木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

戦地の明暗『南の島に雪が降る』

2008年05月29日 | Weblog

連日、一週間以上、四川省大地震をニュースのトップに持ってくるNHKの報道姿勢は何か変。
確かに未曾有の大地震。報道の価値はある。しかし、夜の七時のトップに持ってきて毎日報道する姿勢には、今の日本の社会や政治のおかしさを覆い隠そうとする意図があるのでは、と私は勘ぐってしまう。
二年前だったか、サッカーワールドカップのニュースをこれまた連日トップで報道した姿勢にも「変だなあ」と思ったのと同じ違和感が今回もある。
皆様から受信料を徴収しているNHKには「国民の皆様のために公正な報道」をしてもらいたい。政府与党の広報はやめてもらいたいものだ。



船場吉兆の食べ残し使い回し
賞味期限偽装に、牛肉産地偽装、とどめは客が手付かずで残した料理を細工して別の客に、というので今日遂に「廃業」の記者会見。
もちろん船場吉兆は悪い。そういうことをしておいて、高い料金を取っていたのだから。
しかし、この「食べ残し」や廃棄される残飯の多さについては見過ごせない問題がある。
吉兆のような高級料亭からファミリーレストランまで「食べ残し」がいかに多いか

私は「宴会」というものが嫌いだ。なぜかというと理由の一つは、そこは食べ残しと飲み残しの残骸の場だからだ。その無残なさまを見るのがしのびない。
かといって、私が片付けたり、人の分まで食べたり飲んだりできないし、せめて自分の分は「持ち帰り」できる場合はそうするが。吉兆の場合はどうなのか。
吉兆のような高級とされる料亭の場合、そこは純粋に食事を楽しむために使われる以上に、接待の場として使われていることが多いのでは?
接待される側は、接待慣れしていて、「またか」というようなものではないんだろうか。
吉兆の創業者の湯木貞一氏には5人の子があって、その子供達のために平等にのれんわけしたことが、かえってあだになったようだ。
「児孫のために美田を買わず」と言うが、あまり子供達の将来を考えすぎて先回りすると碌なことにならない。
子ども達の中で、本当に料理を愛する人間が継ぐのなら継ぐ、というのがよかったのだろう。
世界は、利潤追求だけを至上命題としていると、食料危機と水資源危機に早晩陥るだろうと、これは馬鹿な政治家と企業家以外は誰もがわかっていることだ。
「飽食の果て」の顛末が「老舗料亭吉兆の没落」の姿だ。



『南の島に雪が降る』戦争末期西ニューギニア演芸部隊。
少し前に見た映画。原作は俳優の故加東大介で、彼の実体験がもとになった作品。
戦時中のニューギニアと聞くだけで、戦後生まれの私など「飢餓とマラリアの戦場」というイメージを持つが、ニューギニアも地域によって、地獄の場と、この映画のような暫しの平和の時を才芸に秀でた兵士らにより結成された演芸部隊の芝居や歌を楽しむ場もあったのだ。
長門裕之や津川雅彦の叔父で、沢村貞子の弟の加東大介は、この演芸部隊の総監督。
「名月赤城山」のような芝居をやって、農村出身の兵士等を慰めた。戦闘で傷を負い、瀕死の兵のために、故郷を思い起こさせる「雪を降らせる芝居」をしたことが、映画のタイトルになっている。
加東大介は、「芸は身を助ける」という面もあって、復員、戦後は映画で大活躍する。
三波春夫もこちらはシベリア抑留を体験するのだが、やはりその芸によって、厳しい抑留生活も他の人より恵まれたものだったと語っていた。

名前は忘れてしまったが、以前講演で、話を聞いた人は、終戦をを兵士として、インドネシアのバレンバンで迎えたが、そこは戦略的に、敵国にとってさして重要な地域ではなかったので、非常にのんびりとした中で過したと言っていた。
一方、東ニューギニアでは、ドキュメンタリー映画『行き行きて神軍』の主人公となる奥崎謙三が過酷な戦場体験をするのだが、それはまた改めて。



