NHK内部のせめぎあい
昨年の原発事故以来、マスコミ、特にテレビの情報は当てにならないと感じつつも、やはり人々にとって、テレビ情報というのは、その他の情報媒体と比較すると、心をとらえる力を持っている。
「テレビメディアを制する者が時の権力も制する」というわけだが、民放はそうであっても、視聴者から受信料を取るNHKが国家権力と一体になって、情報操作に精を出すのは許しがたい。
近頃のNHKは以前と比較しても一段と国家権力との一体化が進行しているようだ。
特に「ニュース9」の大越という勘違いキャスターが際立っていて、政府と一体となって、「消費増税」、「原発再稼働」、「TPP推進」のお説教をしているらしい。らしいというのは、私はこの番組を見ていないから。
しかし、この大越がいらぬ説教をしたり顔でしたすぐ後の、今週木・金の、震災で仕事を失い、住居を奪われ、ふるさとを失った人々に取材した「NHKスペシャル」は、今の政府のやっていること、これからやろうとすることが、これら被害をこうむった人達をおよそう救うものではなく、逆に踏みつけにし、捨て去るものであることを見る者に実感させた番組になっていた。
NHKの幹部やその候補生は政府と財界に顔を向けて、愛想笑いをしているが、それに抗う仕事をしようとしている人達は確実にいる。
木曜日は石巻の津波被害で仕事と住居を失った、水産加工に従事していた50代の男性と、美容院を経営していた30代?の女性のままならない再起の実態を見せた。
男性の方は勤めていた会社を解雇になったが次の仕事が見つからない。定年間近の男性にとって今更他の仕事を一からやり直すというのはむつかしい。しかし水産関係の仕事はない。失業保険が切れた後、男性に紹介された仕事は3ヶ月の試用期間のあるものだった。そのまま使い捨てにされるかもしれない働き方だ。
美容院を経営していた女性のほうは、がんばって再開したが、地域を離れた人も多くて、以前ほどの客がない。
震災前に経営していた美容院と再開した方と両方のローンを抱えた女性。
行政に相談しようにもたらい回しされるだけ。自営業者には失業保険もない。
遂に女性は自宅と店舗を売りに出し、この地を離れることを考え始めている、というところで番組は終わっていたが、こんな状態の人達を置き去りにして、財務省主導の「消費増税」とはあまりに政治と国民生活がかけ離れすぎている、と感じたのは私だけではあるまい。
金曜日の方は、福島第一原発の地元で、事故後町役場の機能を埼玉県加須市の廃校になった高校に移転した双葉町の2家族と町長の苦悩を追っていた。
福島の事故原発の地元の住民はふるさとを奪われ、「流浪の民」となって、福島県内の他地域、そして県外で絶望と戦いながらそれでも辛うじて生きている。
「原発再稼働」などという選択は、この流浪の人々の実態を考えればあり得ない選択だ。
東電以下地域独占の電力会社というのは全く腐った存在で、腐ったものに再生はあり得ない。
関電は昨年、節電だ、計画停電だと日本中が騒いでいる時に、最も原発依存の高い電力会社でありながら、原発以外の稼働にそれほど努力したようには見えなかった。
無策のまま、今年を迎え、「電力足りません」のキャンペーンはこれからも原発動かしますのための意識的サボタージュだったのだろう。
首相官邸前では「大飯原発再稼働反対」のデモが広がっている。NHKは報道しない。
野田以下政府中枢はそんな国民の声などどこ吹く風のように見える。神経が太いというか、鈍い野田。政界から追放せよ。
オウム真理教が引き起こした事件で「指名手配」されていた最後の容疑者高橋克哉逮捕。
私は宗教に殆ど惹かれないタイプの人間なので、オウム真理教のような荒唐無稽、デタラメな教義ともいえないほどのレベルのものに、学歴もそれなりにある人達がのめりこんでしまった理由があまり理解できない。
