今週の福島原発事故。
初期段階の深刻な状況が、ここへ来て次々明らかになっている。
冷却水を循環させるための電源が失われたところからかなり早い段階で「メルトダウン」が起こって、放射性物質が大量に大気に拡散した可能性がでてきた。
このことは原子力発電に反対していた少数の専門家が指摘していたところだが、住民の被爆災害を少しでも少なくするために「最悪」を想定して20キロ、30キロ圏内に住んでいる人達、特に子供、妊婦、若い世代の避難を急ぐべきだったのにそれをしなかった。
どころか「炉心溶融までは起こっていない。放射性物質の放出はただちに健康に影響を与えるレベルではない」というメッセージを政府・東電は繰り返していた。
この3月11日から数日の間に大気に出た大量の汚染物質を知らないで内部に取り入れたであろう子供達の今後が心配だ。
正しい情報を伝えなかったがゆえに政府・東電は未来世代への罪を犯した。
今回の震災、特に原発事故が「日本の第二の敗戦」であるとみるならば、あの第一の敗戦の時にも子供達は国家権力によって見捨てられ犠牲になったし、今回も子供達は見捨てられた。
太平洋戦争時、子供達は空襲、飢餓、病気にさらされ、果ては保護されるべき親を失った。究極の犠牲は中国に置き去りにされた「残留孤児」だったか。
私たち民が第一、第二の両敗戦で学ぶべきは軍隊は国民を守らないし、国家は国民を守らないということだ。
今無政府状態が続いているように私には思える。
それならば現場の、現地の人間が立ち上がるしかない。
1号機の海水注入中断をめぐる官邸、原子力安全委員会、東電のバトルは、早い段階で炉心溶融が起こっていたことを考えれば、悪者の代表にされた斑目、別名デタラメ委員長がつぶやいたように「何だったのか」ということになるのだろうか。
原発事故と水俣病被害の共通点。
原発もチッソ化学工業も国と企業が一体化で、その操業による負の側面を無視した。
その汚染の実態が明らかになっても御用学者と裁判所を動員してその「罪」を封印した。
そして地域経済に大きい影響を与える「企業城下町」であるがゆえに地元が分裂、沈黙させられた。
そして被害者への差別。福島の原発事故による被害はこれから5年、10年後に、ガンや未来世代の遺伝子損傷への恐れとして秘かに広がっていくことになる。
東日本大震災発生から2ヶ月が経った。
最初、福島第一原発の事故状況が伝えられるたびに、少しでも良い状況に向かうことを必死に願い、そういう情報にすがるような思いがあった。
東電や保安院の発表と、ネットで見れる「原子力資料情報室」のメンバーが伝える情報には乖離があった。
楽観的な保安院の発表を信じたいけれど、やはり「情報室」の言う方が真実なのだろうなと、心は重く沈んだ。
それが、1カ月経ち、2カ月が過ぎようとする今、原発の状況は、「資料室」が言っていた以上の深刻な状況であることがわかった。それなのに心が慣れてしまった。
これが人間の心理の流れというものなのだろう。最悪な事態を受け入れ、その最悪の事態によりどんどん不幸になっていってもあきらめて死んでいく、それが多くの人々のたどる運命のような気がする。
ところで、原発はいつでも軍事用に転換できる。それがこれほどリスクの高い、廃棄物の処理方法も見出されていない「発電方式」でありながら、世界中で採用されてきた一番の理由だ。
アメリカやロシアや中国といった広い国土を持っている国なら、事故が起きた時、逃げる場所もあるだろう。しかし日本のような狭い国土ではどこへも逃げようがない。
いつでも核兵器に転用できるからといって、「原子力発電」を推進してきた馬鹿らしさ。
放射能汚染に人と土地をさらしてまでも守る「国」とは何だろう。
こうした「軍事力信仰」の思考をこの震災を契機に日本から一掃しなくてはならない。
右翼陣営が「核兵器転用」をもくろんでいたのに対して、左翼陣営もまた「原子力の平和利用」という考え方に惑わされてきた歴史がある。
今回の事故でやっと日が当てられてきた「反原発」の学者の代表である京大原子炉実験研究所の小出裕章助教もまた「原子力の未来」を信じて、原子力工学の道に入ったのだという。
オバマ大統領、「イスラエル、占領地撤退を」と演説。
ビンラディンの殺害を世界に向かって誇ったかと思えば、今度はイスラエルへの政策の転換を表明した大統領。
ビンラディン殺害とイスラエル擁護政策の転換はオバマ大統領の中ではセットになっているようだ。
「テロとの戦い」を表向き高らかに宣言するものの、終わりがないのが実情だ。政策的にも財政的にも行き詰っている。
そして、アメリカに忠誠を誓っていた中東の独裁政権が民衆の怒りで次々に崩壊する情勢では、アメリカもイスラエルの無法を許しているわけにはいかなくなってきた。
