「アベノミクス」崩壊目前
安倍政権の経済政策にまだ期待を抱いている国民はいるのだろうか。
安倍晋三が2度目の首相に返り咲いてからの世論調査で、「景気回復を実感するか」という問いにこれだけは一貫して「いいえ」と答える人が「わからない」を含めて7、8割にのぼっていた。
それでもメディアは特にNHKは株式市況が高値で推移していることを強調し続け、日本経済は上向いているのだという報道をしてきた。
私はそんなニュースに接するたびに「そんなわけないだろう。だいたい株式市場なんて、実体経済とはかかわりなく、投機的な売買が行われているだけなのに」と思ってきたが、特に根拠があるわけではない直感である。
しかし政権は金融緩和や公的年金資金の投入で露骨な株価つり上げ政策を実施し、金融緩和であふれだした海外マネーを日本に呼び込んで株高を演出してきたのだ。東京証券取引所の株取引のおよそ6割が投機資金を含む海外の投資マネーによるものであり、外国人投資家の動向が日本の株価を左右する状況だという記事を読んだ。(赤旗日曜版9月27日号の宮崎礼二・明海大准教授の主張)
私たち国民のそれこそ生命線である「年金の原資」が投機家、しかも海外のカモになっている現実、この間株価が激しく乱高下したが、年金資金も相当失われたはずだ。ある日ある時「もう年金を支給する原資がありません」という可能性が近い将来あるのではないか。
「世界で一番企業が活躍しやすい国づくり」=「世界で一番企業が儲けやすい国づくり」をアピールし、日銀による異次元の金融緩和による円安、法人税減税、労働法制の弱体化、TPP推進と大企業優遇の経済政策を打ち出してきたわけだが、大企業が利益を増やし株価が上昇すれば「好循環」が生まれて「消費に結びつき、経済成長にプラスになる」と詐欺師が使うような理屈で庶民をだましているのがアベノミクスと思えばいい。
グローバル=アメリカ型経済の破綻
東芝の不正会計、横浜の大型マンション群のくい打ち強度不足、そしてドイツのVWの排ガス値偽装と次々に明らかになっていく大企業の不正事件、これに先行したのが、東京電力による福島第一原発の爆発事故だと考えるが、これらはみなアメリカ型の株主利益優先、目先の利益優先といったアメリカ型の経営を推進した結果ではないか。
グローバリゼーションが叫ばれた90年代以降、国際会計基準が導入され、会計ルールが変わって以来保有株式を手放さざるを得なくなって、外国人株主の保有比率が上昇していく。今や名だたる大企業が外資系企業になっている。今回問題を起こしたマンションの発注元三井不動産の株式の外国人保有率は53・90である。(週刊金曜日・7月24日号の金子勝慶応大教授の主張より)
『遺産争続』というドラマを見ていたら、葬祭事業で一代で成金になった経営者が10億もの現金を金庫に収めている場面があった。
ああ、むなしいと思った。これはただの紙切れ、少し上等の。こんなものどんなに持っていても世の中の価値観がひっくり返ってしまえば何の役にも立たない。
自給自足できる農業をしている地方の人たちが最後は生き残るのだろう。あの戦時・戦後の食糧難の時代のように。
中国憎悪に傾斜していく恐ろしさ
共産党が「安全保障関連法廃止」を目的とした連立政権樹立を他野党に呼びかけているが、その中で「日米安保廃棄の大方針は変更しないが、政府には求めない」とし、「日米安保は現行の条約の枠内で対応する。有事の際には在日米軍に出動を要請することもある。自衛隊については急迫不正の侵害が起これば活用するのは当然だ」と、志位委員長が外国特派員協会での記者会見で述べたと新聞(信濃毎日新聞)にあり、「本当にそれでよいのか」と不安を覚えた。
志位氏の言っている有事とは?また急迫不正の侵害とは?これは中国を念頭に置いているのではと思うのだ。
中国と軍事衝突が起これば共産党もまた「中国と戦うべし」という立場になるのでは?