母がクリスチャンだったので、キリスト教には一定のシンパシーは持っているが、それでもキリスト教にもさまざまな宗派があって、アメリカの保守層が信じているようなキリスト教は「オウム真理教」と同レベルだと思うし、そう考えると、そういう宗派を生む要素のある「キリスト教」そのものも疑ってみなければならないと、この頃は思っている。
新左翼運動の最後の極点とも言うべき「連合赤軍山岳リンチ事件」について本を読んだり、書いたりしたことがあるが、共に殺人にまで至ってしまった「オウム真理教」との共通項は、「同質の隔離」という点だろうか。
連合赤軍は「国家権力の末端」と位置づける交番を襲い、警察官を一人一人殺害していくことを「連合赤軍兵士の使命」と位置づけていて、その愚かな過激さゆえに町なかに居場所をなくし、山中に拠点を置いた。
オウム真理教も山梨県の冨士山麓?にこちらは連合赤軍の山小屋とは比べ物にならない大規模な「サティアン」と称する施設を設けた。
仲間しかいない場所では、自分達だけに都合のいい妄想をどんどんふくらませていく。
連合赤軍の場合は栄養不足と厳しい山の環境の中で、疑心暗鬼がたった20数名ほどの仲間内に向けられていったが、オウムの方はその狂気が外部の彼らが考える無自覚な人々に向けられていった。
しかし両者を極端な例として私たちは嘲れない。
なぜなら「原子力村」と揶揄される同質集団にいる学者や技術者や行政官達はその無能・無責任ぶりが明らかになっても今までどうりのことをしようとし、またできると思っている。正気じゃない。
「国民のため」と叫びながら、国民のためにならない「原発再稼働」や「消費増税」を強行する政府首脳と、自分の議員の地位だけを確保したいために右往左往するだけの国会議員は「永田町住人」というこれまた同質集団だ。
永田町に住んでいる限り、国民を踏みつけにしても「わが世の春」が謳歌できるような気でいる。
「原子力村」や「永田町」だけではない。私たちもあらゆる組織で知らず知らず「同質集団」を形成し、異質なものを見ようとしない傾向にすぐ陥る。
大飯原発再稼働で集団自殺状態
大飯原発再稼働が現実味を帯びてきた。福島事故の出口がまだまるで見えないのに、再稼働をごり押しするとは、日本は集団自殺のゲートの前に立っている。
それは「原子力村」と言われる原発で利益をあげてきた連中は、何とかして今までどおりの利益をあげたいと願うだろう。
しかしその彼らも「福島事故」の放射能汚染の現実を少しでも考える頭があれば、ここで無理矢理再稼働して、もし事故が起これば今度は関西・北陸地方に住めない地域が大量に出てくることぐらいはわかるはずだが、その逆の動きに奔走する。
何度も言うが、「頭も心も腐り、狂った状態」だ。彼らは死んでも既得権を守ろうとするだろう。心も身体もそう動くようになってしまっている。連中に理性を求めるのは無駄だ。
この既得権者達の行動を止めるのはそれ以外の日本国民全ての意志と行動しかない。
電気が足りないというのは原発既得権者達の「脅し文句」だが、仮に電気が足りなくて、我慢しなければならないとしても放射能汚染で身体を蝕まれ、その苦しみのあげく死ぬよりましだろう。
空気や水なくしては生物は生きられないが、電気がなくてもずっと生きて来た。
心を蝕む原発マネー
「36年前、玄海原発1号機が出来る時はそれは反対しました。当時教師をしていて、子供達を通して原発マネーがいかに人間をだめにしていくかはっきりわかりました。
九電が立地のために住民にどんどんお金をつぎこむからじいちゃんたちは毎日唐津に飲みにいく。子供達には遠足の弁当を持たせなくなった。みんな同じすし屋から取って。子供達の生活はゴロっと変わりました。心が壊れ、街が壊れていった。若い子はこの町には住みたがらない」。(「原発なくそう!九州玄海訴訟」の原告の女性の話)。
天から降って来るような「原発マネー」は、それを手にすると、こんな堕落した使い方しかさせないものなのだろう。
日本だけは原発をやってはいけない理由。