そして再選の道が見えてきた。これも大きいのではと私は思う。
イスラエル擁護の色が濃い共和党はオバマに対抗する有力候補を用意できていない。
ユダヤ人と言ってもイスラエルにいるユダヤ人とアメリカの政治と経済を握っていると言われるユダヤロビーとの間には溝がある。
アメリカのユダヤ人社会はイスラエルは助けるが、イスラエルに永住するつもりはない。
周囲のアラブ社会と敵対し、常にテロを警戒しなくてはならないイスラエルは「神の与えし土地」と強弁しても「安住の土地」ではない。
浜岡原発が全機停止した。当然のことなのに、地元新聞を見ると、「やれ、電力の供給は大丈夫か」とか「地元の雇用や、原発交付金頼みの自治体財政に暗雲」みたいな、往生際の悪い見出しが目立った。
浜岡原発はその下の地層も問題だが、その上の地質も脆弱で、ここを実際に視察すると、よくもこんなところにと、ゾッとする場所らしい。
今まで福島のような大事故にならなかったのは偶然という奇跡でしかない。
中部電力の原発は浜岡のみで、中部管内の供給量の10数パーセント程度。
これを止めたからといって、すぐに供給に不具合が発生するわけではない。
「電力供給量の今後に不安」などという言い方は原発を推進してきた連中の負け惜しみの捨てゼリフみたいなものだ。
原発立地の自治体とそこの住民は、「原発交付金」をばらまかれ、しだいに「原発資金依存症」に陥って精神が荒廃していく。
マスメディアでは正面から取り上げられてこなかったが、原子力発電所はまぎれもない「迷惑施設」だ。
立地されている付近の住民は、原発で働いているうちにガンや白血病に冒されていくという事実も見てるし、海に排水される冷却水に放射性物質がかなりの濃度で含まれ、付近で取れた魚は食べない方がいいことも知っている。
しかしお金をばらまかれ、暴力団を使ってまで脅されたりすると、「もうどうでもいいや」とあきらめ気分になり、「安全だと言ってるんだから安全なんだ」と自分をだまして生きることになる。
そしてどうせなら電力会社からふんだくれるだけふんだくってやれというふうに堕落していくのだ。
本来なら農業なり、漁業なりを柱にして、つつましく勤勉に生きていく人々だったはずなのに。
1号機、2号機、3号機というふうに同じ場所に次々に新設されてきたのには、交付金が途切れるとやっていけない体質にさせられてしまった自治体と住民の存在がある。
「薬物中毒」と同じ構図だ。「こんなことをしていては身を滅ぼすことはわかっているが、とりあえず薬(金)を」というわけだ。
田中優さんという人の話をCSで聞いた。
原子力の専門家ではない市役所の職員だった人だ。
現在の電力使用量の割合は、産業用9割、家庭用1割だという。
そして大口需要者である事業用は、使えば使うほど価格が下がる仕組みになっているが、家庭用は使えば使うほど電気料金は上がっていくだけでまけてもらうことはない。
産業用も家庭用も同じ料金体系にすれば、産業界はあっという間に省エネのシステムを作るはずだという。
電力使用のピークは夏の平日午後2時前後、31度を越えた場合なので、これを避けるように産業界に要請すればいいのだ。
福島第一原発では1号機が炉心溶融を起こしていて、大量の汚染水が建屋地下にたまっていることがわかった。
終息への道はまだ見えない。むしろ遠ざかっているほどだ。
定年後の男達で「原発決死隊」を募って、福島原発の作業に当たろうじゃないかという動きを伝えるテレビ放送を見た。
その提案者は「自分達の世代が原発を作り、容認してきた。次世代にこんなものを残すわけにはいかない。自分の息子はまだ孫を作っていない。孫を作れる日本に」と言っていた。
政界・経済界・学界・メディアを牛耳っている、強欲で未来の世代のことを少しも考えない「じじい世代」は即刻退場すべきだが、元気な高齢者は、未来の世代のためにできることをする時だ。
今週はアメリカによるオサマ・ビンラディンの殺害に始って、途中ユッケ中毒騒動・ウィキリークス提供による日本の米軍基地予算水増し請求のカラクリ暴露、そしてとどめは菅首相による浜岡原発全面停止要請で終わった。
ビンラディン殺害をオバマ大統領自らが、胸を張ってテレビで公言したのには驚いた。そしてそれを喜ぶアメリカの市民達。
ビンラディンは拘束して裁判にかけるのが筋だろう。抵抗したから射殺したと言い訳していたが、にわかには信じがたい。
そして遺体の写真も公開されず、アラビア海で水葬に付したというのだが、要するに「ビンラディン隠し」だ。
この事実をきっかけとして「アフガン撤退」を開始したいというのがオバマの考えか。
