朝鮮戦争再燃か?と思わせる事件が起こった。
北朝鮮によるヨンビョンド島砲撃。この島は韓国のハブ空港仁川にも近い南北の国境線付近にある島で、北朝鮮の砲台も向けられている。
そんな一触即発のような島にも人々は住んでいる。なぜかというとこのあたりは豊かな漁場なのだ。
ワタリガニがたくさん獲れるので、漁師もいるし、魚介類を食べさせる民宿もある。
このところ、韓国の人達の関心は「経済」に向けられ、影を内包しつつも、韓国の力は急上昇しているように見えた。
北の同胞に無関心になり、顔は欧米や日本、東南アジアに向けられ、「経済進出」に浮かれていた。
「経済大統領」と言われる李明博氏は、経済を好転させることが自分の使命で、北は無視という立場だったような気がする。
今回の北朝鮮の砲撃は無法な挑発には違いないが、しかし北朝鮮がこんにちのような北朝鮮になったのにはそれなりの理由がある。
それについては、このブログでも7月25日の日記に、南北朝鮮分断の遠因は日本の植民地支配にあるという内容で書いた。
「朝鮮戦争」は米ソ両大国の代理戦争だった。ソ連が後押ししたのが金正日の父親である金日成だ。
ソ連の後ろ楯あってこその金日成体制なのだった。その後ろ楯であるソ連が崩壊してしまい、はしごを外された「金王朝」がどう生き延びるかと言ったら、今私達が目にしているような選択が当然の成り行きだったような気がする。
朝鮮半島の地図を見ると、韓国の首都ソウルが実に北緯38度の分断線に近いのに驚く。
「ソウルを火の海にする」という昔からの北朝鮮の脅しが現実的であることが知れる。
朝鮮戦争の際も、極秘に南進作戦を進めていた北朝鮮軍が、たちまちソウルを占領したわけだ。
だからこそ、金大中氏も、ノ・ムヒョン氏も北との対話を重視し、経済支援をして来た。北に住むのは同じ言葉、習慣、文化を持つ同胞なのだ。
同じ民族同士で殺しあう「朝鮮戦争」の愚を繰り返さないためには、やはり「対話路線」しかない。曲折があっても人的・経済的交流をすすめるしか道はない。「ソウルを火の海」にしないために。
それにしても黄海での米韓演習とは。なぜアメリカがそんな中国の目の前のアジアの海で、原子力艦を押し出して演習しなければならないのか。
韓国は自国の安全のためにもアメリカとこんな場所で軍事演習しないほうがいい。
柳田法相放言、仙石官房長官発言。
「国会答弁は二つ覚えておけばいい。個別の事案についてはお答えを差し控えます。と、法と証拠に基づいて適切にやっております。この二つで何べん切り抜けたか」と、地元広島の国政報告会での発言が国会審議を止めている。
地元の支持者の集まりで、「大臣就任おめでとう」とちやほやされて、調子に乗り、みんなの笑いを取ろうとつい出た発言。
不謹慎でうかつだけど、これは今までの法相もたどった道。
自民党政権時代に、南野知恵子さんという看護師の元締めから国会議員になって、法務大臣に任命された人がいた。この人なんかもおそらく柳田大臣と同類だったはずだ。
この南野さんを国会の委員会でいじめる先頭に立っていたのは、確か弁護士資格のある法律に詳しい仙石さんあたりだったような気がする。
大臣という存在が、官僚組織の上の神輿のような現状では、他省の長も似たようなものだと思うけど。
その中でもこの柳田大臣は質が悪い。どういう経歴の人か知らないけれど、自民党に空いている席がなかったから民主党から立候補して当選しただけの人のように思う。
面差しが鳩山邦夫元法務大臣に似ている。「死刑執行」の書類にどんどん判を押していくタイプではないか。
法律方面には全く素人で、「法務大臣任命」に本人が驚いたという。菅直人の各大臣の選び方は悪すぎる。それが自分の首をじわじわ絞めて、やがて窒息死に至るのであろう。
仙石官房長官発言。
参院予算委員会で、海保職員による「尖閣諸島付近での中国漁船衝突ビデオ」流出に関連して、公務員の政治的中立についての答弁。
「暴力装置でもある自衛隊は、ある種の軍事的組織だから、特段の政治的中立性が確保されなければならない」。
この発言はその通りだと思う。自衛隊も警察も海保も、国家権力が保持する「暴力装置」で、それは対外的と共に国内での国家に反抗する民衆に対する「抑圧装置」でもある。
