久しぶりの松代ガイドと思ったら私の勘違いか、ガイド調整担当者の連絡忘れか、もう終わりかけ。
聴いていたらなかなかのもの。私より後から入ってきた人だが、私も来年は「後期高齢者」の中間入りそろそろ「選手交代」の時か。せっかくなのであたりを散歩というか徘徊。風もなく天気よく、象山神社では「お宮参り」の家族。神社はなんでも受け入れる。交通安全にお宮参りに合格祈願。
特に佐久間象山は菅原道真と並んで「学問の神様」としての誉れが高い。合格祈願の絵馬がずらり。これを見ると合格したいあるいは合格した学校名が書いてあったりしてそれを見るのも楽しい。
佐久から来たという女性、息子が来年高校受験とか。合格祈願を勧めておいた。結果は変わらないかもしれないが、「祈願」をしたということが受験の励みになる。
自分の時、もう60年前はそういうことしようということが思い浮かばなかった。家もそういう家ではなかったし。
『蹇蹇録』読了。
陸奥宗光の日露戦争に至る回顧録だが、当然のことながらいきなり戦争には至っていない。
日本の国力からすれば戦争してる場合じゃない。列強は日本の東アジアへの拡大を警戒しけん制。そこでいろいろ思い悩むのだ。その相手は首相の伊藤博文。二人とも「長州閥」。
国民には知らせて居ないから日露戦争の戦利は国民の不満を買い、日比谷で焼き討ち事件などが起こる。
今でも政府や企業の得意技は「隠ぺい」。だがこれは一層の「墓穴を掘る」ことになる。
隠ぺいは自身の保身やその属する組織の存続を願ってのことだが結果は常に逆の結果になる。
さわやかな日。
昨日は午前中は雨。だが菩提寺の通信を配るのを忘れていたので雨の中配って回る。
安倍の馬鹿が日銀は「政府の子会社」発言。
私はこの馬鹿元総理にはほんとに腹が立つ。なんでこんな奴が偉そうに国会議員としてのさばっているんだ「税金の無駄遣い」だ。共産党か立民のもっとましな人物に議席を明け渡せと言いたい。
しつこいようだが、「爆心の友」ってどんな友だ。加計孝太郎のことを「腹心の友」と言いたいところをこう言った。私は安倍がそう発言したところをしっかり聞いた。
その後メディアは音声を流さず字幕にした。そんな忖度するな。何度でも音声を流せばいいのだ。
安倍の周囲で揉み手をしている悪の連中は国民にとって有害なことばかり吹き込んでいる。これを阻止するのは山口の有権者だ。安倍の得票は首相を務めて以来随分減ったということだが、選挙に出させない、落選させることがここの選挙区の有権者の責務だ。
給付型奨学金対象拡大へ。政府会議提言へ。
ぜひそうあってほしい。向学心のある学生が学費の心配をせずに学べる環境が日本は無さすぎ。質の悪い自民党の国会議員の歳費をこちらへ回してもらいたいものだ。
奨学金の返済に苦しんで遂に「院生長屋」と称される研究室で焼死してしまった九大の院生の事件が忘れられない。
野党連合が参院選長野県区で現職杉尾秀哉氏支援でまとまった。しかし自民候補と激戦の展開が予想されると信毎の情勢分析。しかし楽勝などと予想されるよりいい。杉尾さんに当選してもらいたい側がこれで多いに引き締まる。
反共産党の連合も渋々だけど賛同した。当たり前でしょう。労働者の組合が自民党とつるんでどうするんですか。組合費返せと言われる。
菩提寺の世話人会へ。
我が家の菩提寺は檀家が600軒ほどはあるというこのあたりでは大きな寺だ。
そこの世話人になるということはお寺からの配りものを配布しなければならない。おまけにその世話人の中の長が回ってきた。今年はお寺のお仕事が忙しくなりそう。まだ体は動くし、車も運転できるので何とか務まるかな?
