とち狂った安倍晋三はいきなり全国の小中高に休校を要請した。
これには各自治体の首長が反旗を翻した。たしかに春休みも近づいているので「春休み前倒し」は一番やりやすいところではあるが、困ってしまうのは保護者だ。皆働いている。小学校の低学年を家に置いておくわけにはいかない。昼食も用意しなければならないのに。それで職場に休みを願い出る人が続出。職場が回っていかない。長野赤十字病院では急きょ職場に子供を連れて来てもらい、広い部屋で非番の職員に面倒をみてもらうことにしたらしい。
感染が確認されていない地域や学校ではここまでする必要はないだろう。
この期に及んでまだ支配層は自分達の利権にこだわっている。
が、世界はこの日本の呆れた状況を見透かしている。五輪開催はもう無理だと思う。抑え込める状況にはない。たしかにこれから暖かくなっていけば感染者は減っていくかもしれないが、肺炎を発症して命を落している人が今もいる。検査させてもらえないからだ。
政府によって命を奪われる人達だ。戦争と同じ。
国会議員に厚化粧はいらない。
検事長人事を巡って答弁を求められ度々登場する森雅子法務大臣。付けまつげに短めのスカート。
昔アイシャドーを昼間から付ける化粧を女性達は平気でやっていたが、アイシャドーも付けまつげも過剰な白塗りも舞台化粧ないしは夜の男性相手の接客用だ。
私はかつて教師をしていた時、4人の子供を抱えて夜の商売をしているお母さんを出勤前に訪ねたことがあるが、その化粧にびっくりした。青い灯影の下でこそ妖しい雰囲気をかもしだすのだろうが、まだ明るい日の元ではこれから戦いに向かう戦闘化粧に見えた。そう彼女にとっては子供を養うための戦う職場だ。夜の水商売で働く女性にはこういう人多いのだろうと思う。
今日はやけに寒い。
長野県ではコロナウイルス感染の情報はあがっていなかったのだが、昨日(26日)遂に感染した人の情報があがった。この狭い日本で自由に行き来しているのだからいつかはこうなる。
私は朝「羽鳥慎一モーニングショー」を見ていて、ここでは玉川徹氏と岡田晴恵という感染症の専門家が毎日出演していて、ここが一番信用できるのではと感じている。二人共政府の無策を批判している。
岡田さんは厚労関係の知人が多いので、あからさまには職員の批判はしないが、どさくさに紛れてかなり危ういことを口走っている。「専門家会議には呼ばれておりませんし、呼ばれたくもありません」と叫んでいた。そんな会議に呼ばれて無策な安倍政権の片棒かつぎはしたくありませんという宣言だ。
政府は検査をなるべくさせないように自治体や保健所に指示しているがそんなことをしたら余計にウィルスは広がっていく。
このままではオリンピックの開催までに終息しない可能性が出て来た。IOCは5月末までに抑え込めなければ「東京開催」は出来ないと宣言した。
元々「無理筋」の東京オリンピック。中止するしかないだろう。
今や無政府状態だ。首相になるべきではない資質の人間を首相にしたがためにこうなった。愚かな安倍の周囲に集まるのは同類の愚か者とワルばかり。コロナウイルスの蔓延で安倍政権が崩壊することはさすがに予想しなかったが、危機の時こそトップが采配を振るわなくてはいけないのに安倍晋三は何もしていない。宴会と会食にいそしんでいる。
自民党議員も安倍に諫言する者もいない。自党に有利なようにと小選挙区制度を取り入れたが、それで崩壊するとは・・・。何事も自分達の欲だけで動こうとすると最後は自滅するのだ。
日本の大勢は何かというと韓国や中国を批判するが、ムンジェイン大統領も習近平も自ら陣頭指揮を執っている。
安倍晋三の言い訳はじつにみっともない
と誰もが思う。そう思わず必死に弁解しているのは安倍当人だけ。誰か引導をわたすべき。それは主権者である国民だが日本国民にその自覚がない。というかコロナウイルスに感染しないようにとそればかりに関心がいく。
厚労省の無策が拍車をかける。大坪審議官と和泉洋人内閣官房補佐官の罪は深い。この間感染症対策の部署の縮小に励んでいたというから責任を取らせるべき。
和泉補佐官に行動を慎むよう安倍総理が注意をしたというが、和泉はせせら笑っているだろう。モリカケで安倍夫妻を守ったのは私だ。私を切るならすべてを洗いざらいマスコミにでもどこにでも告発してやると暗に言うだろう。辞任すれば安倍夫妻は直ちに検察に任意出頭を求められる。「官邸の門番」と言われている黒川という検察官を検事長に出世させてこれを防ぐ手はずがここで狂い始めている。黒川の異例の定年延長に野党だけでなく検事たちも抗議の声を上げ始めている。検事たちも安倍の終わりが近いことを見越している。
コロナウイルス感染は何処まで広がるのか