仙石長官の経歴はよく知らないが、東大の学生時代、「全共闘」メンバーとして活動したとか。
「同和問題」などで、自治体にねじこんでいく「人権派弁護士」として活躍。
社会党の土井たか子さんに請われて、国会議員に立候補して当選。
が、政界再編の流れの中で、社民党に見切りをつけて民主党に移った「左から右へのシフト組」。
それでよく週刊誌に「赤い官房長官」などと書かれるのだが、左から右へ行った人は殆どが、金のため、名誉のため、野心のためだから人間として堕落していく運命をたどる。
最近では辻元清美議員がいい例だが、しかしそもそも彼女にそれほど思想的信念があったのかどうかは疑問のあるところだけれど。
菅総理も「市民活動家」出身などと言われるが、彼の場合は、国会議員になるために「市民派」を装っただけだったことがここへ来てはっきりした。
左から右へ転向していった人は既得権側に大歓迎される。自分達に反抗していた者が、その戦いをやめて「敗北宣言」したのだから。
これに対して、右側にいたのに政治家として活動し、選挙のたびに多くの普通の人達と接するうちに生活者の立場に立つようになった人達は人間として信用できる人達のような気がする。
小沢一郎、鈴木宗男、亀井静香、といった政治家は、理論からではなく現実から、大多数の勤労者市民の生活が成り立たなくては、この社会は立ち行かないということを自覚し、そのように活動しようとしてきた。
こういう政治家には既得権側は厳しい。逮捕し、収監し、起訴しようとしている。
APEC開催を機に突然浮上したTPP(環太平洋連携協定)。
参院選を前に突然「消費税上げ」を言い出した時と同じ菅氏の悪い癖。
TPPに参加するということは、例外なく「関税0」に突き進むということであり、米や乳製品など高い関税によって、維持されている農業関係者は大反対。
自動車や電機といった輸出大企業=経団連の意向が強く働いているであろうことは素人にもわかるこの論議。
日本の農業が今のままでいいとは誰も思わない。だがどうしていくべきかはそれこそ「熟議」しなくてはいけない。
TPPをどこよりも望んでいるアメリカのご機嫌取りだけのために参加を決めることではないはず。
以前、NHKは教育テレビで「なぜ希望は消えた」というタイトルで、第二次大戦後の、農水省主導の「農業政策」の歴史を、山形県の農村を例に考える番組を放映した。
大地主から実際に耕作する農業者に農地を配分する「農地解放」を断行したのはアメリカ占領軍だったが、60年、農水省は、農業の大規模化により、農業所得の倍増をめざすとして、「農業基本法」を打ち出した。
山形のこの村では、村挙げて耕地整理に取り組み4年間で集落農地を機械耕作ができるように作り変えた。
たしかに東北地方をバス旅行したりすると、見事に「圃場整備」ができていて、それはこの60年代から始まった「土地改良事業」の結果だったのだ。
だが大規模化は進まなかった。意欲ある、後継者のいる農家に農地を譲り、それ以外には「挙家離農」を促し、工場労働などの都市労働に移行してもらうというもくろみだったが、圃場整備の済んだ耕しやすい田畑を手放す農家はなかった。
作りやすく、価格が保障されている米だけを作り、後の時間を出稼ぎや、近隣に進出してきた工場などに勤めて現金収入を得る「兼業農家」が農村の姿となった。
耕地整理の済んだ農地は水路や道路が整い、住宅地に転用しやすく、サラリーマン生活になじんだ農家の中から、住宅地として土地を手放す者が増加するようになる。小学校の周辺から宅地に変わっていった様子がCGで示された。
60年代後半、宅地転用を抑制するための「調整区域」を設ける新都市計画法を策定するが、工業生産が飛躍的に伸びていった「高度経済成長時代」に入り、豊かな生活を国民が手にして行く中で、米だけをおなかいっぱい食べれば満足という時代ではなくなったことと、機械化、化学肥料の投入により「コメあまり」となっていく。
ここからは、減反、工業製品輸出と引き換えの農産物市場解放の要求を徐々に呑んでいかざるを得ず、「防戦一方」の日本農業になっていく。
農業従事者の高齢化による耕作放棄は日本の国土を荒廃させ、その影響は土砂災害やクマの出没という形で現れ始めている。