以前、棚上げ状態になっていたはずの尖閣諸島帰属問題が、石原慎太郎らの挑発により当時の民主党野田佳彦首相が「国有化宣言」をする騒動の際、共産党は「尖閣はわが国固有の領土」といささかのためらいもない立場だったが、私は果たしてそんなに疑いもなく「日本の固有の領土などとは言えない地理上の位置にあり、その島は海で生きる周辺の国々の漁民にとって共有されてきた島ではないか」と、この時の共産党の立場には違和感を持った。
一気に流れが変わる恐れ
ジャーナリストの青木理氏は国民を戦争状態に引きずり込む「安保法制」を強引に拙速に進めたにも関わらず安倍政権の支持率は下がることなく40パーセント前後を保っている状態に対して、もし集団的自衛権行使により自衛隊員が海外で戦死したら、あるいは日本国内で大規模なテロが起きたらどうなるか。世論は一気に「防衛秘密や治安を守る法制を強化せよ」との論調に流れる恐れがあると警告している。(信濃毎日新聞)
自衛隊員の戦死やテロが「安保法制によって引き起こされたのではないか」と指摘すれば「自衛隊員の死をおとしめるな」、「テロに屈するのか」という壮絶な非難にさらされるだろう。そして成立した特定秘密保護法に続いて盗聴法や共謀罪などの治安立法を世論が先導する。安保法制によって高まるリスクが国民の自由を奪いかねない法律を強化してしまう危険があると。
私はそういう事態が起きたら国民にこの法制に対する反対と安倍政治に対する抗議が一気に高まるのではと考えていたが、むしろ逆のことが起きる可能性の方が高いのだ。
戦前がそうだったし、アメリカの9・11テロの場合もそうだった。正しい情報とジャーナリズムが機能していない社会では人々は感情に任せた行動に出る。
靖国神社は自衛隊員の戦死を想定内として、その死を賛美する場として、政治家が自分は死なずに身代わりになった隊員に形式的に哀悼の意を表する装置としてこれからますます栄えることになる。
自衛隊員の服務規程
自衛隊法52条は「職務の遂行にあたり、ことに臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に努め」とあり、自衛官は自衛隊法40条で退職の自由を制限され自己都合でやめることができない。その理由は「部隊を構成する自衛官は自己の生命を奪われることを予期しなければならず、その際自己の生命を守る理由により任意退職を認めれば部隊は崩壊するので特別の事由がある場合を除いて退職を承認しないこととした」(市民の意見・2015年8月号・有馬保彦氏の文章より)
元自衛官という立場の人が時々いるが、そのような厳しい服務規程があることは認識していなかった。
自衛隊員に日本国憲法が保障する人権は適用されないようだ。
議席を奪還しなくては何も始まらない
「安保法案」反対に若い人たちも立ち上がった。1970年代までの激しい学生運動には及ぶべくもないが、それでも近年になく示威行為も盛り上がったという感想に、つい私などもなってしまうが、安倍政権はそんなことは関係なく数の力で押し切ってしまう。
ここはどうしても国会での議席、各自治体首長の椅子を「反安倍政治」の側に一つづつ取り戻さなくてはならない。
ということで共産党が他の野党に広く「安保法制廃止のための連合政府」をと呼びかけた。
確かに来年の参議院選はこのままでは自公の圧勝を許してしまいそうだ。人々が喜々として安倍政治を支持してと言うより低投票率と自公の組織票によって。
世論調査で、野党第一党の民主党が信頼できないからといって、安倍政権を支持すると答える人達の心情が私にはよくわからない。
「支持できる政党はない」と答えればいいのではと思うのだが。
中国との軍事衝突を謀略を使ってでもやろうとしている安倍政権。そしてアメリカの軍事作戦のお手伝いをすることによって高まるテロのリスク。すでにバングラデシュで、農業関連の日本人技術指導者がテロによって命を落している。
TPPによって遂に全財産をアメリカに捧げることになってしまうのに、そんなことにこの3年間を費やした安倍政権を支持するとは・・・。
共産党の他党への呼びかけはその閉塞感を打破する突破口になるのではと、私は思ったのだが、世間の支持は必ずしも集まっていないという。
