そゆる日記

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8月終了

2009年08月31日 | 日々のあれこれ
8月も今日で終わりですね。

EXILE月間(ライブ3本映画2本)だったし
京都~大阪行ったし、ツインスターになったし、
選挙行ったし(←あ、これは関係ないか)。

でも、これがたった一ヶ月の出来事とは全然思えなくて
何ヶ月も前の出来事のようです。
(受け取る情報量が多いってことなんですかね)

9月は、何か全然パターンを変えてみたくなってます。
また、新しいことに向けて動き出そう。
いっぱい勉強もしたいし。(前向き 笑)

新鮮な刺激に飢えてる私。(笑)
新しい明日を迎えよう。



何者なんだ

2009年08月30日 | 精神世界
このブログを読んで下さる方はすでにお気づきだと思うんですけど
私はトンデモ系と言われる話題が大っ好きです。(ってか、ヲタ 笑)

子供が中学生になった頃 「うちの本棚、変だよね」 って気づいたくらい
そんな本ばっかり読んでるし、ま、言ってみれば 『趣味』 でして、
いつものことですが、興味ない方はスルーでお願いします。



世の中には霊能系というか、見えちゃう系の方がいる。

どういう風に見えてるの?
見えるとどういう人生観を持つようになるの?
めちゃめちゃ興味があって、すっごく知りたい。
(みなさまの 「はいはい、またですね」 ってリアクション
見えたけど続けます 笑)



ツインスターの懇親会で、Bさんとお話しさせていただいた。
(Bさんは、すらっと背の高いおしゃれな今どき男子だけど
おだやか~な、やさし~い感じの方です。)

今までも、東京の懇親会で何回もお話しさせていただいてたけど
Bさんが 「見える」 ことは、この時初めて知った。

最初 (生まれたとき) から見えていた、と言うので
「じゃあ自分が特別だと気づいたのはいつ頃?」 と問うと
小学校高学年くらい、とのこと。でも、自分が特別とは思わず
「見えない人もいるんだ」 と気づいたとのこと。

「へえぇ、じゃ、自分が少数派だと気づいたのは?」 ときくと
「う~ん…」 と少し考えてから
「でも、みなさん見えているんだと思います」。



『誰でも実は見えている』

見える方と話していると時々これを言われることがある。
曰く、みんな、見えているが 「見えるはずがない」 と思っているので
見えたものを認めていないだけ。

もしくは 「こういう風に見えるはず」 という観念があって
それと異なる見え方をしている自分のことを 「見えない」 と
思っている。

そりゃ 「夕日が赤いね」 と言ったところで、
私の 「赤い」 と、あなたの 「赤い」 じゃ違う色かもしれなくて。
人に現実がどう見えてるかなんて確かめようもない。

『観念』 という側面から理屈を言うなら
私が 「見える」 ことを珍しがってる時点で
珍しい=自分にはない という観念があるわけで
そう思うことが 「見えなくさせている」 とも言える。

実際のところ、私にはいまだに 「見えた」 と思える経験がなく
これを言われても否定も肯定もできずにいるんだけど。



話はそれたが、Bさんが 「見える」 こと 「見える自分」 を
全肯定だったことにちょっと驚いた。
(自分を少数派とか特別とか全然、思っていない)



生まれつき見えていた方の書かれたものを読んだり
直接お話をうかがったりしていると、
「自分の当たり前」 を周囲 (家族や友人) に全否定されて
ショックを受けたって方が多い。

気持ち悪がられたり、「見えるはずがない」 と言われたり
「そんなことを外で言うんじゃない」 と止められたりして
隠さなきゃいけないと思うようになったという方が多い。

否定された瞬間 「見えなくなった」 って方もいた。

周囲は自分の 「現実」 が揺らいでしまう恐怖感から
全否定してしまうのだろうけど
言われた本人は、自分は変わっていて、
それは隠しておいたほうがいいことなんだと思ってしまうのは
当然のことだ。

人生の途中から見えるようになった方は、
両方の感覚がわかるからそうでもないと思うのだけど
生まれつきの方は、「普通」 に何とか溶け込もうと
手探りで努力してきた場合も多いようで、 「普通」 じゃない自分を、
ちょっと疎ましく思っている様子が見えることが多かった。

