木洩れ日通信

政治・社会・文学等への自分の想いを綴る日記です。

真の愛国教育は地理・歴史を公正に学ぶこと。

2008年03月28日 | Weblog

理のわからない高・大生。
少し前の新聞記事にこんな見出しが。
今何かと話題の東国原氏が知事を務める宮崎県の位置がわからない高校生に、自衛隊が海外派兵されたイラクの位置がわからない大学生という取り上げ方だった。
こんなことになるのは、高校時代に地理を学んでいないということが関係しているようだ。
私は小学生の頃、地図帳を見るのを趣味としていた。
地図帳が教科書の副読本として配布されたのは、小学校四年か五年だったと思うが。
学校から帰るとひとしきり、地図を見て北海道から九州までの都市の位置と人口規模、名前を見ていくのが楽しかった。(沖縄やその他の離島は地図帳の真ん中の位置からずれているので、そちらにまでは目がいかなかったが)。
女の子が興味を持つ手芸のようなものにはあまり心惹かれなかった。私は「元祖・オタク人間的」だったのだろう。
おかげで、日本の都市の名前や位置は殆ど頭に入っていた。
ところが「平成の大合併」で、私の覚えた地名は役に立たなくなってしまったものが多くなってしまったけれど。
去年だったか、「世界史」の未履修問題が話題になった。
学校という存在から遠ざかって大分経つが、不思議に思うのは、やれ地理が未履修だの、生物が未履修だのというのがわからない。
私の頃は、これらは全部履修している。特別クラスでも何でもないけど。
理科系コースではなかったので、数学?は余りやってないような気がするし、物理は基本のAコースだったけど。
社会科は小学校高学年から高校まで地理と日本史は繰り返し教えられた。世界史と倫理社会という哲学の歴史を扱う分野だけは高校に入ってからだったが。
だから世界史は高校でやらないと、それこそ「国際貢献」どころじゃない。相手の国々の歴史や風土についてまるで理解していないわけだから。
生物・化学・物理・地学といった理科の分野は中学校では「理科」として、学年配分されていた。一年ではおもに生物、二年では化学、三年で物理・地学だったと記憶している。
これらは高校で総仕上げというか、教科分割された。
たしかに国・公立大学を受ける場合は、受験科目が多いので大変だが、全部履修した中で、理・社は得意ないしは攻略しやすい科目を選ぶのが当たり前と思っていたら、生物を履修していない医学生もいると聞いてびっくり。
そこまで効率化しなければ合格できない大学受験て、何なの?
かと思えば、今日3月28日付信濃毎日新聞1面は、文科省が小・中の学習指導要領の告示に「愛国心を更に強調する」修正を加えたと報じた。
客観的な世界の歴史や地勢を知らずして、強調される「愛国心」=「自国の優位性の強調」ほど危険なものはないのに。



中国製の食品の安全性の問題に加えて、ワイドショーでは、海外から日本の海岸に流れ着く漂流物の危険について話題にしていた。
海流の関係でおもに日本海や沖縄の東シナ海側に流れ着く中国、韓国、台湾からの漂流物。
韓国製のものはおもに漁具、中国製の中には医療廃棄物のようなものも混じっているという。
黄砂の季節でもある。大気汚染が深刻な大陸からの風は日本にも影響を及ぼす。
一刻も早く近隣諸国どうし話し合って解決しなければならない問題だが、最初に嫌韓だの反中だの、反日だのの気持があれば、責任のなすりあい、不信だけが増幅して、やがては武力衝突も辞さない、というふうになってしまう。
ギョーザ問題などは、解決に向かうどころか、膠着状態だ。
日本も中国が悪い、韓国が悪い、ロシアが悪いとばかり言ってないで、かつて日本も高度経済成長時代、環境に悪影響をおよぼすことを平気で、あるいは知らずにやってきたのだから、友好的に「問題解決」に協力し合うことが、今一番求められているのではと、私は思う。
そのためにも世界史、地理、気象や化学について学びましょう。
君が代は歌えなくてもそのほうがずっと愛国的だ。