共産党には一年前の都知事選でこそ英断を下してほしかった。澤地久枝さんなど老いと病身の身に鞭打って候補の一本化、具体的には宇都宮健児氏に立候補を断念してもらい、もっと広く票を得られそうな候補、あの時は小泉元総理が「脱原発」を掲げて細川これまた元総理を応援したがを働きかけたが、宇都宮氏はこれに答えなかった。共産党の意向が働いたらしい。
だから今度、世論の願いを受けてと言っても信用してもらえない。
首都決戦で自公に勝利していれば、人々に私たちの一票で政治の流れを変えられるのだと力を与えることができた。
来年の参院選は定数の調整で、地方が一人区となったところが多い。長野県もそうだ。
民主党の北澤俊美氏が改選期を迎えるがすでに今年78才を迎える。引退も取りざたされている。知名度もあり、民主党内の右派というわけではないので候補の一本化により勝利は可能だが・・・。
一方共産党がここ2,3年党の国政候補として売り出している唐沢千晶氏はまだ40代の女性で、候補として誠にふさわしい人で、この人を下ろして別の無党派候補をというと、よほど清新な人でないと自公を抑えるのはむつかしい。候補の一本化も簡単ではない。
「南京大虐殺」ユネスコの記憶遺産に登録。
ここ10年ほどの急速な日本における右傾化=反中・反韓が中国にこの登録を決意させたと考える。
戦争勝利後、中国の日本兵士に対する処遇は「日本軍兵士もまた日本軍国主義の犠牲者」という立場で、寛大なものであった。
しかしただ甘やかしたというのではなく、撫順の戦犯収容所では自分の戦争犯罪に真摯に向き合う環境を作り、ここで生まれ変わった人も多い。
戦後こそ日中友好を唱え、経済・文化両面で尽力した人も多く、まず思い浮かぶのは田中角栄元総理あたり。田中氏もまた日本軍の一兵士としての体験者だ。
私は今石川達三氏が日中戦争従軍の経験から南京攻略に向かう部隊の兵士たちの行動と心理の記録を小説と言う形で描いた『生きている兵隊』を読んでいる。
兵士たちは召集される前は小学校教師であったり、医学徒であったり、僧侶であったりする。
行軍が始まれば何日も顔も洗えず、野外で仮寝、食料は現地調達という過酷な生活の中で、どんどん野生化していく。
戦闘で生死の狭間を経験すると、もう過去の日常生活は遠くに飛び去っていく。
そして敵兵も住民も逃げ去った町に入る、そんな時彼らが切実に求めるのは若い女性だ。
日本軍の方針は捕虜は足手まといになるのでその場で殺処分する。「南京大虐殺」はそうした記録なのである。
日本政府は早速、ユネスコへの拠出金引き揚げという行動に出た。
日本の代わりに中国がお金を出せばいい。そして日本はユネスコからも締め出される。自業自得の孤立の道。
ノーベル賞の価値とは?
去年に引き続き日本人が二人も受賞した。これでバランス的には村上春樹の文学賞と憲法9条の平和賞の目はなくなった?
医学生理学賞を受賞した大村智氏は北里大学の研究所で研究生活のほとんどを送った人だ。
エリートコースではない異色の研究者の道が紹介されていた。
北里研究所というと、私は野口英世を連想する。学歴のない野口を下級の研究員として雇ったのは北里柴三郎の伝染病研究所だった。
その後アメリカに渡り、ロックフェラー研究所の研究員になった野口は当時「ノーベル賞に最も近い男」と言われながら果たせず、アフリカの地で自身の研究する黄熱病のウィルスに感染して無念の死を遂げた。
敗戦後間もない湯川秀樹氏の物理学賞受賞といい、ノーベル賞に何かと物語を見出してきた日本だが、欧米ではどうなのだろう。
これほど日本人の受賞が続くと、その価値はどうなのだろうとそんなことも考えてしまう。
軍隊が日常に溶け込む(政治学者姜尚中氏の意見・信濃毎日新聞より)
特定秘密保護法を制定し、武器輸出三原則を見直し、そしてついに集団的自衛権行使まで認めた政権。
これからは防衛費は確実に増大し、軍事産業が成長し、疲弊した地域経済を潤して「地方創生」の目玉になっていくかもしれない。学問の世界も軍事との接点が広がり、知識や技術の面で貢献するようになるかもしれないと。
この意見を裏付けるように「軍事応用可能な研究に費用、防衛省公募に16大学」の記事が9月23日の信毎の紙面トップになっている。
先の戦争中でも国民の生活が軍事偏在でどんどん不自由になっていく中、軍需産業に携わる者だけは景気がよく、生活に不自由しなかった。
経済界は「武器輸出三原則見直し」を歓迎している。「死の製造人・商人」を自ら買って出るというわけだ。
