木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

山野を放置し「ハコモノ」を作る

2011年09月24日 | Weblog

台風12・15号被害が示す日本国土の危うさ
12号はおもに奈良・三重・和歌山を襲い、15号は中部地方の大都市名古屋を直撃した。いずれも激しい雨が山を崩し、都市に洪水をもたらした。
12号の山間部を襲った様子を見て、まず思ったのは過疎化・高齢化の進む山間部では「山が想像以上に荒れている」ための被害の拡大ではないかと感じた。
認識不足だったが、林業のTPP化はもう完了していて、そのために安い外材に太刀打ちできず林業は衰退してしまったのだ。
山に手が入らなくなった結果、大雨が降ると土砂と雨水が山間の村々を襲い、やがてそれはもっと下の都市部を襲う。
国土の70パーセント以上?が山地の日本で山を大切にしないと大災害がこれから何度も襲ってくることが予想される。
農産物の関税をゼロにするというTPP構想が政府と財界の主導で進められようとしているが、それをすると今度は里の田畑が荒れていく。大雨の時の保水場所としての田園の価値は大きいはずだが。
そして15号台風は大都市名古屋を襲った。信濃毎日新聞は9月22日号で名古屋の水害について、「都市型の怖さを教える」という社説を掲載している。地面がアスファルトで固められ、水の行き場がないことが大きな原因としている。
今回特に被害の大きかった地域は高度成長期を通じて市街地化が進んだ地域だった。
名古屋市の河村市長は「減税、減税」と市民税の引き下げを自身の市長の仕事の大きな柱としているが、その前にやることがありはしないか、と思わせる今回の洪水被害だった。
減税というと、これに反対する人はまずいないが、河村市長の掲げる「市民税一律10パーセント削減」は結局は金持ち減税にしかならないという。一律ではそういうことだ。
究極の新自由主義的市政が彼の狙いだと言われているが、防災は個人の努力だけではどうにもならない。
「平成の大合併」は、地方の自治体から、本来行政が一番になわなければならない、防災、医療、教育といった福祉や公共の機能を奪いつつある。
霞ヶ関に生息する中央の役人は焼け太りを続けていても、地方では公務員の削減要求は、生命の保障を切り捨てかねない事態を招く。
東北の震災や奈良などの山間部の台風被害はそうした地方の疲弊の上に更に襲った悲劇だ。
しかし忍び寄る悲劇に相変わらず無自覚なのが地方の首長や議員達という現実がある。

合併特例債で相変わらず「ハコモノ」を作る長野市。
私が住む長野市で、このほど市会議員選挙が行われた。
争点は今長野市が合併特例債を使って進めようとしている市民会館と市庁舎の一部建て替えの是非のはずだったが、選挙期間中、候補者は軒並み自身の名前を連呼するのみ、この件に関する立場を表明したのは、私が知る限り共産党候補者のみ。
結局結果は新人候補者らが数名落選。選挙前に「市民会館建て替え是非の住民投票」を求めた市民の民意は無視して、建て替えがすすむのだろう。
長野オリンピックの時と同様、市民は市民会館の建て替えを別に望んでいない。
この合併特例債自体が「ハコモノ」建設に誘導する仕組みのものなのだろう。
大体が公務員も議員も市民に奉仕する立場のはずだ。それがその地域で一番立派な建物が市役所、というのはおかしくないか。
自分達の働く場所は後回しというのが筋でしょう。
利息を含む返済額の7割を国が地方交付税で補填するという「合併特例債」。05年までに合併した自治体に認められるいわゆる「有利な起債」。
しかし本当に必要なものなのかどうか。これを考えさせない国のアメだ。
そして将来を考えない議員の資質。
こんな無駄遣いをして「増税」もないもんだ。