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私物化の国、アメリカ

2008年03月23日 | Weblog

『東京大空襲・後編~邂逅』
日本テレビのドラマの後編は3月10日を生き延びた後にも地獄が続いたことを描いていた。
伝染病、戦災孤児、辛うじて生き延びても手足を失ったり、ヤケドの跡が残ったり。
しかも米軍による空襲はこれで終わったのではなく、首都圏ではこの後、東京西多摩地方を、そして横浜を襲う。この空襲で、ドラマでは、東京大空襲を生き延びた朝鮮人の青年が犠牲になる。
最近、ガンのために亡くなった作家の小田実氏は、大阪の軍需工場近くに住んでいたが、日本が降伏することがすでにわかっていたはずの8月14日にも米軍による爆撃があったと言っていた。(もちろん犠牲者がいた)
ドラマのナレーションでは、天皇の玉音放送があった昼まで、米軍による空襲は行われたとあった。

戦争が終わっても、戦争の犠牲は続く。その典型が被爆者。
原爆症の認定を最近まで拒まれてきた入市被爆者に加えて、長崎では大村の病院に運び込まれた被爆者を看護した人にも、被爆者の衣服などに付着した残留放射能によるのではと疑われる原爆後遺症(ガンの発病)があることが明らかになりつつある(NHKクローズアップ現代より)。



イラク開戦5年。
再び、「クローズアップ現代」からだが、今、イラクから帰還した米兵でホームレスになる者が増えていると伝えていた。
まず、イラクでの殺戮への自責と、どこから襲ってくるかわからない自爆テロ(抵抗)への恐怖が、イラクを離れても心の傷となって、帰還兵の心を悩まし、アルコール、ドラッグが手離せなくなり、仕事にも就けず、ホームレス化してしまうのだという。
そして、アメリカ社会のイラク戦争(侵略)に対する冷たい視線が余計に帰還兵の心を刺す。
イラク帰還兵だと就職にも不利だという。精神的に不安定で何をしでかすかわからないと、警戒されているのだろう。
開戦時には70パーセントのアメリカ人が支持したイラクへの侵略。それが今は30パーセントほど。30パーセントもまだいるのかと思うけど。
イラクに行った兵士は志願兵。しかも志願することによって、何とかアメリカ社会の一員として認められようとした下層の若者達だ。
自分達とは関係ないという意識がアメリカ社会を覆う。
東京外語大教授西谷修氏は「どう見るイラク開戦5年」(信毎・3月20日付け)で、
この「戦争」は誰の役に立ったのか、米国にとっては失敗だったのか、たぶん米国というふうに考えないほうがよいのだろう、というのは米国では政治も政府も「民営化」されているからだ。
日本では「民営化」というふうに訳されているが、「プライバタイゼーション」つまり「私物化」のことだ。
副大統領のチェイニーは軍需企業ハリバートンに巨大な市場と利益をもたらした。今でもこの会社が「復興事業」の多くを受注している。つまり「私的」な事業としては「失敗」ではないということだ。と言っている。
経済至上主義による「温暖化」と、戦争という環境破壊による地球の大気候変動は、このままいくと20年ぐらいで、破滅的局面を迎える可能性があると、科学の専門家は警告している。
「地球滅びて、儲けが残る」。実に愚かなことだが、欲の深い人間は、その愚かさに死ぬまで気づかない。