なので、Bさんが淡々と自分を受け入れている様子は、ちょっと新鮮。



そして、生まれつきであろうと、そうでなかろうと
「いいですね~」 とうらやましがる私は
ほぼ全員から 「見えないほうがいいです」 と言われて来た。

曰く 「見ないほうがいいものが見えてしまうから」。

それについては、以前、なるほどと思わされることがあって
ここにも書いた。→ 「知らない幸せ」

まあ、しつこく質問攻めにする私に対して
見えないほうがいいです=(イコール)
見えない人にはこの気持ちわからんだろう=
この話終わりにしていいっすか的な意味もあったと思う。
(って、どんだけしつこく質問? やなやつだなぁ、ごめんね)

ところが、Bさんは、それを口にしなかったんですね。

「あれっ?」 っと思いました。

で、自分の方から言いました。
「見なくていいものが見えて苦しいから、見えないほうがいいって
みなさん言いますよね。Bさんは、そうは思わないんですか?」



答えは



「思いません (にっこり)」 (えっっ?)



これ、ちょっとどころじゃなく、新鮮!

今までそんな答えが返ってきたことないよ!



「じゃ、じゃあ、たとえば…」 あんなとか、こんなとか
今まで聞かされてきた、見えてしまって苦しかった話をして
「こんなことは、ないんですか?」 と質問。

「それは、辛いですね。でも、自分はないですね (にっこり)」 (まじでか~)

目をぱちくりの私に

「だって、所詮は人のことで、自分がどうこうできることじゃないですから」



それは、わかる。
自分がどうこうできるのは自分だけ。

他人を自分の思い通りにしようとすることが執着を呼ぶ。
(思い通り、というのは自分の都合のいいように、というだけでなく
「幸せであってほしい」 と思う事でさえも、他人に対する期待であり
そうであってほしいと強く願うなら執着になってしまう)

執着 (ありのままを受け入れられないこと) がすべての苦しみの根源。
宗教がかって聞こえるかもしれないけど、それが現実。

それは、わかるんだけど。



まだ、若干飲み込みきれない私は、他人のことならそうだろうけど
大好きな人に対しては、なかなかそうは行かないのでは?と
「じゃあ、たとえば自分の彼女が、自分の知らないところで、
してほしくないことをしているところが見えてしまったりしたら?」 と質問。

すると、いや~、自分のした質問が、俗すぎてイヤになるような答えが
返ってしました。



「それも、今ここにいる自分がどうこうできることじゃないですもんね (にっこり)」



ずいぶん、色々なことがどうでもよくなって来た最近の私。
(「ありのままを受け入れる」 と 「どうでもいい」 は若干違うか。
ずぼらになっただけか? あ、ずぼらは最初からか。まあ、いいや)
でも、ここまで色々に執着しないって、なかなかできることじゃないと思う。
ってか、そんな人に会ったことないよ。

思わず 「Bさんの前世はすごい修行を積んだお坊さんとか
きっと、そんなんですよね」 と言っていました。
Bさんは、否定も肯定もせず、にっこり。

ちょっと見、今どき草食系男子みたく見えていたBさんの
底知れない一面を見てしまいました。

いったい、何者なんだ。



道玄坂

2009年08月29日 | 好きな場所
今日は渋谷で長男と昼ごはん。

『砦』 ってラーメン屋さんで食べたくて
神泉まで歩いて行ったのに閉まってた。
長男が 「ラーメンの口になっちゃってるから
『中本』 行こうよ」というので、道玄坂の 『中本』 へ。

いや~、道玄坂って久々でした。
たぶん10年ぶりくらい。

ヤマンバギャルとかが席巻してた頃かな、
渋谷はかわいそうなことになっていて
もう、足を踏み入れるのがイヤになっちゃって。
以来、駅の西側にはほとんど行かなくなってた。

特に道玄坂なんて別に用事もなかったから全く。

なんか、久々すぎて懐かしかったわ。(笑)



一緒にご飯を食べた後
「いい天気だから家にデジカメ取りに戻って、
お台場にガンダムでも見に行くかな」 という長男に
「あっ、ガンダム見たかったんだ。一緒にいこうかな」 と言うと
「そりゃ、だめっしょ」 と軽く断られる。

