木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

過剰な支配の果て

2007年11月27日 | Weblog

「凍りついた30年」。娘のめぐみさんを北朝鮮に拉致された横田夫妻の30年を追った番組を見た。
たった13歳で拉致されためぐみさんの場合、他の大人になってから連れ去られた人たち以上に残酷で、この事実には言葉もない。
歌が好きで、絵が好きで、花が好きで、動物が好きで、ほんとに利発な少女だっためぐみさん。
そんなめぐみさんが、北朝鮮の発表によれば、28歳で、うつ病のため、みずから命を絶ったとされている。
拉致の真相を明らかにするためには、北朝鮮が「開かれた国」になるしかないと、私は思うのだが、夫妻は、「家族会」や「救う会」の言う、建前を口にする。
本音は、今すぐ、北朝鮮に飛んでいって、せめて孫娘に会いたいだろうに。
6ヶ国協議が進展し、南北朝鮮の融和がすすめば、建前とは裏腹に必ず、拉致問題の真相は明らかになる、せめてそれが横田夫妻が元気なうちにと、願わずにはいられない。



日航の客室乗務員を中心とした労組の一つ、「日本航空キャビンクルーユニオン」が、会社と最大労組JAL労組を、不必要な個人情報、例えば、思想・容姿・病歴・家庭環境・性格等を無断保有したとして、「基本的人権がおかされてきた」として、提訴した。
悪名高い日航の労務管理と組み合い潰しは、山崎豊子の『沈まぬ太陽』にも描かれ、そうした陰湿な、しかも安全無視の体質が「ジャンボ機御巣鷹山墜落事故」を引き起こしたとして、批判を浴びていたにもかかわらず、その体質は温存され続けたようだ。
もともと最大労組は、本来の組合を弱体化させるために作られた第二組合=御用組合であったから、会社の言いなり、いやそれ以上に、他の組合潰しに熱心だ。
社員のやる気をなくさせる、会社は必ず問題が起きる。
ことは飛行機、という乗り物だけに、日航のこの悪体質、何とかしないといけない。
この会社は解体・解散するのが一番なんだけど。



同じような悪体質の業界が「コンビニ業界」。
コンビニのオーナー経営者達は、本部のまさに「サギ」ともいえる、収奪方式に苦しんでいる。
全ての商品は本部から調達されるが、売れ残りも含めて、調達された商品すべてが「売れた」とカウントされ、上納金を要求される。
働いても働いても利益が上がらない仕組み。
しかしこの会計方式は巧妙で、なかなか素人が違法性を指摘できない。
これは、「セブン・イレブン」生みの親、鈴木敏文氏が、アメリカから持ち込んだ会計方式だ。
そして、オーナーの次は、管理職とされた店長たちの悲鳴。
全ての責任を押し付けられ、残業に次ぐ残業、それなのに、アルバイトや平社員の時より収入は下がってしまうというカラクリ。
こんなにして、人から搾り取って、何が面白いのか、と思うが。



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拡大路線の果て

2007年11月22日 | Weblog

老舗高級料亭「吉兆」の偽装問題、そして「東京ミシュランガイド」の☆付きのお店発表と、「食の話題」が続いていますが、
「ミシュランガイド」なんて、私のような田舎住まいの「あるものを食べる主義」の者にとっては、「それが何か?」の世界だ。
「吉兆」の高級?高額料理も、私は食べたことありませんが、多分、信州の伝統的な、農村の食事で育った人にとっては、値段ほどには、美味しいと感じないのでは。
食べなれてきた味の感覚、というものは、一生、ついてまわるものではないだろうか。
マスコミがあんまり「食べ物」のことばかり取り上げるものだから、「国民総グルメ」みたいになってしまって、
自分の舌で確かめるんじゃなくて、テレビで宣伝してた、という「ブランド名」だけで、多分、「美味しいんじゃないか」と思わされてしまっている。
偽装して儲けた所は悪いが、名前ばかりにこだわる消費者も考えを改めたほうがいい、と思わせるこれらの騒動だ。
ただ、ミシュランのお墨付きをもらった店は、店主みずから店に立ち、自分ができる範囲の小さな規模の店ばかり。
それに引き換え、「吉兆」は、拡大路線になっていた。
食べ物は、「拡大路線」に走ると、必ず味が落ちる。
外食チェーン店のようなところは、味のマニュアル化をはかり、そこそこの内容と味のものを出す。
私も時々利用するが、「まずい!」と思うことはまあ無い。後は安全なものを出してくれれば、産地がどこだろうと、どの部分を使おうとかまわない。
高級でかつ美味で、拡大、これは有り得ない。