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知識と技術を持った人間が悪魔になる時

2008年05月22日 | Weblog

もう一つの無駄遣い特別会計。
税金の最も無駄な使い方、「軍事費」と前のブログで書いたが、もう一つ「特別会計」という無駄遣いがある。
今日(22日)のテレビ朝日「スーパーモーニング」が取り上げていた。
今日の焦点はそのうちの「治水特別会計」。
一般会計と違って、使い切りではなく、余った予算は繰り越されていく仕組み。
霞ヶ浦の親水のための人工砂浜と、荒川の知水資料館と、公務員宿舎を取り上げていた。
霞ヶ浦の砂浜は、葦の生い茂る荒地となり、知水資料館は、それなりに入場者はあるという話だったが、3階建ての広さは必要ないのではというのが、レポーターの感想だった。
ちなみに建設費を尋ねると、5年以上前の建設なので、資料が残っていない、従ってわからないということだった。
公務員宿舎は、河川管理関係の職員のほぼ7割に当たる人が入居できる戸数がある。
こうしてみると、日本は本当に「土建国家」だ。上は大手ゼネコンから、下は職人親方一人の孫請けまで、日本中で公共土木事業をやり続けて60年来たという感じだ。
そして行政官は、結果の責任は取らない。
それでも、役所に抗議をしたり、監視の目を光らし、情報の公開を求めることは無駄なことではない。
結果の責任は取ろうとしない役所だが、目の届かないところでやりたい放題する歯止めにはなる。
社会保障のために消費税をいくらに上げるかという試算の前に、この特別会計の無駄をすべてなくす作業をするだけで、当面の問題は解決する。



テレビ朝日「時空ミステリー・帝銀事件」。
大分前だが、こんな番組があった。
1948年(昭和23年)、帝国銀行椎名町支店で、赤痢予防と称して、保健所からきた係員を装った男が、行員に青酸化合物を予防薬と偽って飲ませ、動けなくなり、やがて死に至る行員を尻目に、現代の価値にすると、一千万円以上に相当する現金と小切手を持ち去った事件。
この事件は、その手口から医療関係者、とりわけ薬物・毒物に詳しく、その扱いに慣れ、かつ入手しやすい者の犯行ということで、警察もその線で捜査を進め、解決まで後一歩のところまで行ったところで、突然、医薬にはまったく素人の画家の平沢貞通が逮捕されることに。
この事件が起きた時、戦時中の日本軍の細菌戦部隊「731部隊」の責任者石井四郎元部隊長は、「犯人は、必ず私の部下だった者の中にいる」という言葉を残している。
12人が亡くなり、4人が辛うじて生き残ったのだが、その生き残った行員の証言では、犯人は非常に落ち着いた様子で、湯飲み茶碗に正確に注ぎいれた「予防薬」をゆっくり飲むよう指示したという。
使われた青酸化合物は、青酸ニトリートというもので、ゆっくりと毒物の効果が表れ始めるのが特徴で、犯人が金を持ち去るのをどうすることもなく見送り意識を失っていくしかなかった。
これが青酸カリだと、毒の効き目が早いので、周囲の異変に、行員の中には、飲まずに吐き出し、犯人に立ち向かってくる可能性がある。だがすぐには異変がやってこないので、みな疑いもなく、飲み干してしまった。
なぜ、およそ関係ないと誰もが思うような平沢が犯人に仕立て上げられたのか、それは当時、平沢が大金を手に入れたためだった。だがこの大金の出所を平沢は言おうとしなかった。
後に、というか、わりに最近のことだが、この大金は、平沢が小樽の割烹料理店の求めに応じて描いた「春画」の画料だったのではということが判明した。
戦前からの高名な画家であった、平沢にとって、春画で金を得たということは、なかなか口にできない、という事情があったのだろうが、命がかかっているのだから、それだけではないのかもしれないが、とにかく「平沢を犯人にする」と決めた警察に対して、これを証言しても無力だっただろう。
戦後間もない時期の数々の冤罪事件で死刑判決受けた事件のうち、幾件かは再審請求後、晴れて無罪を勝ち取ったものもある。(免田、松山、財田川事件など)。
だが、素人目にも冤罪とわかる「帝銀事件」だけは、何度再審請求しても退けられてきた。
それはやはり、この事件が731部隊経験者が起こした事件であろう、ということがある。
戦後、アメリカ占領軍は、この731部隊の細菌作戦のノウハウを提供させることによって、戦争犯罪を免罪するという処置をした。
この事件が部隊関係者によるものということになれば、戦時中の細菌作戦の実態や、それをアメリカが利用しようとしている事実が日本国民、ひいては国際社会に明らかになり、アメリカの不利の材料となる。
アメリカ、日本両国家の犠牲になった画家平沢貞通。だがさすがに死刑を執行することはできず、97歳だったか、獄死することになる。
「帝銀事件」は終わっていない。養子になった平沢武彦氏がこの裁判を続けているし、画家平沢貞通の画業を一般に知らせる活動をしている。
それにしても、この事件の真犯人は、731部隊の活動の中で人間性を失い、その悪魔の技術と知識を使って、自分の利益のために殺人強盗の大罪を犯したことになる。
技術と知識を持つ者が人間性を失った時の恐ろしさ、影響の大きさ。それは「戦争」という局面で最も顕著に現れる。



