木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

一票は侮れない

2009年03月28日 | Weblog
小沢氏続投。
第一秘書の「政治資金虚偽記載」で起訴の処分を受けての判断。
大手新聞と、週刊誌的要素の強いタブロイド版の大衆新聞のこの問題に対する扱いは対照的だ。
朝日新聞は「民主マグマ噴出、辞任説飛び交う」だが、「日刊ゲンダイ」は「検察大失態、批判噴出」と、まったく角度が違う。
大手新聞は、政権与党と同様小沢氏を追い落としたいようだ。
記者クラブ制度で、フリーの取材者や弱小報道関係者を排除している大手マスコミは政権与党と癒着することで命脈を保っている。
私は小沢氏も民主党にも特に期待するものではないが、それでも政権交代で変わるものはあるのだろう。だから現政権側、つまり既得権益を失う側が、それを失うまいとして躍起になっている一つの表れが今回の事態だと思う。
それにしても自民党の議員が小沢氏の金権体質を批判する言動には「あなた方にそれを言う資格はないだろう」と見ていて非常に不愉快だったが、主流マスコミの言うことを素直に信じる人たちはどう見たのだろうか。
いずれにせよ、総選挙は近い。麻生首相は任期満了までやりたいようだが、各候補は選挙モードだ。
地元自民候補は、麻生氏とのツーショットを避け、少子化大臣の小渕優子氏の名前と顔を借りている。
民主党候補は、年金問題のエキスパート長妻昭氏だったが、昨日見たポスターは小沢氏とのものだったので、小沢氏と共に戦う覚悟を決めたのだろう。検察が小沢聴取も逮捕もできないという見通しが立ったので差し替えたのでは。
その自民候補の夫人が地元の人の案内で、挨拶にやってきた。
私はその候補を全く支持しないが、だからと言って不快な表情もできず、応対していたら、夫人が握手を求めてきた。一瞬ためらったけどこれも断れなかった。
あの辛口評論で知られる佐高信氏も何かの会合で故小渕総理に無理矢理手を握られてしまったと書いていたが、大多数の人はこんなものではないだろうか。
私は考え込んでしまった。この夫人の出自や経歴は知らないが、今やこの人の生きる目的や意味は「夫が議員に当選し続けることだけ」なのではないだろうか。
そのためなら握手もする、土下座もする、何だってする、そういうふうになってしまっている。
この夫人が連立を組む公明党=創価学会の票を確実にするための代償として学会員になっているという話を聞いたことがある。おそらく全国いろんなところで、そうしている自民党候補夫人がいることだろう。
学会の宗教的主旨に賛同してそうしているのではなく、ただ選挙で勝ち抜くための方便としてそうしているのであろうから罪深く、実に罰当たりなことだ。
そうまでして国会議員であり続ける目的は、この自民党候補の場合は国のためでもなく、人々のためでもなく、古くからの名家としての我が家と、一族、一族が経営する企業グループの安泰のためである。
その候補夫人を案内してくる地元の人は愚かでお人よしという他はない。
「馬鹿は死ななきゃ治らない」と言うが、これは正確ではない。馬鹿は馬鹿を自覚しないまま死んで終わりだ。また新しい馬鹿が生まれる。
そして夫人に握手してもらった人の中にはそのことだけで、自分の立場を忘れてこの候補に投票してしまう人も大勢いるのだろう。
こうして小選挙区制では限りなく世襲が続き、政治の私物化が続くのだ。
この間、群馬県の渋川市で介護施設が火事になり、10人が焼死する事故があったが、日本国の中で最も税収の豊かな東京都が最も福祉に冷たいという。これは福祉問題の専門家樋口恵子氏が言う。
東京は地価が高い、だから老人のための施設を作るのが困難というのはウソ。公共の土地はまだたくさんあるし、小学校なんか都心ではどんどん廃校になっているのだからやり方はいくらでもある。
やろうとしないだけ。そして東京オリンピックを呼ぼうとしたり、そのために築地市場を汚染された土壌の土地に移転しようとしている。
樋口さんは私が都知事になっていたらこんなことはさせない、と言っていたが、馬鹿でお人よしの都民は石原に投票したか、選挙に行かず、今日の惨状を招いている。一票は侮れない。
それにしても石原知事は自分も後期高齢者なのに、その事実を認めたくないのか想像力のない人だ。作家としては一流とはいえないということだろう。
自分は息子が4人もいるから爺捨て山に追いやられることはないだろうが。自分さえよければいい、というのでは政治家の資格はない。
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あいまいさを許さなかった奥崎謙三