屋根の修理はまだもう少し続く。周囲に上へあがるための足場が組まれているので外の仕事もあまりできない。道具が入っている物置にも入れない。
大きな修理はこれで最後。地震や大雨で家がどうにかならないかぎりこのまま行けそう。
地区の役員てやらないといけないの?が新聞の話題に。
私の住んでいるところでは昔ながらの不合理な仕事は随分整理されたように感じる。
今はゴミ当番と市から委託を受けている配布物を配るぐらいなこと。但し男性には神社の仕事が回ってくる。厳密に言えば神社の世話などは断ってもいいのだが、村の神社には誰もが入れる「広場」の役割もあるので、今でこそ少子化で子供の遊び場にはなっていないが、私の子供のころは「お宮で遊ぶ」というのは普通のことだった。
乞食、今でいうホームレスの人も雨をしのぐために来た。しかしその人たちも軒下を借りるだけで翌日には去っていく。私は見たことはないのだが、そういう人たちが来ると宮司さんはお結びを差し入れしたらしい。すぐそばにお墓もあって、お供えがあったりするのでそんなものを失敬したりもしていたのだろう。子どももお供えを横取りして食べたりしていたようだ。
だけど今は食べ物をお供えしないようになっている。虫やあるいは猫や鳥が食べ散らかしたりするのでこれは暗黙の了解。
あまり窮屈に決まりごとを強制するのはどうかと思う。許容範囲をできるだけ広げて問題があればそこで考えるというのがいいのだろう。
現在屋根を修理中。
かなり大がかり。こんなに大変とは知らなかった。でもこれで死ぬまでこれほど大掛かりな修理はないだろう。古い家を手直ししながら住んでいるが、あとはちょっとした修理はあると思うけど。
かつては大工さんや職人さんにお茶を出したりしていたが今はその必要がない。コンビニが近くにあるし、みな車で来ているので。よほど家に収穫した果物があったり、手作りの何かあれば別だけど。
青虫発生中。壁を這ったりしているので見つけ次第叩き潰す。みだりに生き物を殺したくないが放っておくと虫だらけになってしまうのでやむを得ない。これはたぶん夏になると蛾になる。
虫に慣れていないと「キャー」ということになるけどそんなことはない。
庭木の消毒にきてもらうといいのだが、今は屋根業者の人が来ているのでこれが終わったらと思っている。庭のある一軒家に住むということは何かと雑事が多い。これが大変でマンションなどに引っ越す高齢者が増えているらしい。
阿武町誤送金。生活給付金を登録された一番初めの人の口座に誤って送金してしまった問題。
私が思うにはこれは最初から仕組まれたものではないか?この男性は以前からギャンブルにはまり、それがもとで生活に窮してしまい仕事も失った。それで役所の生活給付金を受けることになったのだから役所の対応が遅い。すぐ警察に届け出て、銀行に送金を止めてもらう手続きをすれば4300万円もの誤送金は解決したのではないか。背後には反社会的な金融業者の存在があるような気がする。
とにかく「カジノ」などという多額の金がただ行き来するギャンブルは世界的に禁止すればいいのだ。
宮沢賢治と小川未明
二人はほぼ同世代。ただし生涯年齢は宮沢賢治は37歳。小川未明は79歳。
活動時期は大正後半から昭和の初め。
カルチャー講座の先生によると賢治は「天才」、未明は「偉才」だそう。
賢治は大正10年故郷の花巻を出て東京へ向かいます。「国柱会」という法華経の組織に入って布教活動をするため。しかしほどなく帰郷。妹トシの病を見守るため。最愛の妹でしたが結核で亡くなります。妹を思う「永訣の朝」という詩が有名です。中学の国語の教科書に載っていました。
そして花巻農業高校の教師になりますが、大正15年、教師を辞めて農民になります。例の「雨にも負けず」の心境です。生家は比較的裕福で父は質屋を兼ねた古着商でした。
一方未明の方は父はやや狂信的な神道の伝道者。
対照的な出自の二人ですが、共に時代の流れの中で文学だけでなく社会活動家たらんとします。作品へのアプローチはこれから。
中山俊宏さん死去。
よくテレビに登場していた国際政治学者。55歳。くも膜下出血だったという。私も5年前にくもまく化出血を起こしていたので気になった。
直系の親族に脳血管障害の傾向があれば「脳ドック」を受けることを強くすすめると、脳外科医の先生のお言葉。私は中性脂肪を下げる薬は飲んでいたが、「脳ドック」は受けていなかった。中山氏は「脳ドック」受けていたのかなあ?