そこで働く人間もとりあえず自分の生活を維持するために武器が世界のどこかで使われ、無残な死を作り出すことに目をつぶることになるだろう。
原発立地と関連の産業の関係と同じだ。
福島の原発立地自治体とその周辺も事故が起きるまでは比較的豊かな生活を送っていたように見えた。
3世代で暮らす大きな家。野菜やコメは自給自足。働き盛りの世代も原発関連の仕事が地元にあるので、故郷から出ていく必要がなかった。
しかしずさんで無責任な電力会社の体質と自然災害で、そこは放射能汚染されほぼ永遠に帰れない場所となってしまった。
みんな見て見ぬふりをしてきた。原発は被爆労働なしには成り立たないし、海への循環水の放出は確実に海を汚染していた。
これは福島ではなく福井の原発だが、原発の建屋のすぐ近くの海で人々は喜々として海水浴を楽しんでいた。
命と引き換えの、それが誰の命であっても、得る仕事は仕事とは言えない。
安保法制が成立した後は経済へとばかりに「新しい3本の矢」とやらを安倍晋三は発表したが、GDPを600兆にとぶち上げた。その思惑は軍需産業の拡大でいうことではないかと言われる。なるほどそれしかあるまい。
安保法制で宮古島は戦争の「最前線」になる
これは宮古島在住の宮平佳和氏の「週刊金曜日」9月18日号への投稿だ。
辺野古への新基地建設問題で揺れる沖縄島から南西へ約400キロ。観光で知られる癒しの島に陸上自衛隊配備計画が持ち上がっていると書いている。
配備賛成派は「自衛隊配備促進協議会」、反対派は「止めよう!『自衛隊配備』宮古郡民の会」を組織し、島を二分する問題になっている。
宮古島市長の下地敏彦氏(自公推薦)は「基地建設は必要である」と受け入れを容認している。配備の賛否を問う住民投票については「国防問題を住民投票でやるのは違う」と否定的。
これに対して「群民の会」は元宜野湾市長の伊波洋一氏と映画館監督の三上智恵氏を招いて講演会を開催。そこで伊波氏は
「琉球諸島の各ミサイル基地は台湾有事の際、公海上の中国海軍艦船に向けて米国の指揮下においてミサイルを発射するための基地である。そのための「集団的自衛権」。宮古・八重山諸島は当然ミサイルの標的になる。だが安倍政権は犠牲が出ても高々10万人程度として沖縄本島以南を切り捨てるであろう。水陸機動部隊が行っている「離島奪還訓練」は、先島(宮古・八重山諸島」が中国軍に占領されることを前提としての訓練で投入される自衛隊員の八割が犠牲になると見込まれると語った。
辺野古の陰に隠れて、政府・防衛省は着々と先島諸島の「軍事要塞化」を進めている。
「中国脅威」をあおる連中は脅威に備えるに「離島防衛」のための自衛隊配備が必要と言うが、これで一旦事が起これば、犠牲になるのは住民である。安倍政権とアメリカは軍需利権のためならば沖縄戦の再現も辞さない構えだ。
しかも有事は中国側からではなく、日米の側から起こされる可能性のほうが高い。今の安倍政権と好戦的な発言を繰り返す自民党議員を見ているとそう思える。中国側に日本の離島を占拠して得るメリットは何もない。しかし日米からの挑戦は受けて立つしかあるまい。
米国に一方的に守ってもらっているというのは全くの勘違い
元防衛官僚で現在新潟加茂市長小池清彦氏の主張(10月3日信毎記事)
氏は「他国のために死ねるのか」と問い、9条の縛りにより、朝鮮戦争・ベトナム戦争・湾岸戦争と米国の関わった戦争に派兵せずにすみ、イラク戦争でも辛うじてではあるが「非戦闘地域」への派遣で済んだ。
第2次大戦の敗北からこれだけの時間がたっても米国の世界戦略の一環としていまだ多くの米軍基地があり、基地維持のために国費を提供させられているのである。
冷戦期、日本近海で旧ソ連の原子力潜水艦を捕捉する訓練・作戦は米軍と一体の任務で、哨戒機の墜落等で隊員に多くの犠牲を出した。
防衛官僚として一番辛かったのはこうした殉職隊員の「慰霊祭の日」だったという。
2度の原爆投下、各地の空襲、沖縄地上戦で日本を打ちのめし、そして戦勝後は日本を思うままに占領したアメリカが日本を利用することはあっても守ることはない。
「日米同盟」、「日米同盟」と言い立てありがたがる連中は米国に飼われる犬である。だいたい目下の同盟者ではあっても対等な関係ではない。
忠実な犬になることで日本での支配権を保てるのだから「捨て犬」にならぬよう忠誠を誓うだけである。「忠犬○○公」だ。