連日、一週間以上、四川省大地震をニュースのトップに持ってくるNHKの報道姿勢は何か変。
確かに未曾有の大地震。報道の価値はある。しかし、夜の七時のトップに持ってきて毎日報道する姿勢には、今の日本の社会や政治のおかしさを覆い隠そうとする意図があるのでは、と私は勘ぐってしまう。
二年前だったか、サッカーワールドカップのニュースをこれまた連日トップで報道した姿勢にも「変だなあ」と思ったのと同じ違和感が今回もある。
皆様から受信料を徴収しているNHKには「国民の皆様のために公正な報道」をしてもらいたい。政府与党の広報はやめてもらいたいものだ。
船場吉兆の食べ残し使い回し
賞味期限偽装に、牛肉産地偽装、とどめは客が手付かずで残した料理を細工して別の客に、というので今日遂に「廃業」の記者会見。
もちろん船場吉兆は悪い。そういうことをしておいて、高い料金を取っていたのだから。
しかし、この「食べ残し」や廃棄される残飯の多さについては見過ごせない問題がある。
吉兆のような高級料亭からファミリーレストランまで「食べ残し」がいかに多いか。
私は「宴会」というものが嫌いだ。なぜかというと理由の一つは、そこは食べ残しと飲み残しの残骸の場だからだ。その無残なさまを見るのがしのびない。
かといって、私が片付けたり、人の分まで食べたり飲んだりできないし、せめて自分の分は「持ち帰り」できる場合はそうするが。吉兆の場合はどうなのか。
吉兆のような高級とされる料亭の場合、そこは純粋に食事を楽しむために使われる以上に、接待の場として使われていることが多いのでは?
接待される側は、接待慣れしていて、「またか」というようなものではないんだろうか。
吉兆の創業者の湯木貞一氏には5人の子があって、その子供達のために平等にのれんわけしたことが、かえってあだになったようだ。
「児孫のために美田を買わず」と言うが、あまり子供達の将来を考えすぎて先回りすると碌なことにならない。
子ども達の中で、本当に料理を愛する人間が継ぐのなら継ぐ、というのがよかったのだろう。
世界は、利潤追求だけを至上命題としていると、食料危機と水資源危機に早晩陥るだろうと、これは馬鹿な政治家と企業家以外は誰もがわかっていることだ。
「飽食の果て」の顛末が「老舗料亭吉兆の没落」の姿だ。
『南の島に雪が降る』戦争末期西ニューギニア演芸部隊。
少し前に見た映画。原作は俳優の故加東大介で、彼の実体験がもとになった作品。
戦時中のニューギニアと聞くだけで、戦後生まれの私など「飢餓とマラリアの戦場」というイメージを持つが、ニューギニアも地域によって、地獄の場と、この映画のような暫しの平和の時を才芸に秀でた兵士らにより結成された演芸部隊の芝居や歌を楽しむ場もあったのだ。
長門裕之や津川雅彦の叔父で、沢村貞子の弟の加東大介は、この演芸部隊の総監督。
「名月赤城山」のような芝居をやって、農村出身の兵士等を慰めた。戦闘で傷を負い、瀕死の兵のために、故郷を思い起こさせる「雪を降らせる芝居」をしたことが、映画のタイトルになっている。
加東大介は、「芸は身を助ける」という面もあって、復員、戦後は映画で大活躍する。
三波春夫もこちらはシベリア抑留を体験するのだが、やはりその芸によって、厳しい抑留生活も他の人より恵まれたものだったと語っていた。
名前は忘れてしまったが、以前講演で、話を聞いた人は、終戦をを兵士として、インドネシアのバレンバンで迎えたが、そこは戦略的に、敵国にとってさして重要な地域ではなかったので、非常にのんびりとした中で過したと言っていた。
一方、東ニューギニアでは、ドキュメンタリー映画『行き行きて神軍』の主人公となる奥崎謙三が過酷な戦場体験をするのだが、それはまた改めて。