日本はいつまで過去の負の歴史から目を背けるのか。
高校教科書検定で政府見解の記述を求める検定意見が過去最多となったと信濃毎日新聞が報じている。執筆者たちはまるで「戦前の国定教科書のよう」とあきれる。
2014年の検定基準改正で政府見解に基づいた記述を求める規定を加えたのは安倍政権下の下村博文文科大臣だ。
安倍や下村といった自民党の保守政治家に知性と教養を備えた者は一人もいない。少しでも教養があれば恥ずかしくて耐えられない歴史の捏造を口にする。こうした連中を政治家として国会に送ってはならない。何度でも言うが選挙民の責任である。
畳とこたつはとても重宝。
最近は洋室志向だが、畳とこたつはとても重宝なもの。
畳はフローリングと違ってあたりが柔らかく冷たくない。湿気も適度に吸収してくれる。
こたつは足元を温めるので、室温がそれほど高くなくても耐えられる。足元が暖かいと快適だ。
床暖房は快適だが大掛かりで経費もかかる。和の様式も知恵が詰まってる。なんでも西洋式がいいわけじゃない。私はベッドに寝ているが布団を畳に敷いて寝るのも起きたらたためばいいのだから場所を取らない。
食事も昔は折り畳み式のテーブルに食べ物を並べて終わったらたたんで隅に立てかけておけばいい。
台所も今は立ってするが、昔の台所は座ってやることが多かった。これだと年を取ったおばあさんも床に座りながら炊事ができる。
学術会議の会員指名はまだそのまま。
岸田はこんなこともまだやっていない。無駄な外遊なんかしてるばあいじゃないのに、真っ先にやることはこれのはずなのに。学術・研究へのリスペクトがない政権はただちに下野すべき。
今日は子供の日
日本の子供の数は年々減少している。子どもの数が減っていくのは人類の必然だと思うが、日本の場合は政府自民党が子育て・教育に十分税金を回していないことが大きい。
とにかく子育てにお金がかかる。「義務教育の無償化」を進め、高等教育も意欲があるが教育資金が不足している家庭には返還不要の奨学資金を制度化する。これらは無用・不要の防衛予算をあてればいいのだ。
子育て世代の20代から50代ぐらいまでの世代への賃金が低いままでは子供を持つのも複数持つのも考えてしまう。第一結婚できない一番の理由が収入の不安定さなのだからこんなことしかできない自民党には下野してもらうのが一番必要なこと。
憲法は国民のためのもの、権力者のものではない。
だから権力を握っている自民党が偉そうに「改憲草案」など出してくるのがおかしい。
国民が望んでもいないことを「改憲」、「改憲」と大騒ぎする輩は落選させなくてはいけない。
安倍晋三など「桜見る会」の会費の出どころも明らかになっていない。まずこれを明らかにすることが国民にとって第一の課題だ。検察が不起訴にしょうが「事件は終わっていない」。税金の使い道の不正は正されねばならない。
改憲を声高に叫ぶ連中は「いざというときに備えねば」というが、その「いざ」ってなんですか?それをきちんと説明できる者に会ったことがない。「中国の軍事大国化」と言いますが、アメリカはいいんですか?沖縄の米軍基地はいいんですか?自衛隊と米軍の一体化はいいんですか?これには何一つ答えようとしない。これこそが中国にとっての脅威でしょう。
「外交努力」もしないで「脅威」と叫ぶ連中の粗雑な頭と精神こそこの日本から一掃すべき。
ロシアとウクライナは別の国
今更何を言っているんだ、そんなこと当たり前でしょ。と言われそうだが、私の頭の中ではソ連邦という国があって、それが解体したからといって、ロシアとウクライナはそんなに違う民族ではないような気がしていた。確かにアジア人の要素が色濃い国もあるが、ウクライナ人とロシア人はわたしの中ではそんなに区別がつかない。ウクライナ語というものはあるが、いわばロシア語と親戚のような感じではないか。文字表記もそれほどの違いはない。
例えば私たち日本人と中国、朝鮮人はヨーロッパの人たちから見ると見かけにそれほどの違いは感じないのではないだろうか。だけど感情や習慣言葉は随分違う。
だからウクライナ人はウクライナ人、ロシア人とは違うのだ。それをロシアの支配下に置こうとしたプーチンの考え方には無理がある。
かつて日本が中国や朝鮮にしたこと、そしてヨーロッパがアフリカや東南アジアにした植民地支配と変わらないのだから。
しかし西側諸国もウクライナを自分たちの側に引き込もうと、特にNATOという軍事同盟に引き込もうと工作したのは良くない。何度も言うがウクライナ人が覚悟を持ってNATO加盟を求めたわけではないのだから。
今日は昨日と打って変わって寒くて雨。
「東京マガジン」。人間3食食べなくてもいい。その方が体の調子がよく、病気になりにくいとか。要するにおなかがすいたら食べればいい。でもおなかがすいたまま何かしようとすると調子が出ない。だからしっかり食べてから仕事をするほうがいいのだが、すいてもいないのに座ったまま食べるのがよくないのだと思う。当たり前。いずれにしろ「飽食」はいけません。
高齢者のゴミ出し問題。これもだんだん切実になってきました。まだ車の運転ができるし、自転車にも乗れる。台車を押してもいける。だけど高層住宅に住んでいると所定の階にまでもっていくのが大変。ダストシュートがある団地もありましたけど・・・。
私にはタワーマンションなんか作る側も、そこに住もうという人の気持ちもさっぱりわからない。危険でしょう。集合住宅もせいぜい4、5階まででしょう。それも高齢者は一階、若い人は上層階と決めておけばかなりこの問題は解消されるはず。公営住宅などは役所がそう決めればいいはず。わざわざ職員がゴミ出し日に出向かなくてもいい。
それと最近はごみの分別がややこしくてそれでごみを自宅にためてしまう人も多いとか。これは製造する側の責任です。分別のややこしいものは作らない。これも当たり前でしょう。
国に褒められて嬉しいか?
春の褒章の季節です。新聞は受賞した人の喜びの声を伝えますが、伝統工芸や芸能を褒章されるのはそれを伝えていく必要がありますからいいと思うのですが、文芸や演劇等でこれを有難がるのはちょっと違うんじゃないかと思います。公に褒められるようなものばかり作ってどうするんですか。