そゆる日記

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素盞雄神社に行ってきました

2007年06月29日 | 寺社めぐり
今の住まいの氏神様である素盞雄(すさのお)神社に、
ようやく行ってきました。
規模は大きくありませんが気持ちのいい神社でした。

形代(かたしろ)をお納めしておけば、明日の大祓で
清めて下さるということだったので
『浄く明るく正しく直く』と唱えて息を吹きかけ身を撫でて
自分の罪穢れをそれに写し、お願いをしてきました。
素盞雄神社の形代はきちんと着物を着ているものでした。



そしてお参り。
本殿にはすでに茅の輪(ちのわ)が置かれています。
茅の輪を 左、右、左 ∞ と回ってからお参りをします。

むかし、蘇民将来(そみんしょうらい)という人が
素戔嗚尊(すさのおのみこと)に旅の宿を供して難儀を救い、
素戔嗚尊はこれに報いるために「若し天下に悪病が流行した際には、
ちがやをもって輪を作り、これを腰につけておれば免れるであろう」と教えました。
これが、茅の輪神事の初めとされています。

写真だと手前にあるのでかなり大きく見えますが、
実際見る茅の輪は思ったより小さくて、直径2mほどでした。

わたしの神社めぐりのお師匠Aさんいわく
茅の輪をくぐると、エネルギー的にもマイナスが祓われているそうです。
(わたしには、わかりません ←神社初心者)

“茅の輪のエネルギーを調べて見ると、時計まわりにまわっている。
 裏から見ても、時計まわりなのが、不思議である。
 左、右、左 ∞ とまわることになっているが、通っただけでも、少しは祓える。
 一まわりより一まわり半のほうがやっぱり祓われ方が違う。
 で、それ以上まわっても、変わらない。”とのこと。不思議~。

近所に茅の輪が作られた神社がある方は
明日はちょうど休日ですから散歩がてら行ってぜひくぐって下さい。
まわりかたは、左、右、左 ∞ ですよ~。



さて、拝殿で手を合わせると、手の中がほわあっと温かくなりました。
これは、エネルギーがわかるようになってからは、
どこにお参りしてもあることなのですが
ここが氏神様とわかって初めてのお参りだったので
心の中で「ご挨拶にきました。よろしくお願いします」と言うと、
襟巻きを巻いたように肩と首の後ろに温かいものが
乗った感じがしました。これは、はじめてのこと。

そのあと、顔がほてってちょっとだけのぼせてしまったのですが
それがおさまったあとは、何かとてもすっきりしていい気分になりました。

Aさんに報告すると『あたたかいもの』は“狛犬さんの眷属(けんぞく)さんが、
じゃれついて来たのかも…”と言われました。
「眷属」とは、動物に姿を借りて現れる神様のお使いのことです。まじで~っ?

う~ん、まだまだ、知らない世界が… 深いです。




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パワーをもらえる場所(鎮守そして産土神)

2007年06月23日 | 寺社めぐり
ここ最近、急に神社仏閣に対して関心が高まっている私です(2007.4.28)。
今住んでいる荒川区に越してきて、ちょうど1年になるのですが
住まいの氏神様がようやくわかりました。

延暦14年(795)創建の素盞雄(スサノオ)神社(写真)で、
荒川区内で最も広い氏子区域61ケ町の鎮守ということです。
近所に6月30日に行われる『夏越しの祓い』のお知らせが
貼られていました。

さっそく素盞雄神社のHPをチェック。
『夏越しの祓い』では罪穢や、疫病を祓うという茅の輪くぐりや
千住大橋上流に浮かべた御座舟(神事を行う船)から
形代(自分の罪穢れを写し、身の代わりとして神社にお納めた人形の紙)を
流すなどの神事が行われるとのことです。

どちらも経験したことがない儀式なので興味があるし
やっとわかった氏神様だからお参りしたいんだけど
6月30日はまさみさんのイベントもあるし
1日中用事があって忙しいんだよなあ。

とりあえず形代は事前に受け付けてもらえるかも知れないので
1度行ってみようと思います。
そして30日はできたら早朝にお参りだけしに行こうかな。



さて、そんなことでネットをチェックしていると
「自分の産土神(うぶすながみ=生まれた場所を守っている神様)を
調べてくれる」というHP(うぶすなで開運)に行き当たりました。

曰く、その場所に生まれるということには意味がある。
生まれた土地の神さまは親神であり、人は子神である。
親神は子神の成長のため、いろいろな試練に対して、
見守りながら後押ししてくださる。云々。