まあ、そうだよね。
お母さんと一緒にガンダム見に来る大学生って、
客観的に見たら私もひくわ。(苦笑)

日比谷公園

2009年08月28日 | 好きな場所
『ちゃんと伝える』の上映館が有楽町だったので、
帰りに、日比谷公園に寄りました。
日比谷公園っていつも通りの反対側から眺めるばかりで、
中に入るのって初めてだったかも。

 日比谷見附跡



 江戸時代のお堀を池として残したという『心字池』

 左の高くなっているところはお堀の石垣の名残

 自然な感じのかわいらしい花壇















 茶色の建物は日比谷公会堂







日比谷公園って、案外寄りにくいというか、
何かのついでに通りかかるような場所じゃないから、
平日昼間は、完全に周囲にお勤めの方以外いない感じ。

休憩室のような雰囲気って言ったらわかるかな、
男性はみんなワイシャツ姿、本読んだり昼寝したりしてるし
女性のみなさんも持ち物はお財布と携帯とお弁当箱バッグだけ、みたいな。

きちんとバッグ持って写真とか撮ってると、異質な感じで浮きまくりました。(笑)




日比谷公園に隣接する日比谷シティ
冬になると、中央の広場でスケートリンクを営業してる映像をよくニュースとかで見る。
「おおっ! それ、ここだ!」って写真を撮る。おのぼりさん丸出し(笑)。



ここの地下1階、2階の飲食店街も、ほぼ日比谷公園の空気。
(お昼の休憩時間が過ぎたら、ほとんど人がいない)
お勤めの人以外の出入りが、ほとんどない感じでした。

丸ビルが建て替えた当初、お勤め以外の人の集客に成功したとか言われて
周囲のオフィスビルも下層階にはお店を入れるようになって
丸の内=オフィス街って雰囲気ががらっと変わったそうなんだけど
日比谷公園の周辺は、まさに以前の丸の内が持っていたという
『オフィス街の雰囲気』そのものって感じでした。

街の空気って、それぞれ個性があって面白いね。

『ちゃんと伝える』 <ネタバレ100%>

2009年08月27日 | EXILE

EXILE AKIRA 主演の映画 『ちゃんと伝える』 を見てきました。



自分の父親が教師であり部活のコーチであるという環境で
高校生活を送った主人公。
父親が厳格だったこともあって、息苦しさを感じており
大人になった今でも父親を避けるように生活している。

ある日、父親がガンで余命いくばくもないと診断される。

初めて父親との時間の大切さに気づいた主人公は
毎日父の病室に通うようになるが
懇意になった父の主治医から検査をすすめられ
受診の結果、自分が父親より更に重篤なガンだと診断されてしまう。

父親に対して、先立つ親不孝をするくらいなら、
早く逝ってくれたほうがいいと思ったり
もし生き延びることができるのであれば生きてほしいと願ったり
葛藤する主人公。

そんなある日、父はあっけなく逝ってしまう。

「いつか一緒に釣りに行こう」という果たされなかった約束を
なんとしても叶えたかった主人公は
父の亡骸を背負って約束の湖に釣り糸を垂れる。



園子温監督が亡きお父様に捧げた作品ということで
自分がやりたかったことを映画にしたのかな。

でも、やっぱりリアリティのなさにため息が出てしまった。

ほんと、年齢を重ねて色々知ってしまうと
どうしても 「これはありえない」 って思いが先に立って
単なるファンタジーとして見れなくなってしまうんだと思った、淋しいけど。

なので、辛口コメントです。



毎朝ランニングで会社に通っている主人公が
お父さんより先に逝ってしまうかもしれないと診断されて
それを振り切ろうと全力疾走で出社するシーン。
(また、AKIRAが普段のトレーニングの成果をいかんなく発揮して
普通の健康なサラリーマンでもここまで走れるかってくらい走ってます)

ガンの末期で、こんなに走れる人がいるんだろうか。

私の義兄や母はガンで亡くなったので、
どうしてもその末期を思い出してしまいました。



主人公が約束の湖に行くのは葬儀の後。

人の死を見取った方ならみなさんわかると思うけど
亡くなったらすぐに両手を合わせたかっこうにされる。
悲しいけど時間がたったら動かせないから。

葬儀が終わる頃には、冷たく硬くなってしまう体。
その体に触れて 「もう、この中に命はない」 ってことを
否が応でも納得させられる。

でも、映画の中では今亡くなったばかりみたいに
背負われたり座らせられたり。
ここでリアリティは必要なしと判断されたんだろうけどどうなんだろう。
映画を見る殆どの人は、ほんとの死を身近に経験してない人なんだろうか?