そんな、都会で「ミシュランガイド」などで、ノー天気に騒いでいる間に、地方の、農山村は、静かに崩壊の道をたどっている。
「過疎集落」がさらにすすんで「限界集落」。そしていつか誰もいなくなり、そのとき、山が崩れ、それが脆弱な基盤の都市に押し寄せる。このままほうっておけば。
山地が国土の殆どを占める日本では、人は昔から山に住んできた。
山が好きだから山に住んだのではなく、山に住むことに意味があったからそこに生きてきた。
斜面に切り開かれた「棚田」は、山の荒廃を防ぎ、保水を高めてきた。
里山の山林に手を入れ、その材を使うことも、社会と自然の循環のために当然のことだったのだが。
山村に人が住んできた間は、私たちは、山村に守られていると、特に感じることなく過してこれた。しかしこれからは・・・。
「金儲け」の暴力と魔力になぎ倒されてきた、この数10年だが、今まさにUターンする時だ。しかし都会生活者にはこれがわからない。



福田首相は、ASEAN(東南アジア諸国連合)の会合を終えて帰国した。「やる気」の見えない内閣ではあるが、この人のお父さん福田赳夫氏が、77年、そう今からちょうど30年前、首相として東南アジアを訪問した際となえた構想が「福田ドクトリン」。
?日本は、「経済大国は軍事大国になる」という歴史の通説とは逆に平和国家に徹する。
?東南アジアの人々とは「ハート・ツー・ハート(心と心のつきあい)」でいく。そのために学生を受け入れ、技術支援に力を入れる。
?ASEAN加盟の国々が力をつけて安定の基礎を築く。そのために政府開発援助(ODA)を5年間で倍増する
というもの。
福田赳夫氏といえば、「タカ派?」というイメージがあったが、この構想は、アジア諸国に今でも評価が高いという。日本ではこの構想を記憶する人は少ないのだが。
私も今回、「週刊金曜日」の記事で初めて認識した。
翌年、78年、日中平和友好条約が締結される。
「日米同盟」一辺倒の小泉氏も福田氏の教えを受けた福田派なんですがね。
そして、息子の現総理は「親中派」ということだけど、米軍のイラク侵略戦争のための「インン洋上での給油」にきゅうきゅうとしている。
今の時代の政治家?がいかに目先のことしか考えず、大きな視野を持たないか、ということが知れる。