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今に生きる『蟹工船』の思想

2008年05月16日 | Weblog

大地震にサイクロン。
ミャンマーのサイクロンに中国四川省の大地震。万単位の犠牲者が出た。
アジア地域に矢継ぎ早に襲った天災だが、建物の壊れ方や、ミャンマー軍事政権の外国の支援を拒否する態度を見ていると、天災の次に人災が襲ってきたという感じだ。
大昔から人類は天変地異におびえてきた。天地鳴動して、この世の終わりがやってきた、と思ったことだろう。だからこれは神の御ワザとひれ伏す気持になり、神の怒りに触れることはするまいとしてきたが、近頃は、天変地異も科学的に解明される部分が増えて、「神を恐れなくなった」。
四川省大地震では、役人の腐敗による「公共建築物の手抜き工事」が指摘され、学校の倒壊で、多くの生徒が犠牲になった。
みんな目先の利益にとらわれて、天災を更に拡大させて、「神の意志」にそむき続けている。
北京オリンピックを目前に、ちょっと気の毒な気もする。
どこかのブログのように「天罰だ」などと言う気にはなれない。事はそのように単純ではない、と思う。
そして、腐敗と国民をバカにしているという点では、日本の役人も負けてはいない。
国交省の出先機関に、民主党議員がおもむいて、道路特定財源のムダ使いを追及している様子をテレビが報道していた。
大正時代の「米騒動」の時には、庶民は米屋に押しかけたが、国交省を始めとする役所に押しかけて抗議する時がきたような・・・。
民主党議員の追及を「品がない」だのというコメンテーターがいたが、品がないのは、衆院で道路特定財源の法案を再々可決した与党の方だろう。
政権の回し者がしたり顔で、こういうことを言うのを許していてはいけないのだ。
この前の日曜日の「NHKスペシャル」は、社会保障が危ない、という特集だった。
いよいよ税金のムダ使い、とりわけ「軍事費」にメスを入れる時がきている。
大マスコミに起用されているような人は誰もそれを言わないのだが。
21世紀、長大重厚な軍事装備は軍需産業のためでしかない。この壮大なムダ使いをやめれば、75歳以上の人を「死ねよ」と切り捨てることもないし、母子家庭の親子から希望を奪い、絶望のふちに追い込むこともない。
全てが解決する「魔法の杖」だ。
敵が攻めてきた時に、国民を守る、が国家が維持する軍隊の建前だが、歴史を振り返ると、「守ったためしがない」ということがわかる。
それがわかると困るので、正しい歴史を学ばせまいと、軍隊の負の部分を隠そうと、文部科学省は、教科書にいちゃもんをつけてくる、という構図だ。
人類の歴史は「野蛮の歴史」でもあるが、最後に残った野蛮な制度は国家の名による「軍隊」と「死刑」ではないかと思う。
私は今、時間をみつけては、高校時代の政治・経済の参考資料を読んでいる。
日本国憲法から労働法、公職選挙法など、各法律が網羅されている大変参考になる資料だ。
1960年代のものではあるが、法律の根幹は変わっていない。
高校時代にこれらの法律の意味するところを深く考えたという記憶はないが、それでも学ぶ気になれば、高校生活はこうしたものを提供してくれる場ではあった。
規制緩和の名の下に、労働諸法の裏をかいて、労働者をこき使い、残業代も払わない悪徳業者が横行し、ようやく「おかしいではないか」と、声をあげる人もでてきているが、「国民としての権利」を、高校時代にもっと学んでいたら、ここまで我慢することもなかったのではないか。
ただ私の世代も偉そうなことは言えない。労働組合が既定の存在としてあって、ただそれに従っていただけのことだったから。
今の若者は、労働組合も無い中で、自分で苦しみ、考え、立ち上がっているのだから本物だ。誰の受け売りでもない。
若い人の間で戦前のプロレタリア文学の傑作とされる小林多喜二『蟹工船』が読まれているということが話題になっている。
過酷な労働現場に、自分の職場を重ね合わせ、かつその現実に抗議して、立ち上がる労働者の姿に感動し、勇気を与えられる、ということらしい。
そして、果たして自分にその勇気があるかと自問してもいるのだ。
多喜二も、自身の肉体存在を賭けて、権力に対抗したのだが、ソ連邦や東欧諸国の社会主義国崩壊は、そんな多喜二の生き方を否定してしまう事実で、多喜二の死もムダになったのか、と思わないでもなかったが、皮相な見方だった。
真実は、主義主張を超えて生き続ける物なのだと知らされた。