長野県ではまだ感染者の情報がない。私は昨日歯医者さんに行った。前から予約していて、予約した時点では特に痛みはなかったが、その後じわじわと痛んできた。がまんできないほどではないが、痛まない方の歯で噛んだ。食事のおいしさが半減することを実感した。入れ歯の人はどうなのだろう。これからその可能性が出て来るが。
これからしばらく治療が必要だ。待合室では高齢者が多かったがマスクをしていない。皆のん気なのだと思ったら、どうやらマスクが不足しているらしい。私は昨年買ったマスクの在庫があり、外出も少ないのでマスクあるけど。
「不要不急の外出は避けるように」と警告されているが、歯痛には勝てない。風邪以外の不調でお医者さんに行きたい人は感染地帯でもたくさんいるだろう。
入試もある。皆多少無理をしても試験受けに行くだろう。学校側は何らかの配慮をすべきだろう。
不特定多数の人が集まるイベントが次々中止になったり規模が縮小されている。
東京オリンピックの開催もどうなるか。政府はどうやら感染の規模を少なく見せようと画策して失敗、各国の不信を買う結果になっているらしい。
元々オリンピックの開催は限界に来ていたので、一般人にとってはどうでもいいが、選手はこれを目標にしている人も多いので残念ではあろうが。
延期になって秋になるのではという憶測もある。元々アメリカのテレビ中継のためにこの蒸し暑い時期に開催となったオリンピックなのでアメリカの我が儘が通らないというのは世界のためにはいい。
「桜を見る会」で追いつめられている安倍政権もコロナウイルスを隠れみのに一息ついてる感がある。
日本も襲ったインフルエンザの大流行「スペイン風邪」
ウィキペディアによると流行は1918年から19年。発生源はアメリカだったが、当時は第一次世界大戦中、中立国だったスペインから情報がもたらされたためにこう呼ばれているとあった。そうなのか、知らなかった!
私の母は1912年生まれだが、家族全員この風邪にかかったと言っていた。
しかし死ぬことはなかったが、有名なところでは劇作家の島村抱月が命を落している。当時愛人の松井須磨子とともに芸術座の楽屋を住まいにしていたが、濃厚接触していた須磨子はこの流行に冒されることはなかった。
専門家が言うにはひとえに「免疫力」の差だという。日頃から栄養をちゃんと取り節制した生活を送って居ることが決め手だという。
須磨子は長野の松代出身の人だが、割合大柄で芯が丈夫なたちだったのだろう。
感冒も恐ろしいが、当時は結核もまた人々を襲う不治の病だった。こちらも衛生と栄養が決め手。貧しい生活や無理をするとこれに冒される。
若い人を襲うのが特徴。数えきれない悲劇が展開されていたのだ。
北朝鮮拉致問題の未解決は安倍一派の責任
拉致被害者の一人とされる有本恵子さんの母嘉子さんが亡くなった。94才。
2002年、小泉総理の電撃訪朝により、北朝鮮が謝罪したのに、北朝鮮との約束を破って国交回復の道を絶ったのは当時官房長官だった安倍晋三と彼の背後にいる「日本会議」の連中だった。
安倍は拉致の事実に勢いづき、朝鮮の歴史を知らない世の人々を味方に一気に「北朝鮮叩き」に成功した。マスコミがその応援者なのはもちろんである。
しかしこのほぼ20年北朝鮮叩きは続いたが肝心の拉致被害問題の解決は遠のくばかり。
安倍と日本会議には拉致問題が解決しないほうが都合がいいのだ。
最近はモリカケに桜、IRと次から次に安倍政権の腐食が後を絶たなく、拉致問題が脇に追いやられている感があったが、拉致問題の解決を妨げて来たのは第一に安倍晋三なのだ。この点でも私達は安倍に責任をとらせなければならない。
外国の指導者、具体的には金正恩を責めていても何の解決にもならない。
家族会は安倍を追求せよ。一緒に右翼化している場合じゃない。
自民党は「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」というスローガンを掲げているが、永久に解決する気がないからこんなバカな事を言っている。
金正恩は日本に見放されても痛くもかゆくもない。中国も韓国も北朝鮮を見捨てない。そんなことをして損をするのは自分達のほうだ。
お湯仕事であかぎれ
大した水仕事もしないのにあかぎれができてしまった。高齢になったのとお湯で洗い物をしたりするせいだ。みんな薄い手袋をして水仕事するらしくてあかぎれはできないようだ。
『かあさんの歌』というのがある。この曲を作った人は長野県の信州新町に疎開していて寒い信州の冬の主婦の家事を歌ったらしいのだ。