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主計将校、中曾根康弘

2007年11月16日 | Weblog

前の日記で、明治の世代が大正の世代を戦場に送ったと書いたけど、中曾根氏も渡辺氏も送られた「大正世代」だ。
渡辺氏は、1兵士として苦労し、それで戦後、共産党に入党して、革命運動に身を投じたこともあったが、やはり、そこは彼が生きる場所ではなかったようで、現在につながる方向へ身を転じていくことになったのだが。
一方、中曾根氏の方の、戦時中の軍人としての身分は「主計将校」。
軍隊の中で、給与や物資の分配や輸送の手配などをする、「兵站」が任務。
前線で指揮を取る将校ではない。軍隊で一番身の危険の少ない任務か。
私の母の弟たち二人は共に大正世代で、召集された。
母はよく言っていた。「Aちゃん(兄のほう)は、要領が良くて、幹部候補生の試験を受けて、主計将校になったが、Sちゃん(弟)は、幹部候補生じゃなかったので、最初は満州に送られたけど、やがて南方に送られて死んでしまった」と。
私の頭には、主計将校=要領がいい=身の危険が少ない、という刷り込みができあがった。
軍隊において「兵站」は、一番大切と言えるかもしれない。それをおろそかにしたために、日本軍は、多数の兵士の命を失わせることになり、「兵站」=「補給」を勘定にいれない、無謀な戦争を続けることになった。
叔父は、経済学を学び、財閥系の企業に就職していたから、「適材・適所」ではあったろう。
戦後は、勤めていた会社に復帰し、かなりの出世を果たしたから、やはり要領のいい人だったのだろう。
その要領のいい中曾根氏が、戦後憲法の1番の根幹を改定し、つまり、9条の縛りを解き、自衛隊を「普通の軍隊」にするべく、発言・行動をするのは、戦後生まれの世代としても許しがたい。
中曾根氏は、大本営参謀だった瀬島龍三氏と同類だ。
中曾根さんには、補給もない、飢えと病のニューギニア戦線の生き残り、奥崎謙三氏(ドキュメンタリー映画「ゆきゆきて神軍」の主人公)を対峙させたかった。
その中曾根氏が、またまた、せこい、要領のいいことをした。
80年代、アメリカのレーガン大統領と、「ロン・ヤス」の関係を演出した、自身の別荘「日の出山荘」を記念館に仕立て上げた。
きっと、節税になるんでしょう。もう行政に買い取らせたんでしょうか。
そんな中曾根さんを、女優の岸恵子さんは、エッセイの中で絶賛している。
フランスの名士たちの前で、中曾根さんが「実に素晴らしい、スピーチ」を、堂々としたんだそうな。
「岸恵子は、時々間違う」と、評論家の佐高信さんは言ってますが。
たしかに、フランスの大統領だったミッテラン氏やシラク氏のような押し出しがあり、演説も上手でしょう。
岸さんもフランスで日本人のスピーチを聞いた、ために日本で聞く以上の感慨を持ったんだろう、とは思いますが。
でも日本国民にとっては、中曾根さんの場合、功罪の「罪」ばかりが思い起こされる。
中曾根氏が進めた国鉄の分割・民営化は、効率一辺倒の「現場知らず」の幹部による経営方針のJRを生み、「尼崎列車転覆事故」を引き起こしたし、国鉄労組の解体、そして「総評」の解体は、今日の労働組合の弱体化につながり、「ワーキングプアー」という労働条件の悲惨なまでの「切り下げ」をもたらした。
小泉純一郎の前には中曾根康弘がいた。



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2大政党制の幻想、破れたり!

2007年11月11日 | Weblog

大連立騒動。
私は、小沢一郎氏が民主党の党首の座に就いた時に違和感を持った。
いや、自由党を解散して、民主党に合流したこと自体、違和感そのものだった。
やはりこの人は、「野に放たれた自民党」ではないか?
そう思うのは、小沢氏がまさに自民党の中枢にいた人だからだ。
小沢さんは、「政策原理主義者」だと言われている。自身の考える政策を実現することを第1に考える。
そのためにはどんな手でも打つ。
今回の参院選、民主党は、地方の人、農村部の人たちに、「生活第1」を訴えて、格差社会にあえぐ階層の人々の受け皿になった。
それを先頭になって訴えたのが小沢党首。
「民主党は社会民主主義政党に脱皮する覚悟をしたのか、小沢さんは社会民主主義者になるつもりかしら」と、半信半疑だったが、やっぱりそうじゃなかったみたい。
大連立を呼びかけた側も小沢氏だからだろう。鳩山さんにも打診があったらしい。
どちらも元自民党。しかも世襲議員。
菅直人氏には持っていかない話だ。
小沢さんは、党首辞任撤回の弁で、「不器用な東北人」ゆえの説明不足を陳謝したが、国会議員の子供として、東京で生活してたんじゃなかったかしら?
生粋の東北人とは言えないでしょう。独断専行が東北人の特性だと思われたら、東北地方の人が迷惑する。
ただ、自身の性格として、裏で政治を動かすのが向いていると思っているのだろう。
心臓に持病があるので、「総理の激務」には耐えられないこともあって、マスコミが騒ぐ「総理の椅子」への興味はないみたい。
そんな野心があったら、自民党から出ていかなかった。
自民党にいたほうが、よっぽど可能性が高い。安倍さんや小泉さん、小渕さん、森さんより先に総理になっていたはずだ。
しかし、今回の騒動で、民主党が国民大多数の「受け皿」になる政党ではないことがよくわかって、かえってよかったのでは。
民主党以外の野党と、無党派が協力して、「社会民主主義的」な政治潮流を作る以外に、希望の道はないことがわかったのだから。
今回の大連立の仕掛け人は、中曽根・ナベツネのN・Nコンビだという。
この二人は「老害」の典型。
大連立で、憲法改定。9条破棄が目的だというから、とんでもない不良老人達だ。
孫やひ孫の世代にどんな社会を贈るつもりでいるのか。
明治の世代が大正の世代を戦場に送り、昭和の世代を苦しめたことを思い起こす。
しかし、こんな老人達に振り回される下の世代も情けない、ということになるのだけれど。



