低投票率が嘆かれる統一地方選だが・・・
私は政治に関心があり、それゆえ誰に投票すればいいか、自分で決められるが、関心がなく、日々忙しく過ごしている人にとっては「それは権利だ」と言われても投票に行こうという気にならないのも仕方のないことに思える。
政治に関心のある私でも「県議選」は遠く感じられる。県会の役割も県議の役割も見えてこないのだ。
それに比べると、市会の方が生活に直結しているので、関心を引き寄せることができる。
以前から感じていることだが、日本の「公職選挙法」は縛りが多すぎて、本来の意味での「選挙」を妨害している。
これは今の社会を支配している側の意図に沿っていることなのだろう。
皆が政治について普通に話し、個別訪問して政策を訴え、議論しと、政治意識が高くなると、自分達の思うようにはできないから、今のままがいいと。
「戦争への道」を着々とひた走っている「安倍政権」なのに、それに待ったをかけられないもどかしさ・・・
今、郷静子著『れくいえむ』という小説を再読しているが、小学校2年生の頃からずっと国が戦争をしている状態の中で成長し、16歳の現在、工場に勤労動員されている女学生が軍国少女というより殉国少女として、最後は防空壕の中で、たった一人家族も亡くし、結核で死んでいく物語だが、今の時代、この主人公のように人々は「お国のためこの困難はやむを得ない」と、ひたむきになるのか、またなれるのか、私にはわからない。だがどう思うおうと、現代の戦争ではイラクやシリアやアフガニスタンに見られるように市民が爆撃の犠牲になるのだ。
では何のためにそうなるのか。今進められている「安保法制」とやらはやたらに他国からの攻撃事態を想定しているが、むしろ攻撃の口実を作り出し、挑発するのは安倍政権の方のように思う。
私は右翼的な言葉が踊っているという2チャンネルなどは疲れるのと時間の無駄なので見ないのだが、そういう情報を信じてしまう人たちが増えているとしたら、旧ユーゴスラビアやアフリカのルワンダで起こったような隣人を襲う虐殺の構図が思い描かれる。
日本人にとってのそうした対象は中国・朝鮮の人々なのだろう。
まさに言われなき「憎悪」だ。中国も朝鮮も歴史上、日本に軍隊を送りこんで攻めて来たことは無い。鎌倉時代の「元寇」はモンゴル族であって、中国民族とは違う。逆に中国大陸に侵略し、朝鮮を植民地にしてかの国人々を苦しめたのは日本の方だ。
また世界中に軍隊を送って荒らしまわることを未だに続けているのがアメリカで、そのアメリカと同盟関係を一層強めて、どこまでも宇宙までもついていきますと、そんな独善・独裁を安倍晋三とその仲間に託してはいない。