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悪人、世にはばかる

2011年09月17日 | Weblog

鉢呂大臣の辞任、小宮山大臣の発言。
原発停止に前向き、TPP参加に慎重の姿勢を示していた鉢呂経産大臣が「原発事故による避難地域は死の町」発言と、オフレコでの記者懇談の場で「放射能つけちゃうぞ」とおふざけをしたと批判され、就任9日目で辞任に追い込まれた。
「死の町」発言は、まさにその通りで、不用意だというなら謝れば済むこと。
「放射能つけちゃうぞ」という発言は、以前の松本大臣とは違って、証拠がある話ではない。
鉢呂氏の辞任に際して、地元の後援会関係者が語っていたが、鉢呂氏自身はいたってまじめ、だじゃれを言うこともない。その一方で親しくなると気さくに接するようなタイプで脇の甘いところはあるかもしれない、とのことだった。
経産省や財界の意に反した立場を表明している以上、足元をすくわれないように用心していなければならなかったのだが、スキが出てしまったのだろう。
それにしても、こんなことを大臣を追い落とす手段に使うのが大手新聞の記者のレベルだとすると新聞の先行きは暗い。
フリージャーナリストの上杉隆氏によると、東電の記者会見場で、「木で鼻をくくるような発表」に終始する担当者に食い下がっていると、記者クラブに所属するような大手新聞の記者から「いい加減にしろ」と罵声を浴びせられたと言っていた。
彼らはと言うと、東電の発表をそのまま鵜呑み、何の質問もしないという。
権力と癒着している新聞など存在意義はない。政府広報紙を名乗ったほうがいい。そんなものにお金を払う読者はいるのかいないのか。
「よけいなお世話」の小宮山厚労大臣。
元アナウンサーで、アナウンサー時代の無意味な職業的笑顔のまま固まってしまったような人だが、大臣就任して早速「700円ほどにタバコ値上げ」を嬉しそうに言った。
それも「税のためではなく、みなさんの健康のことを考えて申し上げている」と。
これこそよけいなお世話の勘違いお世話。
私もタバコは毒だと思う。ましてやその煙を吸わされて健康を損なう人がいるようではいけない。
だけど今喫煙している人はそれも承知で吸っているのだろう。
だからリスクを負って、他人に迷惑をかけないようにして吸う自由はあると思う。
健康のためなんだからいいでしょうというのは、青少年に有害だと考える漫画やアニメを青少年のためなんだから取り締まるのは当たり前というような考えに通じる。
一見無邪気に見える笑顔の小宮山さんがそのへんの危うさをまるで考えていらっしゃらないように見えるのは実に危うい。

佐高氏が語ったエピソード(岩波講座より)
この前の続き。
「原発文化人50人斬り」なる本を出した佐高氏。
そこに名前があがっている有名人のエピソードはすでに知られているものも多いが、そこで考えたいのは彼らに渡った「原発マネー」が桁違いであるという点だ。
六ヶ所村の核燃料施設に東通原発、大間にも原発建設と、青森県は原発にからめとられている県だが、その青森県知事選でのできごと。
原発反対、凍結を訴える候補方が元プロレスラーのアントニオ猪木に150万円のギャラで応援を頼んだ。猪木氏はこれを承知。
ところがそれを知った原発推進・維持の候補側が猪木にこちら側の応援に来て欲しいと提示した額、200万?あるいは300万?、500万?と、普通の人は考えるが、なんとそれは一億円。桁違いの額が提示された。
猪木はもちろん?150万円の方を断って1億円のほうに乗り換えるのだが・・・。これは猪木の秘書だった人が自著で暴露している。
しかしこの1億円は実は猪木には渡らなかったという話もあるという。
当時、自民党の議員で運輸大臣などもやった三塚博(宮城県選出)と折半するはずだったが、三塚が独り占めしたという話もある。
原子力発電のコマーシャルに出たり、原発賛成のコラムを書いたりといった人達が断罪されねばならないのは、そのギャラや原稿料が、他の仕事をした場合とはかけ離れた報酬額だという点にある。
これはうっかりだとか、無知だったというレベルの話ではない。
破格の報酬に目がくらんだのだ。そんなにもらえるのはおかしいのだ。
1億円を掠め取った?自民党政治家三塚氏。
そこで佐高氏が語った政治家に関するエピソード。
もう既に故人になっているが、岡山県選出の自民党議員の加藤六月氏とテレビの討論番組で一緒になった。
佐高氏は「自民党は宿便のようなものだ。ロッキードの宿便の上にリクルートの宿便、さらに佐川急便の宿便」と言ったら顔を真っ赤にして怒った加藤氏。
ところが番組が終わると、加藤氏はとろけるような満面の笑みで佐高氏の手を握って「やあやあ、ありがとう」みたいなあいさつをしたという。
この豹変、こういう芸当をしてみせる化け物のような存在が「政治家」という生き物なのだ。
この経験から佐高氏は「自分の身にあふれるようにあった上品さを捨てたのです」と、会場の笑いを誘ったが、上品にいい人をやっていたら化け物には勝てない。
偉い人、有名な人というのは、庶民の想像を超えた「悪人」だと思っていたほうがいい。全員とは言わないけど。