「ビンラディン殺害がテロとの戦いの勝利の一歩」と、何のためらいもなく言うオバマを見て「この大統領はアフガン・イラク戦争を始めたブッシュと何ら変わらない」ということを思い知った。
それは以前から言われていたことではあるが、その証拠をありありと見た気がした。
「民主主義の墓場」と言われる多様な考え方、少数意見を切り捨てる2大政党制の国アメリカで大統領になる、なれるということは、アメリカの今までのあり方、世界をその軍事力と謀略で脅して支配し続ける道を行くということなのだ。
日本にある米軍基地は「思いやり予算」という日本の財政支出で成り立っている。
日本の財政の赤字が積み重なってくるにつれて、この「思いやり予算」に対しても国民の疑惑の目が向けられるようになってきた。
そんな時に外務省というもっとも忠実な「アメリカの犬」である省庁が、沖縄海兵隊グアム移転で「水増し請求をしてくれたら、それを削るという形で、日本の負担割合が少なくなったと見せかけますよ」と、アメリカ政府に持ちかけていた。
ウィキリークスが手に入れた公電は「朝日新聞」に持ち込まれ、それがスクープとして、報道された。
地方新聞にも小さな記事だが掲載された。テレビは私の見る限り、いわゆる地上波は無視だった。
今回の東日本大震災、その中でもとりわけ「原発事故」は、原子力発電の推進、立地、運転に関するデタラメ、腐敗ぶりは、アジア・太平洋戦争に続く第二の敗戦の観があるが、第一の敗戦で、軍隊と財閥は一旦解体されたが、変わらず残ったのが官僚体制。
とにかく変わらず生き続けるというのが官僚システムの最大の特徴で、これを変えるのは政治であり、政治の後押しをするのは一般国民である。
「浜岡原発停止要請」の判断は、少しでも正気が残っていれば当然の判断。
大地震が起こる可能性が八〇パーセント以上の割合であるとされる地層の真上に位置すると言われている浜岡原発。
大地震は今日、明日起こるかもしれない。そうなれば原発の施設は吹き飛び、そして日本も吹き飛ぶ。
天皇夫妻の被災地・避難所訪問。
「反天皇制」の立場からすれば、この行動も今回の震災の被害をあいまいなものにするものと批判の対象になるところではあるが、
ちょっと視点をずらしてみると、今これをやらなければ、皇室及び皇族、とりわけ天皇夫妻の存在意義はないも同然なのではないか。
後期高齢者の年令に入った天皇夫妻だが、皇居でじっとしているという選択肢はなかったと思う。
「日本国民の統合の象徴」と憲法で定められている天皇の立場を最もよく考え、理解し、実践しているのが、当然のことながら当事者である天皇夫妻である。
皇太子夫妻の全く足りていない部分を老いた両親が必死で補っている構図だ。
英国王子ウィリアムの結婚式もその様子をテレビカメラが追い、世界中で放映された。
彼の両親の結婚式では宮殿のバルコニーに出てきたところが印象的で、ウエストミンスター寺院内での結婚式にまでテレビカメラが入ったかどうか覚えていないが、今回の結婚式を見て、イギリス王室も結婚式を広く世界に披露し、それを楽しんでもらうことで「王室の存続」をはかる時代になっているのかとそんなことを思った。
原発事故の終息はいまだ見えず、汚染の広がりと被害は深刻さを増しているというのに、世論調査をすれば(そこには巧みな誘導があるとしても)、安全性を高めて現状維持という答えが一番多い。
今回の原発事故は、安全な原発など日本では不可能だという何よりの証明になったと思うのだが、これは震災のあまりの甚大さに呆然として「思考停止状態」になってしまった人が多いということなのだろうか。
今こそ原発は直ちに運転停止に入らなければならない施設だ。
停止に入っても冷却が進んで安定するにはまた数年かかる。
廃炉にしても放射性物質は放出し続けるわけで、その処理過程も実にやっかい。
使用済み核燃料にいたっては、今のところ万単位の年月をかけて、密閉し、地下に埋める方法しかない。そんなやっかいなものを増やすわけにはいかない。
原発を止めれば「電力が足りなくなる」という宣伝に惑わされている結果が先の世論調査に出ているのだろうが、自然エネルギー推進のNPO代表飯田哲也氏は、「日本の原発は運転開始以来40年たつものが多いので、いずれ近い時期に廃炉を迎える。今止めても同じ」と言っている。
原発の新規立地はまず無理なのだから、「原発なし」の社会を今から作っていくべきだ。
私などは、電気をふんだんに使える時代以前を生きてきたので、個人的には、節電はいくらでも可能だ。
今までの大量生産・大量消費の思考方法を変える時なのに、その時代を生きてきたいわゆる「じじい世代」ばかりが、どこでも発言の主導権を取っていて「原発ただちに廃止は無理」論をテレビや新聞で展開していて、実に腹立たしい。