2009年03月21日 | Weblog

イラク開戦6年。
この戦争を一方的に仕掛けて、多くのイラク人を殺し、建物やインフラを破壊し、計り知れない後遺症を残したアメリカ、とりわけブッシュとその側近は、謝罪もしなければ、責任も取らない。
そしてそれを世界中が非難、批判もできないで、あいまいなまま過ぎようとしてる、それが全くやりきれない。
ソマリアへは、海賊対策として自衛隊の護衛艦が出て行った。
「がんばってきて」とか「がんばってきます」とかみんな言ってたけど、どうがんばるんだ。「死なないように、殺さないように」がんばるしかないだろう。

自分の部隊の部隊長、ひいては最高責任者天皇ヒロヒトの「戦争責任」をどこまでも追及した男、奥崎謙三のその「責任追及」の行脚を追ったドキュメンタリー映画『ゆきゆきて神軍』(監督原一夫)。
映画の公開は87年だが、多分、それ以前の数年の行動を追ったものと思う。
奥崎はこの時まだ60代、痩身の行動力のある人間だ。
彼は数少ないニューギニア戦線の生き残り。敗戦後に部隊で起きた処刑=銃殺事件の真相を明らかにするべく、敗戦後30年以上たって、地獄の兵士体験を忘れた、あるいは忘れたい生き残りの兵士を訪ねて当時の様子を聞き正す。
今風の言葉を借りれば、「徹底したKY」である。あいまいを許さない。日本人離れした性格だ。
そんな奥崎は単なる正義の人というわけではない。自身は戦後、不動産業者とのトラブルから相手を障害致死に至らしめ、十年以上服役生活をしているのだ。激情の人である。
生き残りの相手を訪ねている最中でも、相手があいまいにやり過ごそうとするのを許さず、殴りかかる激しさだ。
「自分ほど上官を殴ってきた兵士はいない」というこの迫力は、徹底して長いものには巻かれないという生き方だ。人並み以上の体力と生活能力がその源だと思うが。
補給がないニューギニア戦線で、最後は人の肉を食べて辛うじて生き残るという状況の中で、部隊ともいえない部隊であるが、隊を離脱しようとしたとして兵士二人が隊長の命により銃殺される。敗戦後のことである。
この部隊内のいまわしい事件の時、奥崎は居合わせず真相を知らない。後でこのことを知って、「なぜそんなことが」と追及していくのである。
事件に関わった者達は「部隊長の命令」と証言するが、部隊長は否定。
みな戦争が終わると、日常生活に戻って、自分の体験や自分の犯した罪を忘れようとする。それを奥崎は撮影のカメラを連れて乗り込んで来て聞き正す。と言っても彼は礼儀正しく訪問する。相手がきちんと向き合わない態度を取ると、先に書いたようについに暴力に及ぶことになる。
印象的だったのは、奥崎の妻が、奥崎の行動を非常によく理解していて、「そんなことやめて」とか「みっともない」とか、普通言いそうなことを一切言わず協力しているところだ。
しかもただ付いて行くだけの人ではなく、奥崎が暴行罪で留置されている間、自らがマイクを取って車から訴えるその言葉は確信に満ちていて、これには感心した。奥崎もその妻も只者ではない。