今では信州新町のテーマソングになっていて、道の駅などに行くとこの曲がかかっている。メロディーだけなので季節関係なしだが、私はリアルタイムでこの歌を聞いたり歌った世代なので今はしみじみとこの歌を自分で唄っている。
『家族を想うとき』を見る。
今日(土)は一日中雪が降るあいにくの天気だが、昨日は冷え込みはきつかったが天気が良いので映画を見に出かけた。昨年あたりまでは大病の影響もあって外出する元気がなかったが、今年は自分の足で外出できる時間もあまり残されていないと思うせいか、映画を見に行く元気が出て来た。時間を見つけて散歩しているので歩くのは苦にならない。
英国の社会派映画監督ケン・ローチの映画は「麦の穂をゆらす風」、「私はダニエル・ブレイク」、「この自由な世界で」とみて来た。
イギリスは先頃EU離脱を決定したが、その理由が自由な行き来により移民が押し寄せて来たことへの従来の英国民の不満があるとも言われているが、この映画の家族も元々はそういう人々かもしれない。
主人公のリッキーは失業し、今はフランチャイズ形式の宅配ドライバーとして働いている。妻は訪問介護の仕事。ぎりぎりの生活で一家は疲れていく。
二人の子供兄は高校生だが不安定な思春期、何かと問題を起こす。妹は優等生だが両親の経済的苦境ゆえの不和に心は不安である。
日本も同じだと思った。児童虐待や様々な事件の多くが普通の人々が経済的苦境、富める者による搾取のシステムに否応なく組み込まれていることによって引き起こされている。
経済のグローバル化が人々に幸せをもたらさないシステムであることがはっきりしてきた。
このままだと普通の生活が崩壊する。世界中で。
し尿処理を担うのは?『やすらぎの刻・道』
大事なおばあちゃんを悲しませないためにおじいちゃんの不始末を背負って産業廃棄物処理業者のもとでし尿収集車の清掃をする孫の翔。
こうした誰もが嫌がる汚い仕事を請け負うのは社会的に差別されている側だ。例えば被差別出身者、朝鮮半島にルーツを持つ人達、前科のある人も一般社会から受け入れられない傾向があり、ここへたどりつく。こうした業者の中には違法すれすれの「反社」と呼ばれる者もいる。
今は下水道が整備されているのでバキュームカーを意識することもあまりないが、農村地帯ではかつてし尿は肥料として使われていた。
まず汲み取り便所からたまった大小便を汲み出し、野溜めに入れて醗酵させる。これを農産物の根元に肥料として入れるのだ。日本ではこのし尿肥料を江戸時代あたりから重宝して、農村から町に買いに来るのだ。
確かにし尿は臭い。だけど排泄無くして生物は生きられない。どんなに身分の高い人も金持ちも美人も排泄なくして存在しない。
子供の頃、みんなが「臭い、臭い」と言って騒ぐのを私は「おかしいな」と思っていた。確かに臭いけどみんな出す物なのに。
西欧では肥料として使わないのか、下水道が完備するまではいわゆるオマル形式。しかもこれを家の窓から下に投げ捨てるものだからこれを頭から浴びることになる。道もひどく汚れた。
日本でも平安時代はオマル形式で捨て場所はある程度決まっていたのだろうが、公道は今のように清潔ではなかったらしい。
ヨーロッパで下水道が日本より早く発達したのは不潔さに耐えられなくなったからだ。伝染病の元でもある。
人が立って移動できる大きさの下水道は様々な歴史の舞台となった。
ヴィクトル・ユゴーの「レ・ミゼラブル」では主人公が下水道を伝って逃げるし、ナチスがユダヤ人を迫害した時代には地下水道に身を潜めてやり過ごした場合もあり、ヨーロッパ映画にはよく登場する。
『老~い、どん!』という樋口恵子さんの著書の広告が新聞にあった。
樋口さんは現在87才。「ヨタヘロ期」を生きている。
調理がおっくうで、近くの駅まで歩くのに息切れ、街角にベンチがほしいとのコピー。
私は身近で母の老いの進行を見ていたのでこの通りだと思う。私の母は85才までは何処も痛いとかそういうことは言っていなかった。但し町へ出かける時には車で送っていった。帰りは駅から電話をかけてくるので迎えに行き帰宅していた。
ところが85才をすぎて冬雪かきをした後突然腰が痛いと言い出した。整形外科を受診したら「骨粗しょう症」が進んでいると言われ、痛み止めを注射してもらい、それからは整形外科通いが欠かせなくなった。
そしてその整形外科で転んで骨折し入院・手術。この後急激に気力を無くし、90歳目前で亡くなった。
人の世話にならず自立できるのは例外はあるだろうが、85才ぐらいまでではないだろうか。
その後は何らかの手助けが必要だ。
認知症まではいかなかったが、最後はずっと続けていた日記も書かなくなった。でも穏やかな最後で介護の苦労はほぼないといっていい。
余り一生懸命世話しようと張り切らない方がいい。世話する方がもたなくなる。