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黒澤映画と時代

2008年05月11日 | Weblog

復員兵俳優、三船敏郎・三国連太郎・木村功
今年は映画監督黒澤明没後10年だそうで、NHKBSは黒澤映画特集。
『野良犬』は敗戦後4年目、1949年公開の映画で、まだ戦争の傷跡生々しい日本を描いた作品。
バスの中で拳銃を盗まれてしまった兵隊帰りの新米刑事(三船)。この拳銃を手に入れて、犯罪を犯すのは、やはり復員兵の遊佐(木村功)。
共に全財産の入ったリュックを盗まれる体験をしている。
その体験により、警察官の道に進んだ者と、逆に絶望して犯罪者の道に落ちていった者。
実際にも三船も木村も戦争末期に召集され、生き残った復員兵だ。
これに三国連太郎を加えて「復員兵俳優、復員兵スター」と呼べるだろうか。
そして、三船が表の道、陽を代表するような、力強い男の中の男と言った人物を演じて、人々に夢と希望を与えてきたとしたら、三国は裏の道、蔭のある、歪んだ人物を多く演じてきた。
俳優三船敏郎の特徴は、三船の後を継いで黒澤映画の主演俳優を務めた仲代達矢が言っていたが、運動神経の良さ、動きの早さだ。
三船の殺陣シーンは殆どリハーサルの必要がなかったという。というか、リハーサルの段階でもう本番のような見事な動きだった。
黒澤の監督人生は戦争真っ只中で始まった。
当局による検閲と、フィルム不足、人材、機材不足との戦いの中で作られた映画が『姿三四郎』、『続・姿三四郎』。続編の方で、西洋のスポーツであるボクシングシーンが出てきて、欧米人が出演しているのだが、ドイツ人とかなのだろうか?
そして、国策映画として許可を受け作られたのが『一番美しく』。
光学機器工場で軍需用の製品の増産に取り組む女子挺身隊をえがいたものである。
この挺身隊のリーダー格の渡辺ツルを演じた若い女優、矢口陽子は翌年黒澤の妻となった。
『生きる』に出演した小田切みきによく似た感じの意志の強そうな女性の雰囲気を出している。
この挺身隊員の寮で、寮母を務める女優さん、山本富士子と三田佳子を合わせたような美人で、女工さんを演じている若い女優達の中にあって、ひときわ立ち姿も美しい人、誰なのかな、と思ったら、これが、かの高名な入江たか子
名前は知っていたが、こういう顔とは知らなかった。この時33歳ぐらい。
後、50歳を過ぎて『椿三十郎』に監督に請われて、家老のおっとりした奥方役で出演。
大分ふくよかになっていて、三十郎の三船を馬にして、塀を乗り越える場面で、重みに、三十郎がちょっと顔をしかめるという、往年の入江たか子を知っている観客なら、ちょっと苦笑いするだろう場面が。
『一番美しく』を見ていて、私が思い起こしたのは、富岡製糸場で、「お国(松代)の製糸工場の開業のために」と、器械製糸の技術を懸命に学んだ、伝習工女達だった。渡辺ツルはリーダー格の横田英の姿と重なった。
ツルは、母の危篤にも故郷にに帰らず、増産に励む模範工女なのだが、こうした人達は、敗戦後どのような気持ですごしたのだろうか、とも思った。
戦中と戦後をまたいで作られた映画が、歌舞伎の勧進帳や能の「安宅」の映画版、『虎の尾を踏む男達』。
映画の独自性を出すために、歌舞伎や能にはない、強力役として喜劇王榎本健一を配している。
大河内伝次郎の弁慶は見事。この役者も名前だけは知っていた人だが。
戦争は終わった。映画が自由に作れる、と思ったら、今度は政府当局の検閲の変わりに、東宝の労働組合による「審議会」の議論を経なければならない時代になった。
『我が青春に悔いなし』は、戦前の京大の滝川事件と、ゾルゲスパイ事件をモデルにした、左翼劇作家久板栄次郎の脚本による。
滝川教授を思わせる大学教授の令嬢、ゆきえ(原節子)が、左翼秘密活動で捕らえられ、獄中で急死した夫の実家の農家に行き、夫の老母と共に、ドロにまみれて農作業に励む。
村人は「スパイの家」だと言って、せっかく植えた田んぼの苗をめちゃめちゃにしてしまう。
原節子が令嬢から農婦までを熱演。
原節子という女優さんは、顔も立派だが、体も骨太な感じ。欧米の女優のようだ。
この後、小津作品で、つつましやかな、上品な女性の役を演じていくのだけれど、この役のような、激しい女性を演じる道もあったのだなあ、どちらがよかったのかしらと思わせられた。
ゆきえという女性はあえて苦難の道を歩むのだが、戦後は、農村の改革運動の先頭に立っていく姿で映画はエンドとなる。
大河内伝次郎が、ここでは、弁慶から一転、芯のある大学教授を好演している。