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形式的証人喚問

2007年11月05日 | Weblog

民主党小沢代表が辞任の記者会見。
自民党との大連立を役員会で拒否され、それは「自分への不信任と受け止める」というんですが、この人の言動は、私にはよくわからない。
ただわかるのは、福田内閣は「やる気ない内閣」だということ。
前総理の安倍さんは、「やる気」だけはあった。中身がともなわなかったけど。
福田さんは全然やる気なし。お年もお年ですしね。



先週の守屋防衛省前事務次官の「証人喚問」。
10年間で200回以上のゴルフ接待。よほど接待でのゴルフが好きな方。つまり人の金で、防衛商社だから、回りまわって税金=国民のお金で遊ぶのが好きということ。
これ役人の習性ですかね。守屋氏は役人の中でも際立って、そういう意味では「鈍感力」のあるタイプ。
それほどの接待を受けて、「接待を受けた相手に便宜を図ったことはないのですか」の質問に「そういうことは一切ありません」て、言えるのも「鈍感力」。
こんなやり取りを見て、国会での証人喚問とか、参考人尋問とかのあり方を考えてしまった。
裁判所じゃないんだから、もっと別な切り込み方、質問をして欲しい。
「便宜供与をしましたか」と聞かれ、「はい、しました」と答える人はまずいないだろう。
テープとか動かぬ証拠がないのだからとタカをくくっているのだろうし、こんな問答していても仕方ない。
私は国会中継など熱心に聴くことはないが、どうも国会というところというか、地方の議会でもそうだと思うが、「形式的な場」になっている気がする。
明治の帝国議会開設以来の形式をかたくなに守っているのでは。
国会への新参者を、古手の議員や、職員は、お得意の「形式的儀式」で、煙に巻いて、おとなしくさせる手段にしているようだ。
官僚ほど無責任で、恥を知らない種族はない、ということも痛感する。
国会で尋問を受ける直前に自殺してしまった松岡農水大臣を思い出す。
別に守屋氏に「死ね!」と言ってるわけではないけれど。
松岡氏もまた、関係業者と癒着した議員だったが、政治家は官僚と違って、「選挙」で選ばれてきたという意識があり、背後の選挙民のことが頭にある。
1部の癒着業者だけの力や票だけでは、当選することはできない。
支持者の中には、松岡氏を信じて、投票したり、選挙応援活動をした人もたくさんいたわけで、それがなければ小選挙区を勝ち抜くことはできない。
その重みが松岡氏を押しつぶしたわけだが、松岡氏も政治生命を絶つ覚悟をすれば、実際の生命を絶つ必要はなかったのだが。
官僚は国民に選ばれているわけではないし、国家公務員試験で選ばれたら、後はその役所内での人間関係に気を使うことしか考えない。
防衛省と防衛商社、そして兵器製造会社は、丸ごと「身内感覚」なのだと思う。
そこは国民の生活にはなんの関係もない「聖域」だ。
武器を捨て、軍事力に頼らない、21世紀の人類の課題だ。



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