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いい人とはだましやすい人、支配しやすい人

2011年09月10日 | Weblog

台風12号奈良奥地と紀伊半島を襲う
元々雨の多いまさに「木の国」地帯ではあるが、林業の衰退で山が荒れ、「平成の大合併」がそれに追い討ちをかけた災害ではなかったか。
福島の原発事故といい、三陸の津波被害といい、その後の政府の対応の悪さを見ると、地方に住む人々が「棄民化」されている印象だ。
日本列島は地震に台風、火山活動、地形は山地が多く、山を放置しておくと、これから益々この手の災害が増えるのではないだろうか。

生佐高の迫力(岩波講座)
長野県須坂市で毎年開かれている「岩波講座」。今年は評論家佐高信氏の講演を聞いた。
鋭い筆致で「原発文化人」などをめった斬りにしてきた佐高氏だが、テレビなどで見る印象では口は比較的重い人と思っていたが、全然そんなことはなかった。テレビではかなり抑えていたのだということがわかった。
野田新首相。相田みつをの言葉を重宝しているようだが、佐高氏はまず「相田みつをは大嫌いだ」と宣言。歯に衣を着せぬとはこういうのを言うのだと思った。
おそらく会場に来ている人達の中には相田みつをが好きな人もいるだろうけど、そういう遠慮はしない。だから迫力がある。返り血を浴びる覚悟をしている。普通はできない。
私は相田みつをは好きも嫌いもない。だいたい標語とか一日一善とか一日一言とかそういうことに興味がない。
「原発文化人」の中では特にビートたけしを批判していた。たけしに比べたら「暴力団との交際」で芸能界を引退した島田紳介などかわいいものだと言っていた。
たけしは最近NHKにも進出している。
ビートたけしと村上春樹の共通点「外国でやけにモテル」。
ただし春樹の本は国内でも売れているが、たけしの映画は入りが悪い。そこは違う。
わたしもたけしの映画は好きじゃない。「いきなりピストル撃って人を殺すな」と言いたい。どんな犯罪にも理由がある。ないように見えても必ずある。そこを描くのが映画であり小説であり、ドラマだろう。
「いい人とはだまされやすい人、御しやすい人」。
1945年の敗戦後、日本人の殆どが「軍にだまされていた」と言った。
福島の原発事故後も「原発は安全だという政府や東電にだまされた」と思った人が多かったのでは。
だます方はもちろん悪いが、だまされる方にも何も考えようとせず、疑いを持たないという責めはある。
どちらかというといい人の中に相田みつをの「我慢をしていればやがて幸せがやって来る」を信じる人が多いのでは。それと偽善的な人間が自分の腹黒さを隠して、人をだますための道具に相田みつをを使う。
原発に関しても、福島でも立地町村で疑問を持ち、圧倒的少数派で反対し続けていた人はいた。しかし周囲の人々はそれを変わり者だとか、いくら反対しても仕方ないとか言って、煙たがっていた部分があったのではないか。
今故郷を失ってさまよっている人には酷ではあるが、少数派の人々を排除してはならない。
メディアの大方は電力会社や大スポンサーの顔色を伺って、報道すべきを報道してこなかった責任があるが、そんな中で、佐高さんのように遠慮せず物を言う人が全くテレビに出られなかったかというとそうでもない。
それはテレビ局の中にも圧力や抗議に負けず支えてくれるような人がいたからだと言っていた。
「佐高さんに言ってもらいたい。書いてもらいたい」と情報や資料を提供してくれる人達に支えられて佐高氏はコラムを書いたり、講演をして廻る。
佐高氏はゴルフやらない。マージャンしない、運転免許持ってない。インターネットもやらない。
そんな佐高氏から見ると、今の新聞社の記者達は便利な道具に振り回されているように映る。
毎日新聞の要請で、東電の株主総会を記者席で傍聴したそうだが、周囲の記者達は下を向いてパソコンを叩いてばかり。
東電の経営者の様子を観察しようともしない。まずは生の人間を見ること、そうしなければわざわざ新聞を買って読みたくなるような記事は書けない。
これだけの事故を起こしながら東電の幹部連は何も反省していない。
いい人のままでいると、その先は「日本滅亡」でしかない。