しかし安い外国からの輸入品を食べればいいじゃないかというわけにはいかないのだ。
日本に農産物関税0を迫っているアメリカの大規模農業、畜産業には国からの多額の補助金が入っている。
そして「動物工場」と呼ばれるアメリカの大規模畜産業の実態は恐るべきもので、この動物虐待から「人類の滅亡」は始まると思わせるに充分だ。
豚は狭く、換気の悪い小屋に押し込められ、排泄物の悪臭、質の悪いエサ、周辺の地域も環境汚染が進み、川の魚は死んでいく。
豚や鶏が原因の感染症は、このまま見過ごしていれば、確実に人類を蝕んで行く。
そんな安いかもしれないけど、汚染された、動物達の呪いの塊のような肉を使ったハンバーガーや牛丼を食べるのは、貧しい人々というわけだ。
「経済成長」「経済成長」と、叫び、滅びの道に人々を追い込む資本家や政治家のワナにはまってはいけない。
昭和41年静岡県清水市で起きた強盗殺人放火事件。
味噌工場の経営者一家4人が刺殺され、放火された。
警察が容疑者として目をつけたのは、元プロボクサーの従業員袴田巌。
他の従業員が親戚だったり、地元の人間であるのに対して、袴田は同じ静岡県ではあったが、離れた地域の出身。しかも離婚して幼い息子と母と三人で暮らすためにアパートを借りたいと思っていたが、その金がなく、借金もあるらしい。
味噌工場の主人は柔道2段。格闘して渡り合えるのは元ボクサーの袴田だ、というわけ。
身に覚えのない罪で逮捕された袴田。否認する袴田に対して、「袴田が犯人だ」と決めつけ、他の可能性を探ろうとしない、それはメンツであり、「面倒くさい」という自らの仕事に対するズボラさのゆえか、ひたすら自白を強要する警察。
こうして袴田は、数多くの冤罪事件がそうであるように「虚偽の自白」をさせられ、裁判にかけられる。
裁判を担当した静岡地裁の裁判官熊本典道。彼は回されてきた袴田の調書が二転、三転していて、本当に彼が犯人なのかという疑問を持つ。しかも4人を殺害しているから、判決はほぼ死刑に間違いないわけである。
そんな重大な判決を出さなければならないのに警察・検察から回ってきた調書は疑問だらけだ。
3人の裁判官がこの事件の判決に関わる。熊本以外の判事は裁判所という組織の中で、出世を気にし、自分に不利になるようなことには関わりたくないというタイプに描かれている。
「死刑判決」は、2対1の多数決で決まる。
死刑判決に反対の熊本だったが、主任判事として判決文を書かなければならない。
苦渋の思いで、この判決に疑問を付しつつも判決文を書く。
無罪と感じつつ死刑判決をくだす究極の矛盾を体験した熊本。
熊本はこの判決後、裁判官を辞す。
そして、判決の証拠となった味噌樽から発見された犯行時の血の着いた衣服の状態を、もう1度再現してみたり、刺殺に使ったといわれる刳り刀で4人もの刺殺が可能かを解体した牛肉で試したり、その中で益々「無罪」の確信を深める。それは熊本元裁判官の苦悩を深めることでもあったが。
この地裁での死刑判決後、高裁、最高裁でも抗告棄却。
この国の司法は1度出した判決は、たとえ間違っていようが何であろうが絶対変えないぞ、と決意しているかのようである。
そして死刑判決確定。いつ執行の日が来るか、しかもやってもいない罪で、その恐怖から袴田巌は精神に異常を来たし、現在正常な意思疎通は困難な状態だという。
この映画は、事実に基づいたドラマとして構成されている。
事件自体はまぎれもなくあった。真犯人は必ずいるのだ。
警察の見込み捜査のために事件の真相は闇に消えたままだ。
40年以上も経過して、それがもう明らかになることは絶望的だ。
無実の者の人生を奪い、そして事件の真相も明らかにできない。警察・検察・裁判所は2重の罪を犯した。
熊本氏は平成19年になって「袴田事件は無実」と世間に公表。
現在は袴田解放のために活動をしている。
共に昭和11年生まれ。被告と裁判官として出会ったのは30歳の時。それから40年以上の月日が流れた。
警察のでっち上げやいい加減な捜査、検察のでたらめぶり、裁判所の無責任。
それが一気に表面化した2010年。今度こそ捜査起訴する側の罪をうやむやにして終わらせてはならない。
ある日突然、権力によって濡れ衣を着せられる可能性誰にでもある。