古文書を読もう!「水前寺古文書の会」は熊本新老人の会のサークルとして開設、『東海道中膝栗毛』など版本を読んでいます。

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迦南俳句を読む10  横井迦南句集より

2017-05-02 10:00:38 | 横井迦南

写生自在8 客観写生

蜜柑もぐ女の顔に葉青く   迦 南

仰向きの娘の顔青く懸煙草  〃

 

前回採り上げた句は写生の句でありながらも主観的語句の働きによっ

命力を付与した句でした。「七面鳥闊歩し棕櫚の花こぼれ」、「朱欒 

たる庭に驕れり薩摩鶏」の句における「闊歩し」、「驕れり」がそれに

あたります。ところが上記2句にはそういう主観語句がありません。

一句目は蜜柑の収穫作業をしている女性の顔をスケッチしたもので

す。

一枚の蜜柑の葉に遮られて女性の顔の一部が隠れて見えないという、

それだけの事を言っているのですが、ここには容易ならざる作句上の

技法があります。つまり虚子などによって唱えられた客観写生という方

法論ですね。

この句で言えば、顔の手前にある蜜柑の青い葉に焦点を当てれば女

の顔はぼやけ、顔に焦点を合わせれば手前にある蜜柑の葉がぼけて

見えるという、望遠レンズで撮った写真のような効果を句の上にもたら

しているのです。

では作者の主観はどこにあるかといえば、万象の中からその場面を切

り取った感性、心緒にあるのです。そういう句を詠む作者の心に読者が

共感するという構図です。

 

2句目、これは煙草乾燥室で煙草懸けの作業をしている女性を詠んだ

ので、1句目と共通するのは作業する人の動きがあること、色彩が青

いうこと、また人物が女性であることです。

この女性は煙草の青い把を干竿に仰向いて懸ける作業を繰り返しして

いるのですが、狭い室内はすでに煙草の青色に染まっていて、仰向く

たびに女性の顔は肌色を失って煙草色に染まるというのです。一幅の

油絵を見ているようですが、句の後ろには作者の複雑な感情がうごい

ています。ではそれはどういう感情かと訊かれても正解があるわけで

はなく、読者それぞれで良いのです。この句が良い句かどうかを判定

するのは読者の想像力次第ということになります。

わたしなどは、ついつい脇道の鑑賞をしてしまいます。

 花は霧島たばこは国分燃えて上がるはお原ハアー桜島

                     (鹿児島おはら節)

霧島盆地の気候風土はたばこ生産に適しており、香りのよい葉煙草を産し、江戸などで高級たばことしてもてはやされました。

 

この句は国分の煙草農家の女性を詠んだものと思います。時代は敗

色濃厚な戦時中で、統制経済の苦しい暮らし向きのなかでの詠句であ

ることを見落とすことはできません。

2句とも働いているのが女性であるというのは、けして偶然ではなく男

は皆戦場にかり出されて、労働力の主体は年寄りと女性にあったとい

う現実がありました。六十を超えた知識階級に属する迦南の心境が

が、詠まれているのかもしれないですね。

 

 


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