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時代に向き合う映画『処刑前夜』と『春婦伝』

2008年05月05日 | Weblog

光市母子殺人の元少年に死刑判決。
「死刑!」「死刑!」の大合唱の中、やっぱりの判決。
私は、この判決を聞いて、被害者の夫であり、父である本村さんの立場を思った。
いつも、何か、迷いのない、毅然とした、立派な人にされてきた。いつの間にか、そういう人間を演じさせられてきた、ということはないだろうか。
この「死刑判決」は、本村さんに一つの区切りをつけさせ、「やり直しの人生」に踏み出す一歩になるのだろうか。(元少年側は上告するであろうから、裁判は続くのだが)。
無残な事件を忘れることはできないが、本村さんを解放してやりたい、そんな気にさせられた。
死刑が執行されれば(近頃は頻繁に執行されるので)、本村さんは区切りをつけた気持になれるか?おそらくそうはならないだろう。
被告の、悲惨な成育歴がそれを妨げるだろうし、自分の犯した罪の重みを深く自覚しないまま、処刑されてしまえば、ただの「復讐」で終わってしまう。
と、そんな風に考えていた時、1,961年の日活映画『処刑前夜』を見た。(衛星劇場)。
戦争で父を亡くし、母は再婚。新しい父にもなじめないまま、酒屋の店員として働いていた青年高村(川地民夫)は、事故を起こしてしまい、弁償金を支払う羽目に。
酒屋の主人に借金を頼むが断られ、継父にも金は出してもらえない。
思い余った彼は、夜中に主人の部屋に忍び込み金を奪おうとするが、見つかり、主人夫妻を殺してしまう。
そして死刑判決。拘置所に送られる。
そこには、死刑を言い渡された確定囚の仲間がいる。ここで描かれる拘置所の生活は、今とは随分違うのでは?と思わされた。
死刑囚同士の交流があり、執行の前に「お別れの会」も開かれる。
また、確定囚になっても、執行言い渡しまでの間、刑務所の職員も交えた、俳句や書、絵画の会が持たれるという配慮もある。
高村はここで、俳句を作る。彼には妹(浅丘るり子)がいて、この妹がよく面会に訪れていた。
高村の句集を妹がまとめ、その実話に基ずいて映画は作られている。
連合赤軍事件の死刑囚永田洋子の著作の中に、死刑囚同士の回覧通信のようなものがある、という記述があったが、現在は、死刑囚同士孤立して、その日を待っているのでは?独房で本を読んだり、絵を描いたりする自由は与えれているが。
独房生活で、表現力を獲得した被告に永山則夫と狭山事件の石川一雄氏がいる。