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告発すべき「無差別爆撃の非道」

2008年03月18日 | Weblog

このところ、民間放送で、「東京大空襲」を取り上げる番組が続いた。
一本はこの前のブログで取り上げた先週のTBSテレビ。
そして昨日は、日テレのドラマ「東京大空襲~受難」。今日、後編の「邂逅」が放映される。
TBSの方は、ドキュメンタリーにドラマを挿入するという方法だったが、日テレのほうは、この大空襲に遭遇した生き残りの人達からの聞き取り、その人達が残した資料からエピソードをピックアップして、全編をドラマで通す手法だ。
ただ大滝秀治のナレーションで当時の客観的状況を伝えていた。
どちらの作品も、大空襲の惨劇、生きながら焼かれ、逃げ惑い、倒れて黒焦げになっていく人々の状況に焦点を当てていたが、
TBSの方は、よりアメリカの非人道的無差別爆撃の冷徹さを追い、日テレのドラマのほうは、その惨劇に遭遇するまでの人々の日常のドラマを丁寧に追い、火に焼かれていく人間のありさまをCGを使ってだと思うが、リアルに描くほうに力を入れていた。
この時期、NHKは必ずといっていいほど、毎年「東京大空襲」に関する番組を放送してきたが、今回、民放が競うように「大空襲」を特集したのはなぜか、という疑問にぶちあたった。
ここ数年の傾向としては、カーチス・ルメイによって、日本本土への空襲方法が、軍事目標だけではなく、無差別に都市・住民を襲うものに変わったということを強調するようになったということがある。
そして、この襲撃方法のお手本が、日本軍による中国重慶への無差別爆撃にあったということも合わせて語られるのだが。
日本政府の中枢は相変わらず「思考停止」のまま、下駄の雪よろしく、「どこまでもアメリカについていきます」状態だが、アメリカ政府およびアメリカ軍による第二次大戦後の止むことのない「戦争」、しかも市民を残酷に巻き込んだ「軍事行動」が、覆いがたい事実として、世界中の人々の目にさらされているという状況なくして、こうした番組制作は有り得ない、と考えるのは、あまりに性急だろうか。
アメリカの、そして、コンビを組んでいるイスラエルの非道な軍事行動をこれ以上許していていいのか、という底流が今、世界の地の下で流れを作り始めている、と思いたいのだが。
そのことに気づかないのは、日本政府とその政府のもとの日本国民だけ、ということはないだろうか。
「アメリカは正義じゃない」その表れが、「ドル安」だと思う。円高というより、ドルの価値=アメリカの価値が世界で下がりつつあるということのような気がする。



そんな中での「チベットの反乱?」。
ロシアもそうだが(チェチェンへの弾圧)、中国も「大国病」という慢性病にかかっていて、なかなか克服できないようだ。
歴史的なことや、東西冷戦時代の負の遺産とか、いろいろあって、単純には断じられないが、21世紀、「大中国」、「大ロシア」、「大アメリカ」の妄想は捨ててもらいたい。



日本では、ど真ん中「首都東京」で、石原知事が遂にというか、やっぱりというか、ボロを広げた。(新銀行東京不良債権問題その他)
この人が、不良議員として、暴言・妄言を吐いているうちはまだ実害がなかったが、行政の、しかも首都のトップとして、全くふさわしい人物でないことは見抜けたはずなのに、3期も知事の座を許したのは、石原に投票した都民と、他に投票できるよりましな候補がいなかったわけではないのに、投票行動を起こさなかった都民も含めてこの知事の気まぐれな「お遊び都政」のツケに付き合わなくてはならない。
大阪府民をバカにできない、東京都民のバカぶりだ。



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昭和19年に戦争が終わっていたら、「東京大空襲で考える」

2008年03月11日 | Weblog

昨日は、63年前、東京に米軍機による大空襲攻撃があった日、ということで、TBS系では『東京大空襲・語られなかった33枚の真実』というドキュメンタリーとドラマをあわせた番組が放映された。
石川光陽という警視庁配下の写真師刑事は、空襲攻撃の直後にその被害地域に入って、被害の実態を写真に収めるよう命ぜられ、必死にその任務を果たすのである。
焼け焦げた死体、道路に並べられた焼死体、それらのリアルな写真は、戦後、その存在を知ったGHQに提供を求められる。
石川はこれを拒否。それらはカメに入れられ、庭に埋められ、時を過した。
ドラマは石川の行動と平行して、米軍の日本空襲への「周到な作戦・準備」が描かれる。
まず、南太平洋の制空権を確保したことで、日本本土への空からの攻撃が可能になった。
次は爆撃の精度を高める研究・実験が行われる。
木と紙でできている日本家屋の屋根を鋭角的に突き抜ける爆弾を作り、それを束ねた中にはゼリー状のガソリンが仕込まれていて、着弾したとたんに四方に飛び散り、一気に家の中から燃え上がるように仕組まれていた。
米軍の空襲は当初、工場などに対する「ピンポイント攻撃」だったが、それでは効果が弱いと無差別爆撃にきりかえたのは、ルメイ将軍だった。
エアコンの利いた操縦室から爆弾を投下する。攻撃する米軍兵士にとってはそれは何の痛みも伴わない行為だった。
地上の地獄を証言するのは、辛うじて生き残った人達だ。
東京大空襲をの惨状を記憶するモニュメントは特にない。(私的なものはあると思うが)
関東大震災の犠牲者のための東京慰霊堂に同居している。
関東大震災で最も犠牲者の多かった地域と東京大空襲地域は重なっている。
東京下町、住宅密集地帯。米軍は、この地域が空からの攻撃に最も弱い、そして最も効果的な地域であることを理解していた。
一夜で10万人が犠牲になったというこの空襲の死者達の行き場のない遺骨が、慰霊堂に何箱、何十、何百箱も無造作にまとめて収められている。
これだけの言い尽くせない犠牲を出してようやく「戦争終結宣言」が天皇の名により出されるのだが、もっと前に、昭和19年の間に降伏宣言されていたら、