正直に言ってしまうと、それら以上にひっかかってしまったのは
生き残っていく人たちはどうするの?ということ。

伴侶の死は、人生における最大のストレスだそうだ。
主人公のお母さんにとって夫の死はショックだと思う。
それを支えてくれるのは、唯一子供だと思うけど、
もうじきその息子も取り上げられてしまうのだ。

お母さんがこれから経験することの過酷さと言ったら
孝行できないまま父に死なれてしまった息子どころじゃないんじゃないの?

そして 「実はもう生きられないから結婚はできないよ」 と突然言われてしまい 
「それでも結婚しよう」 と言うガールフレンドのこれからは?



生き続けられないことは悲しいけど、でも当人は死んでしまえばそこでおしまい。
それより、その死を受け止めて生き続けていく人たちの物語の方が重いし
メッセージが伝えられるべきもののように思うんだ。

主人公は、簡単に末期がんになったりせず、
果たせなかった父への思いを抱えたまま生き続けてほしかった。
もしくは、二人の死を受け止めながら共に生きていく女性二人の物語のほうが
私にとってはしっくり来る気がしたな。



あれっ? AKIRAファンだからこの映画見に行ったんじゃないの?
AKIRAの演技がどうだったかについてのコメント、一切ないですが。

ヒゲもパーマ頭もないAKIRAは、なんかもう別物だから
途中からAKIRAと思って見てなかったかもしれないな。

ひとつだけ言えることは…、   デカイ。(←そこ?)
しょっぱな扉を開けて部屋に入ってくるとき、縮尺がおかしいのかと思った。

 

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そして大阪

2009年08月25日 | 日々のあれこれ
宿泊は新大阪。

ツインスター講習会は14時からなので
近所でお茶でもしながらまったり、って思ってたのに
やっぱり大阪の街も楽しみたくなっちゃって
心斎橋に行っちゃいました。
(新大阪に泊まった意味ねぇ 苦笑)

人生初グリコ看板!(笑) なにげにテンションあがりました~。





心斎橋~なんば~日本橋って歩いて、街の空気を楽しみました。
神社もよかったけど、今度は京都の街歩きもしたいな~。



講習会出席者はシングルが14、5名、ツインが8名。
ツインになった私は…、 どうなんでしょう、
今後の変化に期待して下さい。(誰が?)

スタッフはT代表、I林さん、K子さん、F井さん、そして会長(多くね?)。

終了後は会場内で懇親会。
会長とF井さんの間に座って、濃いい話題をさせていただきました。(笑)

終了後はスタッフの打ち上げ的なものにも、
私と叡智感謝さん、長崎からお越しのもうお一方の女性の三人で
加わらせていただき、こちらはざっくばらんな話題。

19時すぎに、のぞみでお戻りになる皆さんとは別れて
(ひかりは最終電車が早い)
一足お先に東京に戻ってきました。



もう、しばらくは遠出もないかな。
(だって、そんな余裕がどこにも… )。

そうそう、先月も今回も、私が利用したのは
JR東海ツアーズの出張用パック旅行。
お二人で利用ならお一人17000円(往復新幹線+宿泊付)くらいからあるんですよ。
(お一人様利用だと5000円くらいアップしちゃうけど)
安い=高速バスと決め付けずに、新幹線の利用もありだと思います。
(バスより全然体が楽だし、観光する時間も取れるしね)




京都! ②

2009年08月24日 | 寺社めぐり
神社巡りしてると、先月の貴船神社で起きた
『お賽銭を受け取ってもらえない事件』 みたいに、
時々面白いことがあります。



S内さんと一緒に大宮氷川神社に行ったときのこと。

神社に到着したのがちょうどお昼の時間。
食事を参拝前にするか後にするかって、みんなの意見が割れました。

S内さんは「まあ、食べないほうがいいような気がするけど、
ご飯屋さんに行って見ましょ。食べないほうがいいなら
お店がお休みだったり、混んでて入れなかったりするでしょうから」。

そして、お店に行ってみると開いていたし、混んでもいませんでした。

けど、S内さんの頼んだものだけ注文が通っていなくて
出てきませんでした。
(だって、食べないほうがいいんでしょって?)

