木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

お笑いとスポーツの話題を重大ニュース化する日本のマスコミ

2019年01月26日 | Weblog

組体操「子どもの権利条約」違反?
国連委員会が審査対象にという記事が1月12日の新聞記事にありました。
教師の残業時間も問題になっています。これ以上学校に負担をかけるようなことはやめた方がいい。文科省はそのようには今まで動いてこなかった。むしろ逆。教師の事務量を増やすようなことばかりに熱心だったように思う。

『日本の同時代小説』斎藤美奈子(岩波新書)を読んでいます。
私は70年代から80年代ぐらいまでは小説をよく読んでいましたが、2000年代に入ってからは殆ど読まなくなりました。だから新聞の紹介記事などで書名を知るぐらいで内容は知らないものばかり。そんなにディストピア化しているとは知りませんでした。しかし世の中がどんどん悪い方向に行っているのですからその反映である小説がそうなるのは当然と言えば当然。
高齢者となった今、家にある昔の本を読んでいます。もうそんなに残されている時間はありませんから本当に必要だなと自分が感じるものしか読みません。小説は真っ先に切り捨てられる分野です。
最近で記憶にある小説は『火花』と『スクラップアンドビルド』たまたま家に芥川賞受賞作品掲載の「文藝春秋」があったので読んだだけ。
「火花」はお笑い芸人である又吉直樹氏が書いたことが話題になりよく売れたようですが特に感心しませんでした。
2作品ともそれなりに小説を読んできた目からみると「凡庸」の一言につきます。
私は今の世の中がスポーツとお笑いにしか興味がないかのような風潮に違和感を覚えます。それがマスコミの誘導なんでしょうね。
古代ローマ時代の「サーカスとパン」を望んだ大衆と同じです。パンは大切ですが。



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一億総無知・無恥化の今の日本

2019年01月19日 | Weblog

歴史を見ずして(知らずして)韓国・朝鮮叩きをする情けなさ
私は『冬のソナタ』以来の韓流ファンだ。多くのドラマを見た。ドラマではあるが朝鮮近・現代史の一端を知り、それ以来半島の情勢に関心をもつようになった。
この間、戦時中の徴用工として働かされた韓国の労働者が企業を相手取って賠償を求めた裁判で韓国の最高裁が原告の訴えを認めたことに対する日本の政府・およびマスコミの居丈高な態度にはあきれ、あまりの歴史に対する無理解に実に情けない思いがした。
朝鮮人慰安婦に対する謝罪の意味を込めた河野談話(河野太郎外相の父洋平氏が官房長官だったときに政府の責任として発言したもの)、そして村山氏が首相を務めた時にさらに視野を広げてアジア諸国への謝罪の談話、これらの精神は歴史に無知な安倍政権により雲散霧消。
マスコミも追随。日本の7,8割がこれにうなずいているように見える状況だ。
先の大戦の日本国民を批判できない。
私の住む長野市には「松代大本営地下壕」という大戦末期東京から大本営と天皇の住居を疎開させる地下壕の大工事が行われ、敗戦時までに7割から8割の完成を見るまでになり、この大工事に多くの朝鮮人が動員された。延べ7000人とも言われる。請け負った会社は西松建設と鹿島建設。
名簿などは残っていないということになっていたが、最近在住朝鮮人166人の戸籍情報を記した手帳が見つかった。
1965年の日韓条約で解決済みなどととても言える状況ではない。加害者の側は被害者の言い分にその都度耳を傾ける義務がある。
そもそもは韓国併合などといって朝鮮を無理矢理植民地支配下に置いた日本政府の在り方が問われるべきで、報道や政治に携わる者はそれなりの見識(歴史や法律や政治に関する知識と考察)を持っているべきでそれがほぼ失われている日本の今の憂うべき状況である。

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「教育という病」

2019年01月10日 | Weblog

穏やかな元日から始まった2019年だが、今日は本格的冬の始まりを告げる寒さになった。
新年になって読んだ本は『教育という病』ー子供と先生を苦しめる「教育リスクー。
著者は内田良氏。2015年に出版された光文社新書。
内田氏のことは知らなかったがこの時点で名古屋大学大学院教育発達科学研究科准教授。年齢はわからないが帯の写真を見る限りまだ若い。今風のスタイル
帯のキャッチコピーは「子どもために」を建前に教育の暴走は止まらない!巨大化する組体操・虐待無視の二分の一成人式など・・・。
私はかつて小学校教師をしていたが、そのころは運動会で組体操らしきものはあったがそんなに巨大なものではなかった。30年以上前の話である。
二分の一成人式はなかった。故郷に帰って来てニュースでそんなことをしている学校があるのは知った。
組体操では高くなればなるほど転落しあるいは支えられず崩れて骨折事故が起こり問題になっているとこれまたニュースで知った。
現在はどうなのだろう。少なくとも私の近辺では巨大組体操の話も二分の一成人式の問題点も聞かない。
良かれと思ってやることが実はリスクになっている。若い頃はそういうことになかなか気づけなかったが内田氏が言う通りこんなもの即刻やめるべきだが、「感動した」などという保護者の声もあってことは単純にすすまない。
この本を読んだからというわけでもないが、スポーツ大会などで活躍する学校のニュースを知るたびにこの背後には「過熱する部活」の存在があるのだろうと考えてしまう。小中高の部活など「そこそこでいい」。建前とは言え「部活動は教育の一環=一部」なのだから。運動会等の学校行事もしかり。


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互いに自立し互いに助け合う。これからの生き方

2019年01月02日 | Weblog

2019年を迎えた。
当地(長野市南部)は風もなく実に穏やかな天候で、出かけたくなる気持ちになる元日だった。
私は大病をしたし、混んだところへ行くのはきらいな方なので、年賀状の返事を近くのコンビニに出しに行っただけだったが。
年末NHKの「事件の涙」について投稿したが、自殺した元九大院生の前日は入水自殺した西部邁氏の家族から見たドキュメントだった。
亡くなった西部さんには失礼だが全く共感できなかった。
氷河期と言われる時代に遭遇して苦しんだ40代の切実さに比べて戦後の高度経済成長期に青春時代と壮年時代が重なった後期高齢者世代のなんというお気楽さ。
西部さんの後期人生は同伴者であった妻がガンに冒され苦しんだ末先に逝ってしまったことで浮遊した。
病院に入院していると「退院して家へ帰りたい」という願いを持つのが当然のように言われるが、そばで世話してくれる人がいるのが前提だ。しかしそんな存在が無ければ簡単に退院は出来ない。
私は一人暮らしなので何とか自分で日常生活が送れるまでは「退院は無理だ」とわかっているから「退院したい」などとは思わなかった。
病院にいれば食事はちゃんと出て来るし、看護師さんが見守ってくれる。
病院は嫌だ、施設に入所したくないなどと言うのは家族が世話してくれるという前提があるからで、西部さんもそうした助けを借りながら人生を全うすればよかったのだと思う。
病院や介護の在り方など改善するところはいっぱいあるだろうけど、「家族に迷惑かけたくないから入水自殺する」なんて、他人に迷惑かけているでしょう。
これからの時代「自分のことは自分でする」生活態度を身に着けることが教育の第一歩と考えたい。できない場合は助けを求める。家族にもたれかかるのではなく。

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