広島・長崎への原爆投下、この東京をはじめとする日本諸都市への空襲、沖縄地上戦の犠牲者を出さずに済んだわけだが、ここで私の頭に浮かんだ考えは、
「これだけのひどい犠牲を出しても、戦後もう数年にして、すぐに、軍隊復活を考えるような勢力が市民権を回復し、戦後60年経った今では、南京大虐殺数は中国の過大な言い分だ、沖縄の集団自決に強制はなかった、従軍慰安婦も軍の関与の証拠はない、だのと言い出す勢力を許す日本国民で、アメリカの世界各地に出かけての侵略戦争にどこまでも付いて行く政府を容認するようでは、戦争がもし昭和19年で終わっていたら、日本の軍事勢力は残ることになったのでは、するともっとどうしようもない現実が今も続いたのではないか」という不謹慎なものだった。
それとも、韓国や南米諸国のように、民主化を求めて、更に血を流すことによって、「与えられた民主主義ではなく、勝ち取った民主主義」の国として歩むことになったのだろうか。



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戦前はまだ続いている

2008年03月04日 | Weblog

沖縄集団自決」に日本軍の強制は無かった、とする論を張る側が持ち出したのが、林博史氏の論文だ。
彼等は林氏の論文の文章の一部を都合よく切り取って、自分たちの根拠にしているのであるが、その林氏のwebサイト上の論文にはもう一つ目を開かせる論の展開があった。

私は今、60年代から70年代の韓国の行動経済成長時代を描いた『英雄時代』という韓国ドラマを見ているが、その主役達は、韓国の経済人と、この時代の経済開発を推し進めた朴大統領である。
朴大統領といえば、日本側からみれば、強権・独裁で国民を支配した政治家のイメージだが、その朴大統領は、日本の植民地時代、日本の陸軍士官学校で学び、満州で日本の兵士として中国と戦ったのである。

だから朴氏のその後の自国民への弾圧の手法は、日本軍から学んだものなのであるという。
35年間の日本による統治は、韓国社会の秩序維持に反映されているというのだ。

それを「植民地統治の時代に、日本はいいこともした」などと言えるのだろうか。
また林氏は、戦前、日本国民はもとより、朝鮮・中国・東南アジアの人々を強権的に支配した官僚達、例えば、岸信介、町村金吾などの息子や孫(安倍晋三前首相や町村信孝官房長官)が、今の政界の支配的地位にあるということは、戦前が戦後にそのままつながった状態であるとしている。
しかも彼等は、祖父や父のしてきたことを反省するどころか、その路線を復活させることのほうに情熱を感じているのだから、これを批判し、退場させるのでなくては、日本は何も変わっていない、「侵略戦争の時代」を何も反省していないとうことになると言っている。
政治を世襲でつないでいくということは、鳩山邦夫のようなグロテスクな神経の持ち主をはびこらせると同時に、時代の変革を妨げる元凶になるということなのだ。
まともな保守とごろつき右翼は、もともと一線を画すものなのに、いつの間にか一体になってしまっている。
東京で開かれる予定だった日教組大会が、会場として予約した高輪プリンスホテルのキャンセルで、中止に追い込まれた。
ごろつき右翼団体が、一年の一度の出番とばかりに騒ぎまわるのはわかっているのだから、断るなら最初から断っておけばいいのに、このホテルの幹部達もどうかしてる人達だ。
しかし、日教組もプリンスホテルなど会場に設定するのでなく、公立施設で大会を開くというふうにできなかったのか、という意見のwebサイトもあった。
全く目からウロコだ。かつて堤義明が率いたようなホテルしか会場は無かったのか。
日教組にも問題を感じる。労働貴族に化したような幹部達。連合という組織の問題点だ。
貧困・格差の問題をここまで置き去りにしてきた罪はこの労働運動の中央組織にも多いにある。





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