青年が
「実際僕が今日着ている服だってもらったものだし
髪だって切ってもらってるし
みんなにもしあわせになってほしい」と言って
本当にそれを願わずにいられませんでした。
とても全部は紹介できませんが、こんなふうに
「グローバリゼーションとローカリゼーションを
対立するものととらえない」
「行政が管理しやすく区切った区分けにこだわらない。
自分の生きるエリア生活圏=県」
「こだわりは歪みをうむ。ほどほどでいい。
なんちゃってでいい」とかとか
「これはこう」と思い込んでしまっているものを
別にそうでもないんじゃない?とほぐされて行くようでした。
『やわらかあたま』
昔どこかで聞いたキャッチフレーズが思い浮かびました。
閉会式でのご挨拶
共生活動家ソーヤー海さん
『しあわせの経済』会議主宰ヘレナ・ノーバーグ=ホッジさんと
辻信一さん
会場では廃油で走るエコカーの展示のほか
マルシェもあってエコな商品の販売も。
今日は絶対何も買わない、と自分にいいきかせてきたのですが
木の実やドライフルーツを固めたグラノラバーみたいな謎食べ物にはほんとに弱くて
誘惑に負けてひとつ400円くらいもするのに4つもお買い上げ(^^;
大切にちょびちょび食べます(^^;
楽しかった!