木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

銃と言葉

2007年04月27日 | Weblog

アメリカ・バージニア工科大の「無差別銃乱射事件」の犯人、チョ・スンヒは韓国からの移住者。
8歳?のときに、両親・姉とともに、アメリカに生活の活路を求めてやってきた。
このスンヒのような、子供の頃にアメリカに移住した世代を1・5世代といって、自身のアイデンティーに苦しむ典型的世代なのだという。
生まれも育ちもアメリカという世代と違って、あらゆることが中途半端なのだという。
スンヒは、英語の発音をからかわれたりしたことから、人と話を交わさない人間になってしまった。
大人になってからやって来た世代なら、英語ができないことや、発音にクセがあることも、大目に見られる、ということがあるかもしれないが、子供世代だと、学校で「いじめ」の対象になってしまうのだろう。
「移民の国」、アメリカでは、あらゆる国から人々が集まり、それぞれの国の言葉を背負った「英語」が語られていると思っていたが、スンヒのしゃべる英語のどこが、周囲の人間に違和感をもたせたのだろうか。
姉のほうは、うまく対応して、優秀な成績を挙げ、国連職員を勤めているということだが。
韓国ドラマを見ていると、アメリカに仕事を求めて行くとか、留学するとか、あるいは養子になっていくと言うような設定が頻繁に出てくる。
特に資源がある国でもないから、豊かさを求めるとするなら、外へ向かうしかない事情が見える。
それと、韓国社会は、勤勉だけれど、子供達を極端な勉強や出世主義に駆り立てている、というのもドラマから見えてくる。
きょうだいの扱いも、そんな点で露骨に差があって、それに反抗してはみ出していく人間を描くという設定も多い。
多民族社会だからこそ、「正統派英語」、つまり東部のエリート社会の人々が話す英語が、最も尊ばれる、ということなのだろうか。
日本でも「標準語」として、放送界のアナウンサーが話す言葉が「正しい日本語」とされているような気がするが、テレビを通じてタレント達が、自分の出身地の言葉を話すのが個性として、もてはやされもするので、このところ地方の言葉を話すことを「田舎者」として、馬鹿にするということではなくなっているようにも見える。
関西弁、九州弁、沖縄言葉は、出身のタレントの多さに比例して市民権を得ている。
東北なまりも、どこか懐かしさをかんじさせる言葉として、これを笑う、というのは社会的にはないが、学校社会では、そうではないのだろう。
もう一つの問題、「銃社会」だが、今週、NHKBS2では「アドベンチャー・ファミリー」シリーズの特集だったが、その世界では、自然の中で暮らすのに、時に襲ってくる獰猛な動物達と戦って生き残るために銃が欠かせない。
開拓時代の伝統、先住民征服の歴史が、アメリカ社会に強く根付いていて、「襲われることを常に恐れ、それに備える」社会がアメリカそのものの感もあって、だけどこれは「病んだ社会」、「中毒社会」だ。
銃を捨てる社会」にならなくては病も中毒も治せない。



今日の感想。
安倍総理の訪米に合わせてか、30年以上前の北朝鮮工作組織による「拉致事件」の捜査で大騒ぎだ。NHKニュースもこればかり大げさに伝える。
首謀者に逮捕状を出したって?馬鹿らしくて・・・。国交もないのに逮捕状出して、どうやって解決するというのだ。
安倍総理の政治目標の一つがこの「北朝鮮による拉致事件の解決」だ。だから時々、何かやってますよ、と花火を上げる。そしてそのままだ。
確か以前にも、蓮池夫妻を拉致した工作員に逮捕状出したはずだけど、あれはどうなったのか。
いい加減、日本の国民は、この安倍総理の「拉致事件の解決に真剣に取り組む政治家」のまやかしを見抜かなくては。拉致被害者を、自身の政治的目的に利用しているだけで、解決する気などない。本当に解決するためには国交を回復して自由に行き来できるようにしないと、逮捕状の持っていきようがない。