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矛盾の川を行くNHK

2009年03月15日 | Weblog

小沢献金問題が続いていますが、いったい平均的な国会議員の議員活動にはいくらぐらいかかるのか、自民党の平沢勝栄議員の場合。(平沢氏が平均的かどうかはわかりませんが)。
事務所二か所維持。二つもいるのかと思いますが。あの方は東京が選挙区のはず。
スタッフが15、6名。ちょっとした小企業の体制ですね。これで年間5000万から6000万の費用がかかるとのこと。これでは献金がないとやっていけませんね。
小選挙区制はいっそうのドブ板選挙を加速させ、お金がそれ以前よりもかかるようになってしまった。
選挙区の人たちや行事への祝電や弔電。こんなものを容認したり、ありがたがる選挙民も同罪だ。この金額ばかになりません。
そのくせ、個人献金やボランティアで自分達の代表を送ろうという風土にはまだなかなかなっていない。これには公職選挙法の縛りが多いに関係しているけど。
「自民党に捜査が及ばない」発言の漆間氏、警察畑というより諜報の方の人だとのこと。ロシア語が堪能。
ちょっと背中が丸くなってる感じだったので、70歳ぐらいにはなるのかと思ったら、麻生首相より年下の60才そこそこ。
麻生さんはさすがに運動欠かさないので(朝の散歩とかしてましたよね)、背中がピンとしてる。頭の中身もピンとしてるといいんですが、そっちの方はヨレヨレ。
漆間氏は、人に対して顔をまっすぐ上げられない仕事をしてきたので、そのクセで背中が曲がってしまってるのか。

NHKの不思議。
NHKの夜の7時のニュースだけは毎日見ている。
私は地方に住む普通の市民だが、その目から見ても全くおかしいと感じることがよくある。
その代表格はスポーツの話題を冒頭で、しかも比較的若手のアナウンサーが大声で叫ぶ点だ。
私はスポーツ番組をテレビで見ない。新聞のスポーツ欄は一応見出しだけは見る。スポーツ観戦好きとはいえない。だからかよけい耳障りに聞こえる。
一番最初に伝えなきゃいけないことじゃないでしょ、とよく思う。あとにスポーツコーナーの時間が取られているにもかかわらず、これに時間を割くというのは、そのために伝えなければ成らない事柄が削られているということだ。
ところが、不思議なことにそのあとすぐ始まる社会検証番組「クローズアップ現代」では、今の政治が殆ど機能していないことが鋭く視聴者の前に提出される。
先週は子供の教育と医療が親の貧困によって崩壊している現状が放送された。
親の失業や収入の激減によって、高校中退を余儀なくされた子供達。
そうした若者達にはワーキングプアの未権利派遣社員の群れに入っていく将来しかない。
そして更に幼い子供達は、病気にかかっても保険証がないため、医者にかかれない。いや保険証があっても窓口の3割負担のお金がないところにまでおいこまれている例が製造業地帯で激増していると伝える。
「子供は国の未来」なのにそこになんらの手を打てない今の政権が、政府の態を成していないという感想が見ている人たちの胸に残るはずだ。
ニュースで現政府を擁護し、検証番組やドキュメンタリーでその矛盾を提出してみせる。
NHKの不思議だ。これが一致した時、日本は崩壊に向かうかもしくは逆に再生への道に一歩踏み出すかの分かれ道になるのだろう。