また、こんなことも書いてありました。
“生まれた土地を離れるとき、生まれた土地の神さまは
行った先の土地の神さまに「こういう者がそちらに行くので
よろしくね!」と頼まれます。頼むのはたいてい縁のある気心の知れた
神さま同士なので「よしわかった!まかしとき!」となるわけです。
この神さまがその人の鎮守の大神さまとなり、新しい住居での守り神となるのです。
不思議なことに鎮守神社と産土神社のご祭神を調べてみると、
同じであることがよくあります。”

がぜん、興味が湧いて来て、
自分を守ってくれている神さまを知りたくなりました。
で、リサーチをお願いしてみようと思います。
(こういう好奇心が止められない性分です トホホ)

結果はまたご報告しますね。



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そして帰京

2007年06月08日 | 寺社めぐり
本殿前のシーダー(かな?)が積み上げられた祭壇に火が入れられ
真言が唱えられる中、次々と護摩が焚かれて行きました。
わたしはその真言を知らないので、
心の中で「願いをかなえてください。
ありがとうございます、感謝します」と祈っておきました。
護摩焚きの間は指先がぼわ~っと熱くなっていました。

すべての護摩が焚かれた後、祈りの言葉が捧げられて
長いウエサクの祭は終わったのでした。


翌朝は明るくなるのを待って本殿から約1km離れた
奥の院に行って見ました。
そのころになるとほとんどの人は山を降りて
寺はいつもの静けさをとりもどしていました(写真)。


同行の一人が「ほんとの満月は朝の10時なんだよ」というので
10時に最後のお参りをしてわたしたちも山を降りました。
いや~、楽しかった、そして濃かった~。
3日間だったのに1週間くらいに感じた鞍馬の旅でした。

帰りはまたTさんが京都駅まで車で送ってくれました。
みんな仕事を持つ忙しい人たちだったので
街中を観光する時間がなかったのは残念でした。
今度は京都観光もしたいなあ。
神社仏閣のほかにも車の窓から見た大丸ヴィラや同志社大学など
ゆっくり見てまわりたいと思いました。(おわり)

パニック!

2007年06月07日 | 寺社めぐり
山の斜面に建っている宿坊は
3階建ての3階が本殿広場と同じレベルにあり
つまり3階が出入り口になっています。

出口に向かって階段を上がっていくと
途中で人がつまっていました。
どうやら護摩焚きの準備のために
入り口を一旦閉めてあるらしかったのですが
そのことのアナウンスがなかったので
なぜ列が進まないのかわかりません。

中にイラ立っている人がいました。
「何で止まってんの?! 上にいかせてくれよ!」と
下からどなっています。
上のほうから伝言ゲームのように
「戸に鍵がかかってます」と答えが伝わってきました。
連れの人が「上に行きたい理由があるんだ」と言っていました。



「ほんなら上に行ったらいいよ。
通れるやろ、通したって」と誰かが言い
どなっていた人が並んでいる人をかきわけて
どんどん上に上がっていきました。

すると、今度は並んでいた大勢のひとがザッと殺気立ち
入り口に向かって殺到しかかったのです。

やりとりが聞こえていなかったひとたちは
どんどん上っていった人を「割り込み」と思ったかもしれません。

「おいおい~、押さんといて」「危ないよ~」と
穏やかに声をかけてくれる人がいて
一瞬ぎゅっと詰まった人たちが
ふっと落ち着きを取り戻しました…  が、怖かった。
将棋倒しの事故はこうやって起きるのか、と思いました。

集まっていた人が、わざわざ祈りを捧げるために
そこに来ているくらいの善良というか
あまりエゴイスティックでない人たちだったことと
階段が昇りであったことで、
一瞬の出来事で済んだと思いました。
よかったです。



そして時間になって扉が開くと、
何もなかったように(もちろん押し合うこともなく)
護摩焚きが行われたのでした。(つづく)

祭は続く

2007年06月06日 | 寺社めぐり
10時からの回は瞑想でした。

最初は沈黙の瞑想、
瞑想なので当たり前といえば当たり前なのですが
数百人の人が集まっているのに
深い静けさに包まれているのが不思議でした。

途中からはスリランカのお坊さんのとなえる
お経が流れる中での瞑想でした。
言葉の意味はわからないのですが声のトーンが気持ちよく
心が静かになって行きました。

お経が始まると、おでこがすうすう冷たくなって
おでこの中心がごにゃごにゃとくすぐったくなりました。
それはお経の間中続きました。何だったんだろう?