原発は世界中にある。だから日本にもあるのは当然というか仕方ないではない。
日本は地震大国である。地球の表面積平均の約130倍の率で地震が発生している。この狭い国土に世界の地震によって発生する揺れの約10パーセントが集まっている。
なぜか。地震が集中している場所はプレート(地殻)とプレートが相互にもぐりこみ、乗り上げ、ひしめきあっているプレート境界線であり、その境界(しかも四つものプレートの境界)の上に日本の国土があるのだ。
フランスは原発大国である。しかしフランスには殆ど地震が発生しない。
アメリカは世界で最大多数の原発を保有するが、西海岸には地震の発生もあるが、東海岸ではない。アメリカの原発は殆どが東海岸にある。
中国は四川省を除いて殆ど地震がないし、カナダ、インドも同様だ。
世界で地震が頻繁に起こる所で原発を盛大にやっている馬鹿な国は日本だけである。
地震大国であるということは津波大国でもあるということである。
海に囲まれた日本。その海岸線に並ぶ原子力発電所群。
原発は巨大精密機械でもある。無数のコンピュータ、計器類、配線、配管、精巧な機器、電気スイッチ等から成り立っている。これらは衝撃と水には極端に弱いという性質のものでもある。
その上使用済み燃料の後始末としての深地層埋め込みも国土は狭く、地盤がしょっちゅう動いているのでままならない。
世界で最も原発立地に向かない国日本なのだ。
「原発事故は国民生活を根底から覆す。産業も文化も芸術も教育も司法も福祉もつつましい生活も、そして贅沢な暮らしも何もかもすべて。従って原発の危険性に目をつぶっての全ての営みは砂上の楼閣である」
(脱原発弁護団全国連絡会弁護士・河合弘之氏の文より)。
橋下大阪市長大飯原発再稼働容認に転ずる
弱い者に徹底的に強く、強い者には逆らわない、典型的「ヤクザ・番長」路線なのに、なぜか閉塞感漂う世の中ゆえに人気を得ていた橋下がその馬脚を現したという印象。
再生エネルギー推進の第一人者飯田哲也氏や元経産官僚で「改革派」と言われてきた古賀茂明氏を大阪市に顧問格で迎えていたのだから、「電気足りない」の関電や経産省の言い分のまやかしを承知しているはずなのに、この変節は、彼自身の息切れか、逆に首相の座も夢じゃないと考え始めたための「欲に目がくらんだ」行動かわからないけれど、大阪府市民の熱烈な支持もこれで行き場を失ってしぼんでいくのではと思う。もしそうならそれはそれで良きことだ。
ただ「橋下現象」を橋下個人のキャラクターにのみ求めるのは危険だという意見もある。
大学などで教師の側が橋下の言動に批判を加えると、学生からブーイングを受ける雰囲気があるという。
70年代ぐらいまでの左翼的学生運動に触れた体験がある団塊の世代からすれば、橋下の言うことは「支離滅裂、お粗末の限り」で、まともに批判を加える気にもならないものだが(そうやって馬鹿にしていると、日本の政治権力を乗っ取られて、とんでもないツケを払わされることになってしまうとは思うのだが)、それに同感する若い世代が多いというのはどうにかしなくてはという気持にさせられる。
「連合赤軍」の陰惨な末路以来、社会変革のための運動を若者世代が避ける傾向になり、資本の側の巧みな攻勢の前に労働組合運動も変質・停滞させられ、追い討ちをかけるように「ソ連型社会主義」の崩壊で、社会主義政党もそれを超える運動を構築できないでいる状況の中で、若い世代が無防備なまま、「弱肉強食資本主義」の犠牲になって、橋下の公務員叩きにストレス発散している状況は哀しくやりきれない。
高収入お笑い芸人の家族の生活保護受給
が「自助努力」を叫ぶ自民党議員によってあばかれ、謝罪・返還の騒動になったが、この芸人の「甘え」をたたくなら同時に輸出大企業の「消費税還付金ただ取り」も精査しあばいてもらいたい。
片山さつき議員はその方は絶対しないだろう。
上から下まで「弱いものいじめ」が横行する今の日本。