「死刑になりたかったから、人を殺した」と供述したとされる無差別殺人の罪を犯した若者達。本当にそういう言い方をしたのかどうかはわからないが、もしそうだとしたら、「死刑制度」は、「犯罪の抑止」にはなっていないし、極限状況で、「死刑になってしまうから人は殺さない」という理性が働くようなら、この世で、人はトラブルを起こさない。



従軍慰安婦と戦陣訓を描いた映画『春婦伝』。(1,965年)
5月、衛星劇場では、川地民夫主演映画の特集で、これは、日中戦争下、中国大陸を舞台にした、鈴木清順監督作品。
天津で娼婦をしていた春美は、愛を交わしていた男に裏切られ、絶望の身を、大陸奥地の軍人のための娼館にゆだねる。
「激情の娼婦=慰安婦」を野川由美子が、「体当たり」で演じている。
戦地にはどうしても「命の洗濯」をしてくれる「慰安婦」が必要なのだ。
兵士も下士官も将校も娼婦を「汚らわしい」とさげすみながら、その汚らわしい存在に、一時慰められ、勇気をもらう。
自分の言う言葉としていることとの間の矛盾を考えもしないし、気づこうともしない。そう兵隊は考えてはいけない。考えると殺すことも殺されることも恐ろしくてできない。
春美は、副官の当番兵を務める三上(川地民夫)に一目で魅かれる。
しかし三上は、軍隊の階級に全身縛られている下級兵だ。
そんな三上を春美は激しく誘い、副官お気に入りの春美にためらっていた三上も遂に落ちる。
八路軍はゲリラ戦法で日本軍に対抗。日本軍には、中国の村々の人々すべてがゲリラの配下に見えてくる。
このあたり、今のイラクの米軍そのままだ。しなくてもいい殺戮を繰り返すことになる。
三上はゲリラと交戦中、被弾して気絶する。三上を追ってきた春美とともに、八路軍に助けられる。
八路軍の通訳は言う。「我々は、日本軍は憎むが、一人一人の兵士は憎まない」
「日本軍に戻ったら殺される。自分達と同行したらどうか」と勧める八路軍に対して、日本軍人意識に凝り固まっている三上は拒否し、帰隊する。
敵の捕虜になることを禁じている日本軍は、三上を軍法会議にかけ、戦闘死したとして、抹殺しようとする。
結局、三上と春美は手りゅう弾で自爆死することになるのだが、「生きて虜囚の辱めを受けず」の戦陣訓は、兵士のみならず、民間人をも縛り、サイパンや沖縄や満州での悲劇を生んだ。
この映画も改めて、もう一度日本人が見るべき映画だ。
ところで、50年代後半からの日活映画は、いわば看板作品が、ダイヤモンドラインの裕次郎・アキラ・赤木らのアクション映画だとするなら、2本立て興行の併映作品として、長門裕之、川地民夫らを主演者とする、秀作を世に送っている。



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