「ボストンマラソン爆破事件」は、アメリカ市民権を持つチェチェン系の兄弟の犯行とされた。
チェチェン系なら、その憎悪はチェチェンを弾圧するロシア・プーチン政権に向かわなければならないはずなのに不可解。
「ネットでの選挙運動」が、この夏の参院選から解禁されることになった。
選挙の公示を境にフリーズしてしまうネット上での選挙に関する具体的な言論活動が、自由になるのは一歩前進ではあると思うが、おそらく今夏の参院選で、このネットを巧みに使うのは自公政権の側だろう。
お金を使って、ネットを駆使してネット言論を抑え、誘導することもできる。
「主権回復の日」式典強行と、閣僚・国会議員らによる「靖国参拝」という反動の亡霊
1952年4月28日発効された「サンフランシスコ講和条約」は、米英を中心とした西側諸国と、沖縄を米軍の占領下に置いたまま、日米安保条約と引き換えに結ばれた条約で、とても「主権回復の日」とはいえない。
それを沖縄県民の気持を無視したまま強行するというのは、沖縄を捨てるという意味だ。沖縄を米軍に献上し、米国の属国になるという道を選んだという宣言だ。
勝手に献上された沖縄は、もう独立をめざすしか方途はない。沖縄が日本を見捨てて、ついでに米軍基地も返上する。それで沖縄の平和が危うくなることはない。
むしろ中国や台湾と友好関係を持てるようになる。
それにしてもこれら政治屋達の屈米ぶりとそれに反比例するかのような中・朝に対する過去の歴史に関する開き直りにはあ然とし、反論の言葉さえ失う。
日本は過去の中国や朝鮮への侵略で開き直りは全く許されない。日本の側に一分の理もない。
「いつまで反省し、謝ればいいのか」といえば、中・朝の側が「もういいよ」と言ってくれるまでは謝罪の気持と態度を持たなければならないのだ。
むしろ開き直るならアメリカとの太平洋戦争の方だろう。
日本は奇襲はしたがアメリカに侵略したわけではない。
しかしアメリカのやったことは2発の原爆と日本本土への容赦のない空襲だった。
日本を兵器と作戦の実験場にしたのだ。
それなのにこちらにはひたすらこびへつらい、中・朝に対しては逆撫でする言動に出る。これら右翼政治屋の頭も精神も腐っている。
こんな連中に同調してはいけないのだ。
「靖国神社」は侵略戦争を正当化するための大いなる装置である。付属の「遊就館」がそれを体現している。
靖国神社に祭られているとされる多くの魂は、A級戦犯の戦争指導者以外は国家の暴力的強制によって戦争に引きずり出された人達のものである。
中・朝との戦争をもくろむような薄汚れた連中の参拝など受けたくないだろう。
そんなことより平和で安心できる暮しを生きている人達に与えて欲しいと願っているはずだ。
歴史を元に引き戻すことに狂奔する日本は東アジアでますます孤立する。そしてますますアメリカ頼みになっていく。
日本による東アジアの不安定化はアメリカにとっても必要不可欠。
不幸になるのは国家に蹂躙される国民だ。あの70年前の時代のように座して「死神安倍政権」と運命を共にするのか、私達は問われている。