「なるほど、そう来たか。よく考えるな~」って、みんなバカ受け。
(その感想、相手を神さまとかって思ってない 苦笑)

「ちょうど良かったね。じゃ、食べなくていいね」という奥様に
めずらしく「食べるよっ!」って気色ばんだS内さんがかわいかった(笑)。



まあ、こじつけっちゃこじつけですが。



今回の京都神社巡り。
実は私、ことごとく神社に正面から入れてもらえなかったんです。
(それで、鳥居をくぐらせてもらえないってのもあった)。




神社って正面(南)からと横(西もしくは東西)に参道って造りじゃないですか。

○○神社コチラって案内板あった!
      ↓
案内図どおりに行ったら鳥居あった!
      ↓
鳥居を次々くぐって行ったら、左に拝殿出現。
(あれっ!横から入った!)    とか


案内図どおりに行ったら門あった!
      ↓
くぐってお参り終えて、門出たら、正面はるか遠くに鳥居あった!
(うわ~、鳥居くぐってねぇ…)   とか。



最後の伏見稲荷では、さすがに気づいて
左に拝殿が出現した時点で右折、正面の鳥居の外側通って一旦外に出て
正面の鳥居の内側通りなおして参拝しましたけど
(そこまでするのも、気にしすぎかもしれないけど)
これって、何~? って感じでした。

神さま…、可愛い子には意地悪しちゃうタイプ?
(可愛い子て…)



京都! ①

2009年08月24日 | 寺社めぐり
先月、京都に行ったとき、神社巡りの師匠で大阪在住S内さんに
「来月も来るかもしれないんで
お勧めの神社をいくつか教えてもらえます?」 とたずねたところ
お返事は

「ありすぎて、答えられない」

京都はあらゆるところがエネルギースポットらしく、
『お勧めの神社』 なんていう漠然としたくくりじゃ
決められないってことらしい。

なるほど 「東京で美味しいお店は?」 とたずめるようなもの?
まずは、浅草なのか青山なのか、鉄板焼きなのかイタリアンなのか
ざっくり大枠を決めなきゃ選べないということらしかった。



なので、自分で地図を見てエリアを決め、メールしました。
「平安神宮、八坂神社あたりを周ろうと思います。
周辺であと二つ三つ、よさげな神社を紹介して下さい」

すると 『神泉苑』 と 『伏見稲荷』 ってお返事が。

あの~、エリア全然違うんですけど~。(苦笑)

私的には、平安神宮あたりにある小さな神社やお寺ってつもりでしたが
神社にこだわりのあるS内さんとしては、
やっぱりパワーのあるところじゃないとってことだった?
それとも市街地=同一エリアと認識?

まあ、いいや。とりあえず、その4ヶ所を周ることにしました。



先月に引き続いての京都。せっかく出発記録画像↑撮ったけど
あれ? 先月の画像見たらまったく同じだった。
今回は自由席だったので、なる早な感じでてきとーに東京駅に行ったら、
結局先月と同じ電車になってました。(改めて写真撮る意味ねぇ~)

午前10時、京都駅着。





まず、最初に向かったのは 『神泉苑』
二条城の南側に接している庭園で、1200年の歴史を誇るとかで、
HPによると静御前と義経が雨乞いを通じて出会ったところだそうです。
S内さん曰く、京都一番の龍穴(エネ・スポ)とのこと。

大きなお池を囲む庭園。



多分、池の中に浮かぶこの小島にエネルギーがありそう(ホントか?)。







次に向かったのは『二条城』
予定にはなかったんですが、神泉苑に隣接してるってことで。













天守閣。






HPによると、城の内部は 「平成13年度から国の補助を受けて
障壁画修理保存事業に着手しています」とのこと。
それ、早めにやってあげて。だってところどころかわいそうなぐらいボロボロ…(泣)





続いて、平安神宮

鳥居、でけ~!


境内、ひろっ!






二条城とか平安神宮、ウン十年前に修学旅行で来てるはずだけど
まるで記憶に残ってない。修学旅行なんて、そんなもの?