例年は、このあと3時まではあいている時間らしいのですが
今年はスリランカ日本教育文化センターというところで
日本からの奨学金(個人的な寄付)を受けて学んでいるという
学生さん(10代とおぼしきかわいい3人のお嬢さん)の
歌と踊りの奉納がありました。



それが終わるころには気温がぐっと下がったように感じました。
私を含む5人は宿坊の中で仮眠をとることにしました。
残りの人たちは思ったほど寒くないので広場に残るとのことでした。

鞍馬に来る前に、PH研鑽会の会報でMさんという方が
ウエサク祭の紀行文を投稿されていたことがわかり
事前にお話を伺うことができました。
その中でに宿坊に護摩木が用意されていることをきいていたので
この時間に受けにいくことにしました。

護摩木に名前と年齢お願い事を書いて
3時からの護摩焚きの際、一緒に焚いていただくのです。
わたしは自分と息子二人、Mさんにも頼まれていたので
計4本にお願い事を書いて託しました。

みな、それぞれに家族やお世話になっている人の分も書いています。
意外だったのは30代独身男性Fさん。
思いのほかたくさん書いているので
「どなたの分ですか?」とたずねると「家族です」
ご両親・ご姉妹とその伴侶の分まで用意されているのでした。



宿坊の中は人でいっぱいでしたが
なんとか体を横たえるスペースを確保することができました。
なかなか、寝付けませんでしたがそれでも、少しは眠ったようでした。
声をかけられて目をさますと2時半でした。
いよいよ護摩焚きです。(つづく)

不思議なおまつり

2007年06月05日 | 寺社めぐり
牛若丸で有名な鞍馬寺ですが、
奈良時代の宝亀元(770)年といわれる創始から、
宗派が法相宗、真言宗、天台宗と改宗され、
昭和22年からは独自の鞍馬弘教として開教立宗されたとのこと。

今の鞍馬は仏教系の比較的新しい宗教なんですね。
なので、儀式はちょっと変わっていました。
たくさんのHPやブログで「アヤしい」と紹介されていたのは
そういうわけでした。

実はわたしも、儀式のあまりの新奇さに驚いて
戻って来てからネットでよく調べて仏教ではないと知りました。
鞍馬寺自体がとても古くからあって有名でもあったので
仏教であることにまったく疑問をもたなかったのです。


新興宗教というと教義自体が「アヤしい」上に
信者獲得のために脅したりすかしたりの無理な布教活動をする。
また、組織が小さいだけに運営する資金の調達に困って
寄付や物品の購買を強要する、というイメージがあります。

鞍馬弘教の名誉のために付け加えておけば
お祭に参加しても上記のように入信をすすめられることは一切なく
キャンドルサービス(!)のキャンドルを700円で販売している以外に
一切物品の販売もなく、それとていらない人は一切買う必要はなく、
護摩木の初穂料は他の寺院とかわりありませんでした。


ともあれ、お経に拍手(かしわで)、お坊さんに巫女さん、
聖詩という祈りの言葉とキャンドルサービス、
聖水をいただく儀式という新奇さに気をとられて
まったく入り込めず(トホホ)にいるうちに
お祭の第一部は終了してしまいました。(つづく)

鞍馬寺での再会

2007年06月04日 | 寺社めぐり
夕方鞍馬に戻り、早めの夕食をとっていると
友人の友人Fさんから京都駅に着いたとのメールがありました。


5月中旬、PH研鑚会員の友人が私のサロンに遊びに来たとき
「偶然駅で会った」と言って自分の友達を一緒に連れてきました。
それがFさんでした。

色々話して帰り際に、友人が6月初めにあるイベントに私を誘いました。
私が「6月頭は鞍馬のウエサク祭に行くからいないかも」と答えると
Fさんが自分もウエサク祭に行くと言うのです。
不思議なご縁です。
で、とりあえずメールのアドレスを交換し、
京都に着いたら連絡を取り合うことにしたのでした。

祭は夜7時から・10時から・夜中3時からと
3部に分かれて行われることになっています。
私たちはあいまに休むための場所を宿坊の中に確保するため
早めに寺に向かうので「現地で会いましょう」と返信しました。


鞍馬寺に着くとまだ人は20~30人ほどしか集まっていません。
落ち着く場所を確保して「さてFさんにメール」と携帯を開くと
…圏外表示になっていました。
(なんといっても山の中なので)

「どうするの?」と心配する周囲に
「まあどうにかなります。会えなきゃ会えないで仕方ないし」と答えると
「それはないんじゃない?」とあきれられました。(苦笑

実はPH研鑚会の古い会報で、
スペイン・マドリードでサッカーの試合の後、
7~8万人の人混みのなかではぐれた人に会えたという
体験談を読んでいたので「エネルギーを使えばなんとかなるだろう」と
大して心配していなかったのです。