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再び「消費税」の誤解について

2011年09月03日 | Weblog

野田政権始動。
財務省が経産省に勝利して野田政権が動き始めた。
原発問題で大きくつまずいている経産省に勝ち目は最初からなかったか。
財務省にしてみれば、「霞ヶ関省庁の頂点は我等財務省。経産省ごときに主導権を渡してたまるか」といったところだろうか。
そして「松下政経塾」出身者が初めて総理に登り詰めた。内閣も政経塾出身者が要所要所を固めている。
国民にとって更なる不幸のこれは始りだ。
野田政権というと、まず復興に名を借りた「増税」が心配される。
消費税の前に法人税・所得税の増税を言っているが、いずれ「消費税10パーセント」が実施課題に上ってくるだろう。
「消費税」のカラクリやその欺瞞性を鋭くあばいているのがフリージャーナリストの斉藤貴男氏だ。斉藤氏が「朝日ニュースター」の番組内で解説したことを簡略化して改めて書いてみると、
消費税という名前がインチキ。
現在の日本の「消費税」の仕組みは、消費したものにかかる税というより、あらゆる流通にかかる付加価値税というほうが正しい。
「社会保障と税の一体改革」などと、あたかも社会保障の財源のために消費税の税率を上げる必要があるなどとごまかしているが、実は社会保障にまわる保障はない。
各省庁で使いたいものがある。そちらにまわって無駄遣いされるおそれがある。
逆進性が高く、低所得者を直撃し、消費を控える行動に出る人が増えるため増税不況になるだろうとはよく言われていることだが、それ以上に深刻なのは、この税が価格に転嫁できない零細自営業者を直撃することだ。
自身もフリーの自営業者という立場にある斉藤氏は自分の問題としてこの「消費税の問題点」を考察してきた。
そして国内零細自営業者とは対極的に輸出企業は外国では消費税が取れないので、国から消費税分を還付金として返してもらえるのだ。
例えば、トヨタは2000億円もの還付金を国から得ている。
さてそのトヨタは、国内で仕入れの時にほんとに消費税を支払っているのだろうか。下請けを泣かせている可能性がある。
消費税の納税義務は1000万円以上の売り上げがある場合に発生するが、担税義務に規定がない。
だから消費税の支払いはまさに力関係で決まる。全く暴力団と一般人の関係のようだ。
経団連に巣食うような大企業のトップは何かと言うと「日本の法人税は高すぎる。法人税を下げよ」と政府に要求する。
しかし法人税は赤字企業には課せられない。消費税は赤字だろうが何だろうがかかってくる苛酷な税だ。
斉藤氏は法人税で首をくくらなくてもいいが、消費税は首をくくらなくてはならない税だと表現した。
消費税が導入されて13年。税率が3パーセントから5パーセントに上がったことで、自殺者が3万人を超え、こんにちまで下がることはない。
今の日本政府や役所は生産性の低い業者は無くなってもよいと考えていると、斉藤氏は断ずる。
果たして、ささやかな自営業者がこの日本から無くなって、チェーン店ばかりになって、それで日本はいいのか。決してそうではないはずだ。
消費税と名づけられたこの付加価値税は、非常に抵抗の多い税だった。それを無理矢理導入したために抜け穴だらけの税制になっている。
この10年ほど消費税増税分6兆円に対して、所得税減税分6兆円で、消費税は社会保障に回すという話はウソだということが知れる。
高いとされる日本の法人税率だが、その中身をよく見なければならない。
研究開発費などは税の優遇策があり、この間、非正規雇用を増やして医療や年金のための社会保険料の負担を減らしてきたのが実情だ。
「大企業がどんどん法人税の安い外国に出て行ってしまい、国内の雇用が失われてもよいのか」という脅しがあるが、法人税の安い外国に進出しても、そこでは日本国内で優遇されていた税制措置はないし、インフラやエネルギーの安定供給が果たして現地であるかどうか。
名目法人税の税率だけで企業立地をすすめるわけではないはずだ。
この間の税収の落ち込みは無理矢理所得税の減税を実行したからで、GDPから見ると日本は現在大きな政府どころか、もう充分小さな政府になっている。なのに赤字が減らない。
官僚の怠慢と無駄遣いは少しも改善されていない。
斉藤氏は最後に皮肉る。「アメリカに消費税はない。何でもアメリカの真似をしてきたのに、これだけは真似しないで、口をつぐんでる」と。
社会を支えあうために税は必要だ。しかし可能な限りそれは公正でなければならない。
低所得者により負担がかかり、高所得者がより溜め込んで高笑いする社会であってはならない。

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