そして、八坂神社

西楼門。


角のある狛犬さんたち。






なぜか、心ひかれたのは本殿よりも、こちら↓の大神宮。
境内にある他の神社に比べて鳥居も地味な上に、木々に囲まれて隠れているような感じ。
中も「外宮」「内宮」って簡単に書かれた小さなお社があるだけなんだけど
ちゃんと伊勢神宮とつながっているんでしょうか、気持ちよさは一番。



これで京都駅北側エリア制覇。この時点で3時まわってます。
ちょっと焦りながらいったん京都駅に戻って、伏見稲荷を目指します。





午前中は雲が多めで比較的過ごしやすかった天気が、
このあたりから急激に回復。
伏見稲荷に着くころは、夕方なのに日差しが刺さるほど。あっち~っ。









稲荷山全部はまわりません。本殿と奥社のみ。




これで、とりあえず予定してたとこ全部周ったけど、盛り込みすぎた~。
S内さんの言う二ヶ所だけでも充分だったかも。
「とにかく、ありすぎる」と言っていたS内さんの言葉を、
今更ながら実感。疲れた~。
(そして、夏に周るとこじゃないかも~←今更)


ただいまっ

2009年08月23日 | 日々のあれこれ
一泊二日の関西週末旅行から、無事、帰ってきました。

それにしても、旅の間は関西の割とゆっくりペースに乗ってたのに
東京駅で新幹線乗り換え改札を出たとたんすごい早足で歩き、
エスカレーターの左に寄るでもなく右を駆け上がるでもなく
大きな荷物を持って真ん中にたちつくす中年女性にイラッとする自分。

カチッと音が聞こえて切り替わったのがわかったくらい。
ごいわ~。(こわ~い 笑)

関西旅行のレポは、またあした


『 宇宙 (そら )へ 』

2009年08月22日 | エンタメ
見てきました~。 『 宇宙 (そら) へ 』

“NASA”50年の歴史を辿るドキュメンタリーなので、
ほぼ宇宙開発の歴史(ロシアの部分を除く)って感じのものでした。



それにしても、どんだけ失敗を繰り返してるんだ、
というのが素直な感想。

数々の失敗も、もちろん報道されていたんだろうけど
輝かしい業績ほど大きくは取り上げられなかったからか
それとも印象に残っていないだけなのか

改めてまとめて見せられると、こんなにも多くの失敗の上に
ようやく成り立った大変な事業だったのかと思わせられた。



加えて、初期の宇宙開発が、ホントに未知への挑戦だったこと。
本当のところは誰にもわからない、どこまで行っても仮説でしかないところに
命を賭けて飛び込んでいく勇気はすごい。

ものすごい覇気があった時代と言うか、「未来を切り開く」っていうことに
ものすごい情熱を持てた時代だったんだと思った。

今、同じくらい未知の領域を探索しようという提案があったとしても
命を賭する人がいるか、その挑戦にあれほど人々が熱狂するかといったら
ないような気がする。

70年代、アツい時代だったんだね。



そして、一番印象に残った映像はコレ。



↑アースライズ=月の地平線に昇る地球 と、



↑初の命綱でつながれていない船外活動。

とても有名なシーンだから、皆さんも何回も見たことがあるはず。

私もよく知っている映像だったけど、自分の受け止め方が違った。

以前は青い地球を見て 「すごくキレイ」 と思っていた映像だったのだけど
今回は、地球からの距離=孤独というか若干の恐怖というかを感じて
自分が地球に属していること、その環境なしでは生きられないことを
強く感じました。

宇宙飛行士のドキュメンタリーとして見たので
より、彼らの気持ちに近いものを感じたのかも。
「ここで切り離されてしまったら、確実に死ぬ」
そんな気持ちを抱いて、この映像を見ました。



「宇宙開発はスペースシャトルの時代になって、
より遠くを見るより自分たちの世界=地球を
もっと知ろうという時代になった。

そして、実際、私たちの世界についての
たくさんの発見があった」 というナレーションが入っていました。

私たち自身も、外のもの(地位や名誉や物やなんやかや)から
より自分自身に関心が向くようになった90年代以降。
宇宙開発も、時代の気分に沿って行くものなのね~と思わされました。