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「問答無用」と平和憲法

2007年04月22日 | Weblog

4月19日、信濃毎日新聞、「世界が見るニッポン」は、韓国の前大統領、金大中氏の「平和憲法は宝、捨てるな」と題するインタビューを掲載している。
私は韓国ドラマをよく見ているが、韓国ドラマの特徴の一つが、ストーリー展開のドラマチック性、ジェットコースター性だ。
しかしこの特徴は、ドラマのためにあえて作られたというより、朝鮮半島の歴史とそこに生きた人々の激動を反映している。
金大中氏の人生はまさにその典型。
1925年生まれの金氏の人生をたどってみると、朝鮮戦争で、北朝鮮軍に捕らえられ、銃殺寸前で脱出。1971年には交通事故を偽装した暗殺未遂。
そしてよく知られているのが、73年の東京滞在中の拉致事件。海上で殺害寸前を「中止命令」で救われる。
80年にはその年の5月の光州で民主化を求めての暴動を扇動した罪で、軍事法廷で死刑判決。
不死鳥のようによみがえって、大統領に当選の軌跡は、これ以上ないドラマだ。
韓国が東西冷戦の軍事政権のもと、瀕死の金氏を救ったのは、日本の民衆の側面援護であり、それが韓国の民主化に貢献した、と金氏は評価している。
その日本の民衆の行動の源泉は、「平和憲法」であったはずだと、金氏は言いたいのだと思う。
もし、日本が「普通の国」として、軍隊を持ち、外国にも出ていくスタンスを取り、アメリカとも共同して軍事行動を行う国ということであったなら、「韓国の民主化」への援護どころではなかったはずだし、韓国とともにベトナム戦争にも出ていき、傷ついたはずだ。
中国や韓国が日本の「平和憲法」を評価し、これを捨てないで」と言うと、改憲派の人たちは「それは、日本の軍事大国化を恐れてのことで、彼等の陰謀だ」とでも言うのだろうが。「けんかするより、仲良くやる」のが、隣近所付き合いというものじゃないだろうか。



長崎市長襲撃死事件は、私に昨年の加藤紘一氏実家放火事件、それに数年前の、民主党石井紘起議員刺殺事件を思い起こさせた。
加藤氏の事件は、政治的発言に対して、と犯人も言っているが、長崎市長と石井議員の場合は個人的恨み、というのが表向きの理由だが、果たしてそうか。
3実行犯とも、お金に行き詰り、人生に行き詰っていた。そこにつけこむ背後があるような。
3被害者とも、穏健・良質の保守・中道の政治家達だ。そこにテロの攻撃が向けられる世の中に不気味さを感じる。
この部分の政治家の「口封じ」をしてしまえば、あとはなだれを打って一つの方向に進めることができる。
社民党・共産党・護憲派の政治勢力は今や少数派だ。政治的影響力という点で、それほど気にしなくてもいい存在と、いまの政治権力を握っている勢力は考えているのだろう。



昭和7年、5月15日。その日は、本当にさわやかで、美しい日曜日だった、と、この日の惨劇の犠牲者犬養毅首相の孫、犬養道子さんは著書に書いている。
土足で家に踏み込んできた海軍将校達に対して、首相は、「靴でも脱いで、座れや」と、人生経験豊かな政治家として応対しようとしたが、青年士官達は、老獪な政治家に説得されることを恐れて、「問答無用」と、発砲した。
「話せばわかる」という首相の言葉が有名だが、時代は「話してわかる」ようなもう時代ではなかった、とも道子さん書いている。
「話せばわかる」は、青年将校たちが、犬養首相に対して持っていた、金銭に関わる誤解を解くために、発した言葉だったという。
「問答無用」の最たる例は米軍のイラク攻撃だったと言う気もするが。



