台風12・15号被害が示す日本国土の危うさ
12号はおもに奈良・三重・和歌山を襲い、15号は中部地方の大都市名古屋を直撃した。いずれも激しい雨が山を崩し、都市に洪水をもたらした。
12号の山間部を襲った様子を見て、まず思ったのは過疎化・高齢化の進む山間部では「山が想像以上に荒れている」ための被害の拡大ではないかと感じた。
認識不足だったが、林業のTPP化はもう完了していて、そのために安い外材に太刀打ちできず林業は衰退してしまったのだ。
山に手が入らなくなった結果、大雨が降ると土砂と雨水が山間の村々を襲い、やがてそれはもっと下の都市部を襲う。
国土の70パーセント以上?が山地の日本で山を大切にしないと大災害がこれから何度も襲ってくることが予想される。
農産物の関税をゼロにするというTPP構想が政府と財界の主導で進められようとしているが、それをすると今度は里の田畑が荒れていく。大雨の時の保水場所としての田園の価値は大きいはずだが。
そして15号台風は大都市名古屋を襲った。信濃毎日新聞は9月22日号で名古屋の水害について、「都市型の怖さを教える」という社説を掲載している。地面がアスファルトで固められ、水の行き場がないことが大きな原因としている。
今回特に被害の大きかった地域は高度成長期を通じて市街地化が進んだ地域だった。
名古屋市の河村市長は「減税、減税」と市民税の引き下げを自身の市長の仕事の大きな柱としているが、その前にやることがありはしないか、と思わせる今回の洪水被害だった。
減税というと、これに反対する人はまずいないが、河村市長の掲げる「市民税一律10パーセント削減」は結局は金持ち減税にしかならないという。一律ではそういうことだ。
究極の新自由主義的市政が彼の狙いだと言われているが、防災は個人の努力だけではどうにもならない。
「平成の大合併」は、地方の自治体から、本来行政が一番になわなければならない、防災、医療、教育といった福祉や公共の機能を奪いつつある。
霞ヶ関に生息する中央の役人は焼け太りを続けていても、地方では公務員の削減要求は、生命の保障を切り捨てかねない事態を招く。
東北の震災や奈良などの山間部の台風被害はそうした地方の疲弊の上に更に襲った悲劇だ。
しかし忍び寄る悲劇に相変わらず無自覚なのが地方の首長や議員達という現実がある。
合併特例債で相変わらず「ハコモノ」を作る長野市。
私が住む長野市で、このほど市会議員選挙が行われた。
争点は今長野市が合併特例債を使って進めようとしている市民会館と市庁舎の一部建て替えの是非のはずだったが、選挙期間中、候補者は軒並み自身の名前を連呼するのみ、この件に関する立場を表明したのは、私が知る限り共産党候補者のみ。
結局結果は新人候補者らが数名落選。選挙前に「市民会館建て替え是非の住民投票」を求めた市民の民意は無視して、建て替えがすすむのだろう。
長野オリンピックの時と同様、市民は市民会館の建て替えを別に望んでいない。
この合併特例債自体が「ハコモノ」建設に誘導する仕組みのものなのだろう。
大体が公務員も議員も市民に奉仕する立場のはずだ。それがその地域で一番立派な建物が市役所、というのはおかしくないか。
自分達の働く場所は後回しというのが筋でしょう。
利息を含む返済額の7割を国が地方交付税で補填するという「合併特例債」。05年までに合併した自治体に認められるいわゆる「有利な起債」。
しかし本当に必要なものなのかどうか。これを考えさせない国のアメだ。
そして将来を考えない議員の資質。
こんな無駄遣いをして「増税」もないもんだ。