主宰五句 村中のぶを
冬の日やわが影父の影に似つ
一天に漲るひかり橡冬芽
冬ざれや岬の道の縷々として
臘梅の華やぐ門や松飾り
海(わた)の日に椨の宮淑気満つ
松の実集
寒 桜 落合 紘子
鴨の群れ鳩の鳴きゐる山の湖
寒桜と教はるや友を訪ひ
山湖一周駅伝大会寒の雨
寒桜咲く曲り角応援す
水辺なる紫小き蕗の董
紅 梅 多比良美ちこ
截金の阿弥陀の衣御堂冴え
藁の内こぼれ咲く白冬牡丹
懐炉背に巡る支那寺坂の街
紅梅や竹垣越しにこぼれ咲き
扁額の古りし祠や梅香る
湘 南 川上 恵子
春の海手繋ぎブランコ燥ぐ吾子
鳶襲ふ夏の境内若僧侶
遊行寺にて
掌に菩提子丸きを転がして
秋高しまもなく富士に綿帽子
江の島にイルミネーション冬に入る
ど ん ど 西村 泰三
始まれるどんど爆竹高々と
風に散るどんどの吉書舞ひ揚り
子等の声どんどの櫓崩れゆく
崩れ燃ゆどんどゆらゆら対の人
一斉に餅焼く棹を燠の上
イメージ
雑詠選後に のぶを
豆に杖あてがひ仕事始めとす 古野 治子
一読して何とも穏やかな一句です。それも「豆に杖あてがひ」といふ些事に、作者にしては「仕事始め」と叙してゐます。あてがひは古い言葉で(宛がひ)であって、此所 では豆類の反りに支柱をしてやる事です。その支柱の杖も ご自分の杖と共通した心情が伝はつて来ます。
一体、寄る年波に連れてその見聞が狭まってゆくことは 当然の事でせうが、而し掲句の様に些細な事にでも心を開 いて在れば、句の世界もまた広がってゆくのではないでせ うか。この事はむろん筆者にも言ひ聞かせる事でもありま す。それにしても季語の引用が実に当を得てゐて、また新年の晴れがましい句です。
白鳥座しかと翼張り寒に入る 細野佐和子
「白鳥座」、どの辞書にも見えますが、野尻抱影の『星 三百六十五夜』にも散見出来ます。この白鳥座の五つの星 は十字形をつくり、星の配列がまた白鳥の飛ぶさまに似て、 南十字星に対し北十字星とも呼ばれてゐます。掲句の「し かと翼張り」は延いては、作者の住まふ上州の、北越の彼方までも及ぶ、寒の頃の透徹した星空を厳に詠み取ってゐるのです。して結句の「寒に入る」とはまた、作者の鋭い 把握です。
百歳を目指す令和の年酒かな 橘 一瓢
九十九年を生きて来て「百歳を目指す」とは、何はとも あれめでたい事であります。そして一句の長生も然る事な がら、その駘蕩とした大らかさに肖りたいと思ひます。む ろん作者は会員最高年の方です。
秋空へ帆を一斉にうたせ船 白石とも子
「うたせ船」とは、在熊本の人達は既知の事で、宗像夕野火編「火の国歳時記」、また俳人協会の「熊本吟行案内」に紹介されています。辞書では打た瀬網として記載され、つまり底引網漁の一種として小型漁船が帆の風力や潮流を利用して海底を引き、エビや魚を捕ると有ります。またこのうたせ船は一般的に言へば帆掛け船と言ってよいでせう。 さて掲句ですが、この十数隻もの大景を端的に叙して、 その全容をよく描出してゐると思ひます。なは熊本吟行案 内では西村泰三さん達の句が紹介されてゐます。
冬の霧今日は晴れやら曇りやら 祝乃 験
掲句の「晴れやら曇りやら」、なにか無造作な表現のやうですがさうではなく、球磨地方の名立たる、冬時の球磨 川の霧の大いさを叙してゐるのです。それも「今日」は晴 天なのか曇天なのか、視界が霧に閉ざされて不明と言ふのです。前後しますが助詞の(やら)は不確かな気持ちを込 めて自問する措辞です。むろん作者は球磨の方で、因みに 国手として地方医療に関はつてをられる人ですが、此の様 な霧の詠句は稀有です。
年新た名のみを刻む虚子の墓 後藤 紀子
句はむろん鎌倉寿福寺の「虚子の墓」です。寿福寺はも ともと源頼朝の父の義朝の邸跡だつたとの説がありますが、 総門を入って真っ直ぐに続く参道は、後の句にもあります やうに、しんとして端正な佇まひを見せてゐます。この参道の奥に墓地はあるのですが、ここの墓地は他に大彿次郎、虚子の娘の星野立子などの墓、矢倉(岩穴)には政子、実朝の供養塔があり、一帯はまさに歴史的、文学的な景観を 呈してゐます。「年新た名のみを刻む」、その(虚子)の二文字だけの墓標に、改めて作者は新年の感懐とともに過 ぎてゆく時への思ひを綴ってゐるのです。
虛子の墓
盆地ただ静もりかへる初明り 住吉 緑蔭
作者も球磨の方、元朝の夜明けを詠んでゐます。山に囲 まれた地の「ただ静もりかへる」、副詞のただは、ひたすらにと、その大いなる静寂を強調し、それにわが住まふ地 の初曙光を浴びて-。
初春の箱根の山路血潮飛ぶ 福田 祐子
箱根駅伝と詞書のある句、「血潮飛ぶ」が面白い表現で す。それは放映の画面ではなく、目前の実景ではないでせうか。それも若き血潮の力走する姿を活写して余り有りま す。
胎中の胎児に合はす息白し 大場 友子
唯々尊い生命の一句、「胎中」とはむろん胎内のこと、 その「胎見に合はす息白し」とは、ともあれ若き母の(いのち)への息づかひが伝はつて来るやうです。そしてこの 若き母を見守る周りの、温かな眼差しも感じられて、句はまた冬の一日の情景を描出してゐます。
支へ合ふ老いの暮らしの去年今年 野島 孝子
淡淡とした詠情の一句、して「去年今年」といふ感慨が 沁み沁みと伝はつて来て-。
もろに受く木霊の息吹初詣 那須 久子
作者は熊本、宮崎県境の高峰市房山の麓に住む方、掲句 はここ標高一九〇〇米餘の山の中腹にある市房神社の「初 詣」の詠、そして「もろに受く木霊の息吹」とは、球磨川 の源流の地でもある奥山の、深林の精霊の気を満身に受けての詠出、真に神々しい風趣の初参りです。
市房神社
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