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「不都合な真実」を見たくないは現代病

2007年04月18日 | Weblog

映画『不都合な真実』を見た。
クリントン政権での副大統領で、大統領選で、不可思議な形でブッシュに敗れたアル・ゴア氏だが、環境問題に熱心に取り組んでいる。
アメリカ本国だけでなく、各国に出かけて、地球温暖化による地球の危機を訴えているゴア氏だが、その出前講座でのスライドと、ゴア自身の講演を収めたドキュメンタリー映画。
地球温暖化の原因は、人間の活動による二酸化炭素の過剰な排出だが、何と言っても、1番の排出国はアメリカだ。
アメリカが変われば、世界は変わる。その典型例。
ゴアが環境問題に熱心に取り組むようになったのは、彼の子ども時代からの環境や体験が深くかかわっている。
父親が議員(上院か、下院かちょっと見逃したが)でかつ農場主だったので、ワシントンDCと農場を半年づつ往復する子供時代を送った。
農場での自然体験は、この自然を、現在の大人たちの身勝手な活動で、崩壊させてはならない、という思いを強くさせる力になっているようだ。
そして、ゴアの個人体験が時にエピソードとして折り込まれる。
ゴアの息子は交通事故で、意識不明の重態に陥る。しかしそこから奇跡的に回復したのだが、その体験は、ゴアになにより「人間の命の大切さ」に勝る価値は無いという信念を作った。
また、ゴアの農場では、タバコ栽培をずっとしてきたのだが、彼の姉は、喫煙の習慣をやめられず、肺がんで死んだ。
このことをきっかけにタバコ栽培はやめることになるのだが、「命を削る産業」というものにも彼の目は向けられていると思った。
アメリカという国は多様な国だ。イラクに侵攻して「地球破壊」に拍車をかける大統領もいれば、地球温暖化を食い止めようと活動する元副大統領もいる。





先週の都知事選の結果を見て、私はDVの加害者と被害者の関係を見るような気がした。
加害者が、ちょっと反省するようなそぶりを見せると、被害を受けているほうはあっけなく許してしまう。
石原ファミリーとその側近の都政と都税の私物化に都民は真剣に怒らなくてはならないのに。
黒字財政だという都の税金が、都民のために使われず、ファミリーと側近と、大開発で潤う者たちのために使われる。
DVの被害者は、なかなかその状態から抜け出せないというが、いじめの被害者も自分がいじめにあっているということを認めたくないという心理がある。
「不都合な真実」を見たくない、認めたくない病は、現代病の一つだ。



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沖縄は、沖縄へ

2007年04月13日 | Weblog

「従軍慰安婦」に続いて、「沖縄の集団自決」に対しても、軍の強制は無かったという、これまた「負の歴史の消滅」をはかる作業が、高校の歴史教科書で行われてしまったが、これに関して、先週、フジテレビ系の報道2001で討論がされていた。
軍の強制、あり、なしで3対3で分かれて意見を述べていたが、まずは、一方的に「軍の強制」はなかったの論客だけを呼んで、ということではなかったのは、フジテレビらしくなくて、聞いてみる気にさせた。
「沖縄の集団自決」に関しては、沖縄の人々が、明治以来、日本に組み入れられた時から、一段低い日本人として差別的立場におかれた、ということを前提として知っていないと、自決に追い込まれた人々の心情を理解することはできない。
差別されていることがよくわかっているから、より日本国の皇民として、忠誠心を示さなくてはならない心理に追い込み、また追い込まれた。
これもまた「従軍慰安婦」の構図と同じで、文書や口頭で、命令した、ということではないかもしれないが、それを盾に、「強制は無かった」ということはできない。
「心理的強制」ということが、この世の中には山ほどある。
「世界史未履修」で、責任を感じて自殺してしまった校長さんなどは、誰にも死んで責任を取れ、とは言われていない。それでもそういう状況に追い込まれた。
集団自決に追い込まれた沖縄住民は、最後の時のために手榴弾を渡されていた。暗黙の強要だ。
まったくもって、不可解なのは、そのように住民に「皇民としての覚悟」を求めながら、日本軍の幹部や兵士の大方は、沖縄の人のようには自決しなかったことだ。
青年達に、特攻をすすめながら、自身は戦後の天寿を全うした軍の幹部も多い。
明治以来の他国への侵略戦争を擁護する人たちは、こうした上層部へいくほど「恥を知らない」、「責任を取らない」行動を取る構図をどう思っているのか。
「集団自決」に軍の強要はなかった、の論客たちは、敗戦時、まだ幼児だったか、せいぜい少年ぐらいの年令の人たちだが(これはその反対者も同様)、家族や親戚に「戦争の犠牲者」はいなかったのだろうか。
自分が同じひどい目に遭ってはじめて「ああ、わかった」という、「想像することを拒否する人たち」だと思った。



