ふわり・舞う・毎日

気持ちに余裕がないと、心の泉が枯れちゃうもんね。

YOSAKOIソーラン・ファイナル

2006年06月11日 | 北海道だべさ!
蝦夷露?というのか、今年は3年ぶり(記憶の中では)に雨にたたられた祭り期間となった。
雨でお客さんが少ないときこそ応援に行きたい!と思っても仕事があって行けず。
最終日の日曜はそれでも朝からいいお天気で本当にほっとした。
去年から始まった「ファイターズ通り商店街」コースが、最初からの狙い目。
三人並んで踊るのがやっとの幅せまい道路だけに、踊り子さんも近いし、ステージや広い道路とは違った演舞が見られるのが特徴。
近所のおっちゃんはほろ酔いで、踊り子たちに声援を送っている。
「頑張って~」「良かったよ~」という観客の声に、踊り子たちが手を振ったりありがとうと答えたり。
そんな距離感がお祭りっぽくて楽しい。
そしてあまり知られていないからか、観客がさほど多くなくゆっくりできるのも嬉しい。
もちろん写真も撮りまくりました。
大きなチームも小さなチームも、とにかく笑顔がいい。
全く見ず知らずの人たちの写真なので、ネットに公開できないのが悔しいところ。
↓疲れきった子供を抱いて踊るお母さん


諸事情あって、ファイナルの8丁目ステージにはいけなかったが、ちゃんと生放送を録画しておいた。
地デジのお陰で、どうやら全国放送だったらしい。
これでまたファンが増えてくれると嬉しいな。
期間中、ラジオでは踊り子や観客のマナーの悪さを批判し、お祭りを否定的に言う放送もあった。
私はこのYOSAKOIソーラン祭りのファンだから、そういう批判が大きくなって(公共の電波であからさまな批判をするのもどうかと思うけど。苦言ならともかく、愛のない批判はただの悪口でしょ。子供じゃあるまいし)、お祭りが縮小方向に進んでしまったとしたら悲しい。
だからこそ、YOSAKOIの衣装を着ている人や(観客も含め)それに関わる人は、自分の行動がYOSAKOIの看板を背負っているのと同じという自覚を持って、普段よりも何倍も気を使って行動しなくてはならないと思う。
これはなにもYOSAKOIソーランに限らないけどね。
通行止めや大音響などで、参加も見学もしない町の人たちにも協力をしてもらっているんだ、という感謝の気持ちを持ってこそ、暖かく見守ってもらえるのだ。

後日談。月曜日、夜。
仕事から帰宅して、ようやく録画しておいた前夜のファイナルを見る。
再び感動が蘇る。
火曜日、仕事中。
その話を職場の人にしたら「ワールドカップを見てなかったなんて、非国民だ」と言われた。
そういう言い方をする人は、あたしにしてみりゃ「YOSAKOI見てなかったなんて、非(北海)道民だ」だよ。やれやれ。