しかしFさんには会えないまま、ウエサク祭は始まってしまいした。

第一部が終わってからFさんを探すことにしました。
第一部が始まるころ100人ほどだった参加者は
いつのまにか300~400人ほどにもふくれあがっています。
狭い本殿前広場は人でごったがえしていました。
Fさんと自分をエネルギーでつないで人波の中を歩き回ってみましたが、
夕闇にろうそくのあかりだけでは歩いている人の顔も判別できません。

「仕方ないか」とあきらめて友人たちの元に戻りました。
「会えたの?」「会えません」
「どうするの?」「まあ仕方ないです」
「え~、いいの?」また、みんなあきれています。
そして顔をあげると、…2mほど先をFさんが歩いていました。

「あっFさん!」
そして無事合流することができました。
単なる偶然でしょうか? そうかもしれません。
私はエネルギーの力だったと信じていますけどね(笑
(鞍馬寺のパワーも助けてくれたのかな?)(つづく)

比叡山

2007年06月03日 | 寺社めぐり
宿に着くとすごい雷が鳴り始めザーザーと雨が降ってきました。
雷は1時間ほどでおさまりましたが、
土砂降りは私たちが床についても続いていました。
明日のお祭は大丈夫?

ところが、翌朝は快晴。
しかし、早朝のお参りをすべく山門をくぐるとまた天気雨です。
山の天気は変わりやすいとはいえ、鞍馬は特別でした。



朝食後、京都のTさんが車で1時間半の道のりを
比叡山律院へというところへ連れて行ってくれました。
千日回峰行を満行した大阿闍梨から加持祈祷を受けました。

Tさんは人生の辛い時期に、週4日は通っていたそうです。
そうしてお掃除や草むしりなどの奉仕をしながら
自分のこころのうちを見つめる作業をしたとのこと。

そのお話を伺って、お寺というものが本当の意味で人々の生活に根付き
本当の意味で心の支えになっていることに感動しました。



さて、お加持していただいている約1時間の間
真言をとなえている私たちはもちろん正座。
情けないことですが、なれない正座に足が痺れて
感覚がなくなってしまったのです。

でもそこはエネルギー使いなので「どうにかなるかしら?」と
筋肉をゆるめるエネルギーを両足にを送ってみると1~2分で解消。
同じく立てなくなっている同行のKさん・Mさんにもやってあげると
効き目に驚かれました。
(ちなみに同行者のなかでも60代後半のAさんは
1時間の正座も全く問題なし。さすが慣れている方は違います。)



せっかく比叡山なのでTさんにお願いして
延暦寺にも寄らせてもらいました。
鞍馬もそうでしたがここも標高の割に山が深く
修行の場という実感がありました。

ご存知の方も多いと思いますが『比叡山延暦寺』といっても
ひとつの建物のことではなく比叡山に点在するたくさんの寺院の総称です。
時間の関係で根本中堂と大講堂だけしかお参りできませんでしたが、
歴史の重みを感じることができました。(つづく)






鞍馬行

2007年06月02日 | 寺社めぐり
鞍馬寺の満月祭に行ってきました。

昼過ぎに東京駅を出発した新幹線の車窓は小雨だったのに
名古屋あたりから雲が切れはじめ
なんと京都に着くころには晴れていました。

京都在住のTさんが車で駅に迎えに来てくれていて
鞍馬まで1時間半のドライブ。
街の並木も加茂川のほとりも、雨に洗われて緑が輝いていました。
「この季節の京都は暑くもなく寒くもなく
1年で一番いい時期かもしれません」とTさん。

そして到着した鞍馬のお宿は山門の目の前。
もう夕方4時近くでしたが、まだ明るかったこともあり
せっかくなので鞍馬寺にお参りすることにしました。


昼間も暗いことから闇山→鞍馬と言われたとされるだけあって
鞍馬山は標高500m程度とは思えない自然の豊かさ。
しかも、中門から本殿広場まで続く九十九折りの参道は、
清少納言が枕草子の中で「近うて遠きもの」と
著したというだけあってかなりな登りです。
そんな、うっそうとした緑の山道・長く連なる石段を
無心に登ることで自然とお参りする心構えになれるんですね。

山門から30分かかってようやく本堂前広場にたどりつきました。

石段を登り終えたとたんにぱあっと視界が開け、
山頂を背にした本殿金堂が目に入り、
振り向くと、比叡山とそれにつらなる山並みが広がっています。
感動すること間違いなしの、まあ本当に素晴らしいところです。


時間が遅かったこともあって本殿はすでに扉が閉まっていましたが
広場に立って場所のエネルギーを感じてみると、
グラウンディングする感じと言って解かる人には解かるでしょう。
心がすうっと落ち着く感じでとても気持ちいい。

翌日早朝、人が集まる前にもう一度来ることにして
宿に戻りました。(続く)