自分たちと意見が合わない者は、例え選挙で選ばれてもその結果に疑義を挟む。如何なものか?
産経新聞2014、3,22
与野党は23日、投票率が過去最低だったことなどに触れ、出直し大阪市長選で再選を果たした橋下徹氏の対応を批判した。
自民党の河村建夫選対委員長は都内で記者団に、「過去最低の投票率を見ても大阪都構想に市民の信任を得たといえるかは極めて疑問だ。極めて無駄な選挙になった」と指摘。
みんなの党の渡辺喜美代表は談話で、「受けを狙った政治が飽きられてしまったのではないか」と疑問を投げ掛けた。
共産党の山下芳生書記局長も談話で、「橋下氏が強引に進めようとしている都構想は市民から見放されつつあることがはっきりした」と酷評した。
この論法に沿うと過去に国政選挙でも投票率が低いことが何度もあった。その時は自民党長期政権時代であったが、「国民が自民党政権を信任したとは言えなかった」と言うことを認める発言か?それでは民主主義のルールは崩壊してしまう。
自分たちが議員でいられるのも選挙で多数票を得たためであり、棄権票は自らの権利を放棄したに過ぎない。橋下氏が嫌なら別の候補者に投票し橋下氏を落選させる以外に方法はない。
投票率で足切りを行うと選挙自体が成立せず、行政責任者の「空白」を生む。残念ながらこれが衆愚政治の症状である。
現実問題、行政機関の責任者の空白を作ることは、その住民に大きなデメリットでしかない。例え投票率が低くとも選挙で選ばれた以上その結果は選挙民が選んだ答えである。
この大阪市長選の選挙結果を批判する議員は、自分の選挙で投票率が低かった場合は議員の議席を辞退するのであろうか?過去の事例からも国政選挙でさえ投票率が低かったことがある、特に参議院選挙においては。
ただ思いついた事を口にすればマスコミは喜ぶであろうが、国会議員としての鼎の軽重は如何か?次回選挙で投票率が低ければ、「国民が負託した議員ではない」と言うことで宜しいのか?議員はその発言に責任を持つ必要がある。