沖縄は独自の文化と歴史を持っている。
島の名前は忘れたが、「集団自決の生き残り」の老婦人の証言は、字幕なしでは、その言葉はまったく理解不能だった。
中国や東南アジアにより近い沖縄。沖縄は沖縄に戻るのが本当は一番いいのかもしれない。



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記憶と証人の消滅に乗じた言いがかり

2007年04月08日 | Weblog

「従軍慰安婦」の強制性について、2007年3月30日号「週刊金曜日」投稿欄。
本多立太郎氏(93)の投稿は、永井荷風の日記『断腸亭日乗』を引用している。
昭和13年8月8日、水天宮裏の待合叶家の主婦の話。要約すると、
「この春、軍部の人の勧めで、北京に料理屋兼旅館を開くつもりで、売春婦を三、四十人募集したが、妙齢の女は来なかった。また北京に将校の遊び場を作るには少なくとも2万円を要するが、軍部は1万円を融通してやるからぜひ若い士官を相手にする女を募集せよと言ってきたが、北支の気候あまりに悪しきゆえ辞退した。女郎屋を開くため軍部の周旋で家屋を見に行ったところは、旧29軍将校の宿泊した家であった」。
主婦はなお売春婦を送ることにつき、軍部と内地警察署との連絡その他のことを語った。
事実を淡々とつづった荷風の日記によっても、当時の軍部、警察の連携により、慰安所が作られていく経緯がわかる、
投稿者の本多氏は、元皇軍兵士。自身の戦争体験を持って、学校などに出前講座をつい最近まで行っていたが、高齢のためその活動から身を引いた。
松代の朝鮮人女性がいたという「慰安所」も、家主の児沢氏の証言では、警察や軍関係者が何度と無く訪れて、渋る児沢家を説得して、朝鮮人の春山を名乗る業者に慰安所の経営に当たらせたという真相が『松代で何があったか』で語られている。
戦後60年の時間は、戦争の記憶と証人の消滅と重なってもいる。
それに乗じて、「戦争を正義のもの、やむをえないもの」にしてしまいたい勢力が、言いがかり、例えば、軍部の関与を証明する文書が無い、などと、子供が駄々をこねるような言い分で正当化しようとしているのが、今日の「慰安婦問題」であり、「沖縄集団自決」だ。
こうした表で堂々とすすめられない事については、こっそりと、できるだけ文書など出さずに実行するというのが、官でも民でも軍でも常識ではないか。
たとえ、文書があっても、敗戦によりいちはやく処分したであろうと考えるのがこれまた常識だ。



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従軍慰安婦問題と政治・および政治家の劣化

2007年04月04日 | Weblog

私は、90年代の後半から、新聞や雑誌のこれはと思う記事は切り抜いてファイルしている。
その中から、今問題になっている「従軍慰安婦」関連のものを拾うと・・・。
96年「文芸春秋」10月号の澤地久枝さんの「従軍慰安婦のこと」という文章で、大岡昇平『レイテ戦記』には、米軍について「慰安所は完備し」とあり、フィリピンのセブ島ではここに上陸した米軍の軍規は乱れ、島の戦闘の最終段階では多くのマラリヤ、性病患者を出したの記述があると、書いている。
「セブ島は日本軍の進出時、南方各地へ送る人員物資積み換え地となり、多くの日本兵がここを通過、花柳病をおいていった。日本兵達は奇妙な方法でアメリカ兵に復讐したことになる」とも書かれてあるという。
日本軍が利用した「慰安所」が、後から来た米軍にも利用された。
今米議会で、「従軍慰安婦問題に対する日本政府の賠償責任を問う」決議がされる事態が起きているが、国を問わず、「軍隊のあるところ、慰安所あり」。
敗戦後、占領軍の兵士が日本に上陸した時も、米兵相手の「基地の女達」が必要とされた。
だからといって、この問題の責めを今の日本政府が避けて通っていいということではない。
また、ビルマの悲惨な戦場を描いた長尾唯一氏の『玉砕』によると、
ビルマ北奥のミチナ(ミートキーナ)守備隊は、昭和19年8月、9月7日、つづく14日と米中連合軍により壊滅的敗北をする。戦死・玉砕約4000。
しかしこんな戦場にも守備隊配置の7名の朝鮮人慰安婦がいた。
戦況の激化で慰安所が閉じられたあと、彼女達は臨時看護婦としてかいがいしく働いたという。
そしていよいよ最後というとき、守備隊長はある命令を下す。深夜眠っている彼女たちの壕に発火させた手榴弾2個が放り込まれた。
玉砕生き残りの兵士の証言書だ。
従軍慰安婦は強制か否か、軍の関与があったかなかったか、そのような問いかけは無意味だ。
強制なくして、軍の関与なくして、彼女達はそんな戦闘の最前線にはいない。
98年4月27日、山口地裁下関支部は、第二次大戦中、従軍慰安婦や女子勤労挺身隊員だった韓国人女性10人の訴えに対して
「女性の人格の尊厳を根底から侵し、民族の誇りを踏みにじるものであって、しかも決して過去の問題ではなく、現在においても克服すべき根源的人権問題であることは明らか」と、元従軍慰安婦に対する個人補償の義務はないと主張し続けてきた日本政府を厳しく批判した。
阿部首相のお膝もとの地裁で、こんな判決が出ていたのである。
それから10年。この後退は、小選挙区制度がもたらした政治・および政治家の劣化が大きな役割を果たしたと思わずにはいられない。