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老人性の物忘れは「直近のことを忘れる」です。

2009年03月10日 | Weblog
小沢氏献金疑惑で公設秘書逮捕。
いきなり公設秘書逮捕はいささか乱暴という印象を持った。
事情聴取とか任意同行という段階があってしかるべきかと。
その上で、企業からの献金というものは、いくら小沢氏が「適切に処理している」と説明しても、それはそうなのだろうと思うが、あくまでそれはザル法である今の「政治資金規正法」にのっとってという意味でしかないと思う。
「政治にはお金がかかる」と当たり前のように言うが、その常識こそ疑ってみるべきでは。
政党助成金、議員報酬、数々の議員特権、公設秘書には国から給与が支払われいる。これ以上にいるお金って?
国会で立法するには専門家の助けをかりて調査・研究する必要がある、そのためのお金という説明にはそうかと思う部分もあるが、一般国民がにわかに理解できない法律って何のためという疑問もある。
結局、情報と権限を独占する官僚組織のためではと考えてしまう。
今回の逮捕は小沢民主党への国民の信頼失墜と「郵政私物化隠し」という効果があると思うので、「国策・意図的捜査」といえるだろう。
おまけに漆間官房副長官の「自民党に捜査は及ばない」発言。
「記憶にない」なんて見え透いたことを人前で平然と言える神経はいかにも「官僚中の官僚」だ。
見たところ、かなりの年令に見える。老人性の物忘れの特徴は直近のことを忘れる点にある。「記憶にない」のが本当なら、自分の老いを自覚して即刻辞任すべきですね。もし奥さんがいるなら、旦那に辞任を宣告してください。老害を防ぐのは身内の務めです。
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郵政民営化は郵政私物化だった

2009年03月03日 | Weblog

郵政民営化の不透明、鳩山大臣の快進撃止まらず。
「かんぽの宿」の次は東京中央郵便局の再開発高層ビル化に待った。
郵政公社時代の不動産売却も再調査するようです。何しろ一万円で売ったものが6千万円で転売ですからね。これはもう郵政事業が持っていた財産を一部の人間が「民営化」の名に隠れて食い物にしたということですよね。
それを許したというか、推進したのは小泉・竹中という政府に居たコンビですが、これを「犯罪」として告発することができるか。
「サンデープロジェクト」で、亀井静氏は「検察に告発する」と宣言してましたが。
竹中氏は多弁でいろいろ言い訳します。でも宮内会長ひきいるオリックス不動産が一括で落札したという事実が明るみに出てからは、この言い訳は通用しなくなったと私は思います。
あまりにわかりやすい現実が明らかになってしまった。後は不公正な民営化を正すことができるか、ということですが、これは政権が代わらないと無理かも。
ここがジレンマですね。今、権限を使って、この不正に立ち向かっているのは自民党政府の鳩山大臣、でも政権が変わらないと、竹中氏を塀の内側に落とすことはできない。
私はあの竹中氏のシレッとした顔を見ていると、執行猶予なしの実刑判決を下してもらいたい気持になりますが。

シカゴ大女性教授ノーマ・フィールドの書いた『小林多喜二』。
私自身はまだ読んでいないが、テレビ番組で紹介していた。
『蟹工船』で脚光を浴びている多喜二だが、その作品以上に多喜二と言う人物の人間性が非常に魅力的であるとノーマさん。
これまたキューバ革命50年で映画も公開されているチェ・ゲバラの魅力に通じるものではないかと思う。
タキという女性を苦界から救い出した多喜二だが、そのタキに対して、「このことで、自分を卑下しないでほしい。これから堂々と生きていって欲しい」と説得する。
左翼運動をして、人間平等を目指しているにもかかわらず、女性に対して無意識のうちにも差別してしまう活動家であってはならない、それが多喜二の立ち位置であった。というより多喜二には最初からそういう差別感がない。
多喜二は難しい顔をした「青白きインテリ」ではおよそなく、面白いこと、楽しいことに積極的に興ずる人だった。とにかく多面的。これが小林多喜二だった。
ノーマさんは米軍人の父と日本人の母の間にうまれたハーフ。
現代のようにハーフがもてはやされる時代ではなく、疎外された存在を救ってくれたのは文学だったという。
「源氏物語」を研究していたが、小樽文学館で多喜二の資料に出会った。
70年代、多喜二とタキのエピソードを軸にした映画があった。
多喜二を山本圭、タキを中野良子が演じていた。
もう一度、映画化するといいなと思う。

 

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