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戦後無責任体制の元

2007年04月01日 | Weblog

『明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか』は、共同通信の記者として、宮内庁取材を担当した板垣恭介氏の著書。
公式の記者会見で、天皇を始めとする皇族方に接し、また、宮内庁職員と接触する機会の中から得た結論が、これ。
板垣氏自身は、1933年(昭和8年)生まれで、少年時代は、昭和天皇を現人神だと教えられ、世界を天皇の慈悲による政治で解放するために、片道燃料の飛行機に爆弾を積んで、アメリカの軍艦に体当たりすることを望みとするアホで幼稚な軍国少年だったという。
終戦当時、12歳だった少年は、戦後の天皇の「人間宣言」に子供ながら驚愕することになる。
この体験から、多分、一途に何かを信じることからは距離を置く人間になったのではないだろうか。
「無頼記者人生」を貫くことになる。



ここへ来て、また「従軍慰安婦」に当時の政府や軍の直接的関与や強制はなかった、と、首相や官房副長官が発言したり、また南京大虐殺はなかった、あったとしても、中国側の言う数字は過大すぎると、数の問題にすりかえたり、昨日は、ついに、高校の歴史教科書から、沖縄戦での住民集団自決に日本軍の強制があった、という記述が、文科省の検定意見によりなくなった、とNHKニュースが伝えたり、と、くりかえし、過去の過ちを認めない、ないしは弁解する言動を政治の責任者がするのは、どうも、この60年前の戦争の最高責任者が、その責任を取る行動をしなかったせいでは?と、私も思うようになった。
処刑されないまでも、退位、そして天皇制廃止、ということで、戦後処理が行われていれば、ゾンビのような、こうした妄言は聞かれないのでは。
戦争責任を一身に負わされた形の、太平洋戦争開戦時の首相、東条英機の孫東條由布子氏が、時々マスコミに登場して、祖父の弁明に努めるのも、「祖父は、昭和天皇の責任までも引き受けて処刑されたのだ」という自負があるからなのだろう。



宮内庁記者だった板垣氏は、戦後も昭和天皇に、戦争への反省は無く、天皇の戦前と戦後はつながっていた、と言う。
むしろ、自身の身の安泰と、天皇制を守るために、積極的に勝者アメリカにすりより、工作したと見ている。
宮内庁に出入りした記者だからこその、昭和天皇に対する見方なのでは。



ただ、自分と同い年の明仁天皇には、神の子孫などという意識はないはずで、だからこそ、非人間的な皇族やめませんか、と呼びかけている。
雅子さんは、うつ病に悩み、美智子さんは、やはりストレス多い生活の中で、腸から出血しながら公務を務めている。
「天皇制打倒!」などと声高に叫ぶまでもなく、この制度は壊れつつある。
秋篠宮家の悠仁親王が、紀子さんに抱かれた姿がテレビに映しだされた。
しっかりした顔立ちの可愛い赤ん坊だ。でもこの子が天皇になるとして、誰が彼のもとに妻として来てくれるだろうか、それを思うと、気の毒で・・・。



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